客が来ない探偵事務所 8
時計の針が22時を回ろうとしたころ、ようやく全てが片付き『バラウル』の門にたどり着いた。
門につけているガス灯がゆらゆらと二人の影を揺らしながら出迎えている。
ふと小さい頃に旅行に行きがちだった両親を思い出した。
あの頃、家の窓から両親が帰るのをずっと待っていた。
両親が帰って最初にみる姿はいつもこのガス灯に照らされた両親の姿だったのだ。
きょろきょろと見渡すメアリーの横で門を開け入る。
だがメアリーはガス灯を眺めたままで中に入ってこようとはしなかった。
そんなに物珍しいものなのかと思いながら自分も見渡したがさっぱりと理解ができなかった。
「今日からここに住むんです。この先嫌というほど見る機会があります。
さぁ、どうぞ。雨も降ってきましたし早く入りますよ。」
そう言いながらメアリーを誘導し、扉の前でも全く同じようなやり取りをしてエドワードはバラウルへ帰宅した。
メアリーは遠慮がちに二度三度扉を叩き、それが礼儀だと言わんばかりに「どうぞ」と言われてから入ってきた。
急に降り出した小雨のせいで、ゆっくりと入ってきたメアリーの髪はしっとりと濡れて重みを感じさせた。
「おじゃまします。」
入ってすぐに真新しいタオルを渡すと、昨日来た距離をとりたがる女性とは全く異なり、メアリーはすぐにタオルを受け取り自分の髪を拭いた。
比べれば比べるほど依頼人の女性の方がよっぽどヴァンパイアに思える。
メアリーが髪を拭くのを見ながら昨日から続くヴァンパイア騒動を思い出す。
昨日までは依頼がくるとも思わなかったし、まさか住民が増えるとは思いもしなかった。
それが夢かと思うほどの急展開でこうなった。
「ありえない」と小さくつぶやき笑みがこぼれる。
遠目で見る彼女のオッドアイは何度見ても不思議な感じがする。
右目が青で左目が金、その瞳の色はまるで猫にだけ許されたかのような色合いだ。
この瞳のせいで書店の店主曰く学校では疎まれているらしい。だが、とんでもない。
疎まれるどころか魅了されてしまいそうなほど引き込まれるように綺麗な瞳だった。
じっと眼を見つめる視線に気づき恥ずかしくなったメアリー、下を向き顔を拭いていたタオルで顔を隠した。
「あ…あの、ありがとうございます。それで私はどうすればいいのでしょうか?」
「とりあえずあちらでお茶でも飲みながら話しましょう。」
頷いたメアリーはエドワードに案内された入口正面にあった囲炉裏に大人しく座った。
そして未だ濡れている髪を丁寧に拭きとり続けた。
メアリーが濡れた髪を拭きながらあちこちを興味深そうに見た。
時に首をかしげ時に目を輝かせながら。
その姿は書店で見てきた大人びたものではなく年相応で、ようやくメアリーがまだ高校生なのだと腑に落ちた。
「あの、この魚なんですか?フックが下に…」
目の前にあった囲炉裏をメアリーを指した。
「自在鉤ですよ。ここに鍋をかけるんです。」
「竈みたいに?」
「そう。窯と似ていますね。」
そう聞くとメアリーは魚を触ってみたりフックを少しひぱったりしてから慌てて「触ってダメなものでしたか?」だなんて尋ねるものだから可笑しくて仕方がなかった。
ようやく囲炉裏を満足するまで見終わると、今度は壁にかけられた時計を興味深そうに見始めた。
「今後のことですが」
そう言い始めると不思議な物を見て高揚した気分が一気に覚めてしまったように、メアリーは途端に笑顔を消した。
表情は未だ笑顔だが、どこか空元気で心の底から笑っているわけではないという笑顔だった。
「書店でも話しましたが、しばらくの間ここで身を隠してもらいます。
依頼人があなたを探している以上自宅は危険ですし、ここの方が安全でしょう。」
「はい」と静かに答えるメアリー。
不安があるのは当然だし、それを俺も理解していた。
「初対面の私と同居というのは抵抗があるでしょう?」
否定するように首を振るメアリーに家の鍵と部屋の鍵を渡した。
「部屋数もありますし部屋には施錠もできます。
バストイレやキッチンは共同になって申し訳ないのですが、自由に使っていただいて構いません。
不自由なことがあれば言っていただければ極力善処するので安心してください。」
手渡された鍵を握りしめるメアリー。
安心しろと言われて安心できるわけがない。
顔見知り程度の男、しかも依頼ではあるが殺すと言われた男の家なのだ。
普通に考えたら怖いし拒否しか選択肢にはないだろう。
ここで無理だということなら今日は無理だが明日にでも別の場所を探せばいい。
そう提案しようとした瞬間、メアリーは意を決したように話した。
「さっきは頷いてしまったんですが、やはりご迷惑じゃ。」
遠慮の言葉。
断るための口実だろうか?
