第6話 とある天文部員の苦悩【解決編】②
「上手くいったみたいで良かったですね」
軽い足取りで彼女の元へ去っていったジュンジを見送っていたら、なぜか背後から殺気が。
「ほぉ、モナミは彼女を募集中なわけだ」
口調こそのんびりしているけど、言葉にこめられた圧が凄い。
「あの、先輩、どうしました?」
「別に! ところでココアのお代わりはまだかな?」
いやいや、お代わりなんて頼まれてないし! なんて言い返せるはずもなく。俺はしずしずと先輩からマグカップを受け取って、コンロに向かう。
「そういえば、水崎さんがそっけなくなった理由って、結局何だったんでしょうね。やっぱり、乙女心と秋の空ってやつだったんですかねぇ〜」
重い空気をなんとか変えようと声をかけたものの、先輩の返事はない。
「あの、俺、何か気に障るようなこと」
耐えきれず振り返ると、そこには予想に反して目を丸くした先輩が俺を見つめていた。
「えっ? あの」
てっきり怒っているものと思っていたから、その表情に思わず言葉を失ってしまう。
「本気で言っているのか?」
あ然とした顔のまま、先輩が俺にたずねる。違うんですか? と応えたら、大きなため息が返ってきてしまった。
「モナミ、少しは君の灰色の脳細胞に運動をさせるべきだよ」
「どういうことです? 何かわかっているなら教えてくださいよ」
「だから、君の灰色の脳細胞に」
「はいはい。運動は今度させますから」
俺の言葉に先輩がやれやれと肩をすくめる。その姿に俺はわくわくする。さぁ、名探偵の謎解きの始まりだ。
「ところでココアはまだかな。灰色の脳細胞には糖分が必要なのだよ」
「はい。ただいま!」
先輩のココアと一緒に自分の分の紅茶も淹れてソファにつく。
「さぁ、先輩、教えてください! 水崎さんはどうして告白をオッケーした後にそっけなくなったんですか?」
詰め寄る俺を焦らすようにゆっくりとココアを一口。満足気ににっこりとした先輩は徐ろに話を始めた。
「私は少し前に一度、水崎さんとお話をする機会があってね」
「んっ? この前はそんなに親しくないって言ってませんでした?」
「親しくはないよ。お話したのも一度きりだ。ただ、お話をしたのは校庭脇の水道でね。さて、水道で私と水崎さんが何をお話したと思う?」
そう言うと先輩はまたココアを一口。どうやら俺の回答を待っているらしく、そのまま黙り込んでしまう。
「そんなのわかりませんよ。俺がそこにいたわけじゃないし」
俺の言葉に先輩は人差し指を左右に振る。ノンノンと今にも言い出しそうな顔で一言。
「モナミ、大切なのは観察とそれを結びつける少しの閃きだよ。さぁ、君の灰色の脳細胞に号令をかけるんだ」
わかるかぁ! と言いたいけど、何か答えないことは続きを話してもらえそうにない。諦めた俺は一応考えてみることにした。
校庭脇の水道ってことは体育の後とか? でも先輩と水崎さんじゃ、学年が違う。じゃあ、先輩と水崎さんに俺の知らない共通点があるとか?
