第18話 とある演劇部員の片想い【解決編】①

 立花先輩が家庭科準備室を訪れた日から数日後。文化祭では予定どおりサロメが上演された。

 サロメ役の立花先輩は真っ赤なヴェールを纏い、舞台は大盛況で終わったのだった。


 そして、文化祭の翌日。放課後の家庭科準備室には再び立花先輩の姿があった。


「悪くなかったじゃないか」

「良かったですよ。七つのヴェールの踊り、でしたっけ? あのシーンも照明と音楽がすごい綺麗でした」

「確かにあの演出はよかった。中学生の立花が無理して踊るより正解だったろうね」

「ありがとう」


 先輩の嫌味は華麗にスルーして立花先輩が笑う。その満足そうな笑顔は見惚れる程に華やかだ。さすがは自在の魔女。オーラが違う。


「ところでヴェールは見つかったんですね」

「えっ、あぁ、うん、そうね」


 あれ? 立花先輩の反応に俺は首を傾げる。

 さっきまでのオーラはどこへやら。歯切れの悪い返事とともに立花先輩の目が彷徨う。心なしか顔が赤いような。


「あの、どうしたんですか?」

「ねぇ! アガサさんは気が付いていたの?」


 そう言った立花先輩は、なぜか先輩ではなく俺に詰め寄る。心なしか、どころか、その顔は真っ赤だ。


「えっ? 気付いていたって、何を」


 っていうか、なんで俺に詰め寄る? 先輩にきいているんだよね? 迫るなら先輩じゃないの?

 助けを求めるように隣の先輩に目を向ける。と、クツクツと笑う先輩と目があった。


「失礼。私が知っていたのは立花と大宮が幼馴染だということだけさ。あとは私の」


 目尻に浮かんだ涙を拭って、ココアを一口。そして、わざとらしく間をおくと、先輩は見事なまでのドヤ顔で続けた。


「灰色の小さな脳細胞に少しばかり働いてもらっただけさ」

「ねぇ! いつ気が付いたの?」


 ローテーブルから身を乗り出してくる立花先輩に仰け反りながら、俺も先輩を見る。いつ? っていうか、立花先輩は何を言っているの? 全然、話が見えないんですけど。

 ってか、立花先輩の圧がすごい。美人に迫られる、なんて、字面だけみれば嬉しい展開ってやつなんだろうけど、この状況は全然嬉しくない!


「あぁ、モナミ。君の灰色の脳細胞はまだお休み中かい?」

 

 うわぁ、腹立つ!

 尚も面白そうに笑う先輩の悠長な姿に、俺と立花先輩のこめかみがピクピクしてくる。でも、そんな俺たちの苛々を気にも留めずに先輩は滔々と話し続ける。


「モナミ、サロメのあらすじは調べたかな? 先日も言ったが、ナラボートは大宮君、これが答えだよ。立花、君への答えもこれで十分だろ?」

「ナラボートが副部長」


 なんのことだ? と首を傾げた俺とは正反対に、立花先輩は大きく目を見開いている。

 

「参ったわ。降参。さすがは家庭科準備室の名探偵だわ」


 たっぷりと間をあけた後、突然、立花先輩がそう言って肩をすくめる。やっと立花先輩の圧から解放された俺は、思わずホッと息を吐く。


「今回はありがとう。演劇部の部長としてお礼を言うわ」

「えっ? 立花先輩?」


 急に頭を下げる立花先輩。

 全く話が見えない俺は戸惑うばかりだ。そんな俺の隣で先輩が意地悪そうに笑う。


「おや、演劇部の部長としてだけかい?」

「それに、私、個人としても、ね。アガサさんにも、お礼を言っておいてね」

「えっ?」


 ちょっと不貞腐れたように付け加えた立花先輩。よく見るとその耳が少し赤い。

 そして、用事は済んだとばかりに家庭科準備室を出て行く。結局、最後まで先輩とは目を合わせずに。


 残された俺はいろんな意味で戸惑いを隠せなかった。

 立花先輩のお礼の言葉は、どうやらヴェールが見つかったことだけではないみたいだ。

 

 それに。

 どうして先輩を無視し続けた? 先輩はずっと目の前にいたのに。


「モナミ、どうしたんだい? そんな怖い顔をして」

「えっ?」


 唐突にかけられた言葉にハッとする。

 榛色の目が俺をじっと見つめていた。言葉の軽さとは裏腹に、その目に笑いはない。


 聞いていいのか? いや、聞くって何を?


 何も言えずに榛色を見つめ返すことしかできない俺。でも、その目からは何の感情も読み取れない。

 

 気まずい沈黙が家庭科準備室に広がる。と、先輩がフッと笑った。

 

「いやいや、どうやら立花をからかいすぎたようだね。これは後が怖いな」

「えっ?」

 

 何事もなかったかのように告げる先輩の言葉に、反応が一拍遅れる。


「おや、モナミは気が付かなかったのかな。あれは立花なりの意趣返しってやつさ」

「意趣返し?」

「まぁ、モナミは乙女心ってやつに疎いからねぇ」


 そう言ってニヤリと笑う先輩に、俺はやっと話が見えてくる。

 どうやら立花先輩の徹底した無視は、先輩の意地悪に対する意趣返しだったらしい。

 

「なんだ、そういうことですか」


 全く。変な心配をしちゃったじゃないか。

 ホッとしたら、別のことが気になった。


「いやいや、乙女心に疎いってなんですか!」


 失礼な! 俺だって健全な男子高校生。乙女心の一つや二つ。


「おや、モナミに立花の意趣返しの意味がわかったのかな?」


 わかりません。

 いや、なんとなくヴェールだけじゃなくて何かあるんだろうなぁ、とは思ったけどさ。

 

「あの、意趣返しって」


 言いかけた俺の目の前で、先輩のすらりとした人差し指が振られる。


「ノンノン。モナミ、灰色の脳細胞には運動が必要だよ。少しは自分で考えてみたまえ」


 先手を打たれてしまった。


「さて、今日は用事があるので早めに失礼させていただくよ」


 そう言って先輩も家庭科準備室を後にする。

 どうやら立花先輩の意趣返しの謎は、明日までの宿題らしい。


 先輩も帰ってしまったし、俺も今日は早めに帰ろうかな。そう思って、ローテーブルに残されたマグカップへ手を伸ばす。


「あれ?」


 予想外の重さに声をあげる。確認すればマグカップの中にはココアがたっぷりと残ったままだ。


「珍しいな。先輩がココアを残すなんて」


 片手にマグカップを持ちながら、反対の手で自分の使っていたティーカップを持とうとした俺は、もう一度、あれ? と声をあげた。

 

 ローテーブルに緋色の表紙の本がない。

 

 はて、どこに置いたのだろう? と考えて、鞄の中だと思い出す。そうか。今日は家庭科準備室に来て、すぐに立花先輩がたずねてきたから出す暇がなかったんだ。


「そういえば、なんで持ち歩いてるんだっけ?」


 ふとこぼれた疑問。よく考えたら、緋色の表紙の本をいつも持ち歩いている。今読んでいる本は他にあるのに、なんで?

 決して軽くはないハードカバーの本。邪魔でしかないはずだ。

 でも、毎日持ち歩いているし、なんなら、家庭科準備室へ来るたびに鞄から取り出している。

 

 とはいえ、ぽろりとこぼれた疑問は、一人ぼっちの家庭科準備室では誰かに届くはずもなく。結局、答えのないままに静かに消えたのだった。

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