「貴方に動き回られる方が依頼を受けた身としては迷惑です。」
だったら別の場所を探そうと優しく言うつもりだったのに、言葉は嫌な引き留め方をする。
本当になんなんだ。
せめて心配だから傍にいてほしいと言ったほうが不審者っぽいが何倍もマシだ。
「そうですか。」
怒ってもいい言い方だったのに、怒りも拒絶もなかった。
メアリーはどうしてこんなにも申し訳ない顔をするんだろうか?
親切で子供を親元に返したら事件に巻き込まれ命を狙われる。
挙句の果てに働いていた仕事場や学校まで通えなくなるだなんて、それはもう怒ってもいいくらいだというのに。
そのことについても怒る気配すらない。
どこか全てを諦めているメアリーの反応に次第に提案したエドワードの方がむかむかとしてきた。
「おかしい!絶対怒ってもいいんだ!」
飲んでいたカップを置き、そう言おうと一呼吸した時メアリーの表情を見てエドワードは言葉を失った。
メアリーの顔にはなんの感情もなかったのだ。
ただ淡々とこうなっても仕方ないという表情なのだ。
エドワードは怒りを口にするのをやめ、代わりに彼女がまた自分の居場所を見つけられるよう提案をした。
「言い方が悪くて申し訳ない。
貴方がここにいてくだされば私も助かります。」
「ですが、私はなにも出来ませんしお客さんのご迷惑にしかなりません。」
「エドワード」
「?」
「ここは書店ではないんです。お客さんではなくエドワードと呼んでください。
どうしても気が引けるというならアシスタントとして働いてくだされば十分助かるのですがいかがでしょうか?
社内でのお仕事をお願いするので安全だと思いますし。」
「アシスタントですか?エドワードさんの?」
表情のなかった顔にわずかだが明るみがさした。
もう外にでることさえ許されないと思っていたメアリーになにか気晴らしになればと提案したが、思いのほか喜ぶメアリーをみて提案して良かったと心から思った。
「えぇ。とりあえず調べることは今のところ貴方のことだけですし、手伝っていただいて早く解決したほうが元の生活にも早く戻れます。その方が貴方にとってもいいかと。」
「そうですね!よろしくお願いします!
迷惑にならないように頑張りますのでアシスタントとして働かせてください!」
言葉を取り消されるまいと提案を聞くと勢いよくメアリーは二つ返事をした。
***
メアリーは今日辞めたいと店主に伝え、エドワードが席を外した時言われたことを思い出した。
『エドはあんなだが人を助けるその一点においては俺の知っている限り一番の男だ。
まぁ普段はだらしがないしアホじゃから騙されることも多いんじゃが、騙される度にあいつは「助けられればそれでもいい」っつっとったわ。
本当にあいつは呆れるほど底抜けのお人よしなんじゃ。
ワシはそういうエドが騙されるのを黙って見とれんかった。何度エドに忠告したことか数えきれん。この先ずっとそんな思いをエドはしていくのかと心配もしていたんじゃ。探偵なんてやっていたら尚更じゃ。
だが、お前さんがそんなエドの隣にいてくれるなら安心じゃな。』
店主はそう言うと何も聞かずただ一言『エドを頼む』とだけ再度言いメアリーを送り出した。
こうして、客の来ない探偵事務所バラウルに一人アシスタントが加わった。
名前はメアリー・ブラッド
赤毛を染めたピンクのツインテールにオッドアイをもつ命を狙われる彼女の罪が晴れるかはまた先の話。
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