まさかねぇ、と思いつつ、俺は捻り出した推理を言ってみた。
「実は先輩と水崎さんは昔からの知り合いで、昨日より前に水崎さんからジュンジのことを相談されていた、とか?」
「モナミ、君の想像力は素晴らしいね。作家になることをお勧めするよ」
「えっ、まさか!」
「まぁ、今回の事実とは異なるけれどね」
違うんかい! ニヤニヤしながらココアを飲む先輩を俺は恨めしそうに睨みつける。
「失礼。お遊びが過ぎたね」
やっぱり揶揄ってただけか! ジト目で睨む俺に、そんなに怒らないで、と笑いながら先輩が続きを話し始める。
「水道で水崎さんが困っていたところを少しお手伝いしたのさ」
「水道で? 困ってた?」
「そう。彼女は体育の授業終わりに水道で顔を洗っていた。そして、コンタクトレンズを落としてしまったのさ。コンタクトレンズ自体は一日使い捨てのタイプで教室に予備もあるということだったのだけれど、如何せん彼女は目が悪くてね。一人では教室に戻れず難儀していたところをお手伝いしたんだ」
その言葉に俺は驚く。そんな話、初耳だ。
「えっ? 水崎さんって目が悪いんですか? あっ、そういえば昨日も水崎さんは眼鏡をしているかって聞いてましたね。でも」
「そう。緑川君は合宿中ですら水崎さんが眼鏡をかけているところを見た事がなかったと言っていた。それはなぜか?」
そう言って先輩が俺を見つめる。目が悪いのに眼鏡をしていない。そのわけは。
「そうか、眼鏡じゃなくて、コンタクトレンズだったのか。でも、それとそっけなくなったことに何の関係が?」
「緑川君が水崎さんを天体観測に誘ったのは、いつだったかな?」
先輩の言葉に俺は、あっ、と声を上げた。ジュンジが声をかけたのは風呂の後。そして、水崎さんは目が悪いのに眼鏡をしていなかった。
「お風呂の後、部屋に戻って寝るだけの時間。当然コンタクトレンズは外していただろうね」
「つまりジュンジが声を掛けたとき、水崎さんは裸眼だった。だから、ジュンジの名前を呼んだんだ」
「まぁ、声で緑川君だとわかったのだろうけれど、確認したかったのだろうね。でも、緑川君はきちんと答えなかったんじゃないかな。私が確認したときも彼の返事はあいまいだった」
確かに。水崎さんが良く見えていないなんてジュンジは思っていなかったはずだ。告白前の緊張もあってきちんと返事をしなかった可能性はある。
「告白は了承したものの、翌日になって水崎さんは不安になってきた。あの時、告白してくれたのは本当に緑川君だったのだろうか、とね。下手に親しげにして万が一違っていたら大変だ。とはいえ、昨日告白してくれましたか、なんて聞けるわけもない」
「その態度を見てジュンジも不安になったわけだ。そしてお互い声を掛けられないまま、二人はすれ違ってしまった」
俺の言葉に先輩が、正解、とうなずいた。
「でも、そんなに目が悪いなら眼鏡を持ち歩きそうなものじゃないですか? 眼鏡ならすぐかけられるし、そうすればこんな風にすれ違わなくて済んだのに」
俺の言葉に先輩が、やれやれ、とため息をつく。
「モナミ、君は乙女心というものをもう少し学ぶべきだね」
「どういうことです?」
「水崎さんはかなり強い近視だ。近視用の眼鏡は目が小さく見えてしまうんだよ。彼女のチャームポイントの一つは大きな目。好きな人の前では少しでも可愛くいたいと思うのが乙女心というものさ」
「そういうものですかねぇ」
「そういうものなのだよ」
そう言って先輩は手にしていたマグカップをローテーブルに置いた。
「さて、ココアも飲み終わったことだし、私はそろそろ帰るとするよ。モナミ、君はどうする?」
「あっ、俺もカップを片付けたら帰ります」
「では、鍵はお願いしていいかな」
うなずく俺を見て先輩は家庭科準備室を出ていった。
カップやティーポットとかを洗いながら俺はふと思い出す。そういえば、あの時、先輩怒ってなかった? 俺がジュンジに水崎さんの女友だちを紹介してってお願いした時。まぁ、もちろん冗談だったけどさ。それに。
モナミって同性に使う時と、異性に使う時で意味が変わるんだけど。
「先輩、わかってます?」
俺の問いかけはマグカップだけが聞いているのだった。
*****
読んでいただきありがとうございます!
先輩の好きなミステリの女王のあのシリーズは、私も大好きなシリーズです。癖の強い探偵と人の良い相棒ってコンビっていいですよね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます