第19話 とある演劇部員の片想い【解決編】②

 翌日の昼休み。先輩と俺は家庭科準備室で昼ごはんを食べていた。


 ――また家庭科準備室で昼ごはん? もうぼっちじゃないとは言わせないぞ。

 そうだね。


 ――あれ? どうしたの? 調子悪い?

 なんでだよ。普通だって。


 ――調子狂うなぁ。ところで、その本、今日も持ってきたの?

 えっ?


 ――えっ? じゃなくて、その緋色の表紙の本だよ。春に読んでいるのを見かけたけど、まだ読み終わってないの? ってか、ほとんど読んでないよね? 今だって別の本を読んでいる最中でしょ?

 あっ、いや、次に読もうと思って、持ってきたんだよ。うん、そうだ。ミステリ研究会だからね。本格ミステリの一つや二つ、読んでおかないと。


「おや、珍しく殊勝な話じゃないか」

「えっ?」


 当たり前のように掛けられた先輩の言葉で我に返る。目の前では昼ごはんを終えた先輩が、また新しい本を読んでいる。


「ところで二つほど言わせてもらっていいかな?」


 本から目を上げた先輩がたずねてくる。大きな榛色の目に見つめられて、俺は無言で首を大きく縦にふった。その様子が面白かったのか、榛色の目が月のように弧を描く。


「一つ。私の記憶が確かなら、カップラーメンというのは三分から五分程度でできるものと記憶しているのだが、違ったかな?」


 カップラーメン? と、ローテーブルに目をやった俺は、あっと声を上げた。

 そうだ! 昼ごはんに購買で買ったカップラーメンを作っていたんだった。


「やばい!」


 慌てて蓋をあけると、今にもあふれんばかりに膨れた麺。明らかに時間を置きすぎたその姿にため息をつく。まぁ、食べ物は粗末にしたくないから食べるけどね。


「そして、もう一つ」


 もそもそとカップラーメンを食べ始めた俺に先輩が言葉を続ける。


「本は読むためにあるのだよ」

「ふぁい?」


 何を当たり前のことを?

 口の中が麺でいっぱいなので、こもった声になってしまった。そんな俺を眉間に皺を寄せて先輩が見てくる。


「だから、本は読むためにあるのであって、そのようにカップラーメンの蓋をするものではないと言っているんだ」

「んぐっ」


 ローテーブルに向けられた先輩の視線を追う。指摘の意味がわかった俺の口から、また変な声がもれる。

 そこには緋色の表紙の本がおかれている。そして、ほんの数秒前まで、その本はカップラーメンの上に載っていたのだ。


 いや、丁度よかったのよ。蓋するのにさ。

 カップラーメンの蓋とするために持ち歩いていたのか、と揶揄する声を聞いた気がして、心の中で弁解する。読もうと思っているんだよ。うん、多分。


「何が、本格ミステリの一つや二つ、読んでおかないと、だね」

「ひや、ひゃっはりくちにたしてまふ?」

「何を言っているのかわからんよ。物を食べながら話すのはやめたまえ」


 慌てて口の中の麺を飲み込んで、改めて先輩にたずねる。


「あの、俺、やっぱり口にだしてます?」


 本当に口に出ているとしたら、恐ろしいことこの上ない。早めに対策を考えないと。


「そんなことより、昨日の宿題の答えはでたのかな? 優秀な助手君よ」


 そんな俺の心配はいつものごとく華麗にスルーされて、あっさりと話題は昨日の話に変わる。いや、いつものことだからね。大丈夫。もう気にしないと決めたんだ。

 若干不貞腐れながら、俺は家庭科準備室から見える渡り廊下を指し示す。そこには立花先輩と副部長の大宮先輩が仲良く学食に向かう姿があった。

 

「これが答えですよね。演劇部のナラボートは見事サロメを射止めた、というわけですか」


 舞台のサロメではナラボートは失恋の末に死んでしまうが、演劇部のナラボートは違ったようだ。


「おや、モナミ。君にしては気の利いた言い回しじゃないか」


 マグカップのココアを飲みながら先輩が笑う。


 大宮先輩は立花先輩が好きだった。人前に出るのが苦手な大宮先輩の演劇部に入った理由も、機械周りが好きだったからなんかじゃない。ただ立花先輩の側にいたかったから。


 そして、七つのヴェールの踊りはサロメがヘロデ王を誘惑する踊り。そんなものを好きな人が全校生徒の前で踊るなんて大宮先輩には耐えられなかった。


 だから、ヴェールを盗んだ。文化祭が間近に迫ったあの時点でヴェールが無くなれば、踊りのシーンは諦めざるおえないと考えて。

 もちろん、差し替えるための照明と音楽もすでに準備万端だった。そうじゃなきゃ、あの短時間で、あんなにぴったりの演出は用意できなかっただろう。


「それにしてもヴェールはどうやって隠したんですかね」


 俺の言葉に先輩が笑う。


「簡単な話さ。部室の鍵を開けた後に、大宮君がポケットにねじこんだのさ」

「えっ? そんな馬鹿な。あんな大きなヴェールですよ。それに立花先輩も言っていたじゃないですか。あのとき部室には他の部員もいたって」

「モナミ、今日は立花からヴェールを借りてきているんだ。今、持っているのだが、どこだと思う?」


 急にそう言うと先輩がソファから立ち上がる。もちろん、その手に真っ赤なヴェールはないし、肩にかけているわけでもない。ヴェールの入った紙袋がソファに置かれているわけでもない。


「先輩、何の冗談ですか。って、えっ?」


 おもむろにスカートのポケットに手を入れると、先輩の手には真っ赤なヴェールの裾が握られている。そのままスルスルとでてきたのは、サロメで使われたあのヴェール。


「ヴェールはとても薄くてね。丸めてしまえば、このとおり。ポケットに入れてもわからないくらいの大きさなのさ」


 フワリと真っ赤なヴェールを肩にかけながら、先輩がほほ笑む。その姿はサロメというより、天女のようだ。羽衣を取り戻したら天に帰ってしまうという、あの天女だ。


「それに」


 ぼんやりとしてしまった俺を先輩の声が現実に引き戻す。


「モナミ、君の大切な緋色の表紙の本はどこにいったのかな?」

「えっ?」


 その言葉にローテーブルを見れば、さっきまでそこにあったはずの緋色の表紙の本がなくなっている。


「先輩、本はどこに? って、えっ? いつの間に?」


 目線を先輩に戻すと、その右手には緋色の表紙の本が握られている。ずっと向かい合わせで座っていたはずなのに、いつの間に?


「ほらね。見ているようで見ていない。人なんてそんなものなのだよ」


 お返しするね、と先輩がローテーブルに緋色の表紙の本を置く。


「つまり、大宮先輩は部室を開けてヴェールがないと騒ぎ、他の部員たちがヴェール探しに気を取られている隙にポケットへねじ込んだ、と」

「そういうこと」


 うなずく先輩に俺は、なんだ、と少しがっかりする。

 

「大したトリックじゃなかったですねぇ」


 伸びた上に見るからに冷めきったカップラーメンを横目に俺は先輩に呟く。


「真実とは往々にしてそういうものだよ」


 先輩は満足そうにココアを飲みながら俺に答えた。

 

 こうして、ヴェール紛失事件は一つの片想いを成就させるというおまけ付きで、無事に解決したのだった。


 *****

 読んでいただきありがとうございます。

 ここまでのお話の中に隠れたもう一つの謎に気が付いたでしょうか?

 次からはそちらの解決編になります。

 少しでも面白いなとか、続きが気になるな、と思っていただけたら、感想や評価をいただけると嬉しいです!

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