第8話 海風、最後のカフェ(2)


 空には白い雲が浮かび、太陽は元気いっぱいに日差しを放っている。良すぎるくらいに良いお天気だ。

 コンビニに到着すると、彼の自転車が止まっていた。


 中を覗くとレジにはスポーツドリンクを2本手に持っている彼の姿があった。

 彼はこちらに気づいて私に笑顔を向け、会計を終えて出てくる。

「暑いのに外で待たなくても」

「涼みにお店に入るって、冷やかしみたいで嫌じゃない?」

「冷やされてるのに冷やかしだね」

「あんまり面白くないよ」



 そんなくだらない会話をあいさつ代わりに海浜公園に向かう。

 日に焼けた彼の肌は燦燦と輝く太陽の光がよく似合う。


 自転車を漕いで15分。長い防砂林に沿って進んでいると「あと1㎞」と書かれた看板を通り過ぎる。まだ1kmもある。

 時間はあまり経っていないが日差しに体力を奪われる。私が汗をかいて必死で自転車を漕いでいるのに、彼は涼しい顔で「頑張れ」と応援してくる。彼もけっこう汗をかいているが、それでも爽やかでズルい。



 そうしてやっとの思いで海浜公園に到着した。

 眼前には芝生が広がり、その向こうから強い海風が吹いて来る。自転車を自転車置き場の柵に立てかけるように止める。

 近くに屋根付きのベンチがあったのでそこに座り休憩する。

 風が私の汗を攫(さら)って行く。秋の気配はないが、海の向こうには夏の終わりが近づいている。


 彼がスポーツドリンクを差し出してくる。

「頑張ったね」

「ありがと、これいくらだった?」

「いいよそれくらい」

「昨日も払ってもらったのに悪いよ」

「今日来てくれただけでお釣りがくるよ」

「なにそれ、キザだねぇ」


 彼から渡された少し温いスポーツドリンクをごくごくと飲む。気づくと半分もなくなってしまった。持ち歩くのが楽になっていいけど、一気に飲むのは可愛くなかったかな。反省だ。

 呼吸が落ち着き、汗が流した日焼け止めを塗り直す。塗り終えると二人はなんとなく立ち上がった。目を合わせて笑ってしまう。阿吽の呼吸、以心伝心だ。



 歩道に沿って歩き、低い堤防の階段を下りると整備された海岸に出る。海浜公園は砂浜ではなく岩のブロックで出来た人工の海岸になっている。嗅ぎ慣れた潮のにおいと遠くの海で鳴くカモメ鳴き声。この海浜公園は嫌いじゃない。


「ねぇ、今日はなんでここに来たの?」

 なんとなく聞いてみると、彼の答えまで少し間がある。

 彼は遠くの船を見ていた。

「なんか、海見るの好きなんだよね」

「私も好きだけど、暑くてのんびりできないね」

「流石に暑すぎるね」


 彼は船から目を離し、辺りを見回す。

 しばらくキョロキョロとして、何かを見つけて口を開く。

「あれ?あそこのアレ、カフェかな?」

「あ、ほんとだ。見たことないや。最近できたのかな」

「だと思うけど、どうだろう」

 堤防の奥に木造の小さな平屋があり、その前には大きなソフトクリームの模型が立っているのが見える。その前には柴犬も繋がれていた。暑いのに大変だなぁ。


 お店に近づいてみると、柴犬は入口の庇(ひさし)の影の下で脚を投げ出して横になっていた。よく見ると犬用の靴を履いており、肉球の暑さ対策もばっちりのようだ。


 お店の中を窺うと店内の右側にカウンターがあり、左側には4人掛けの四角いテーブルが4つある。お店の奥にはテラス席があり、夏でなければ気持ちよさそうだ。

 カウンターの中ではエプロンをつけた白髪の老夫婦がコップを磨きながら談笑しており、入り口に近いテーブルには整えられた口ひげがダンディなポロシャツを着た男性が1人座っていた。

「入ってみようか」

「うん」


 お店に入るとそこにはエアコンの効いた極楽空間が広がっていた。

 老夫婦が気づいて「いらっしゃいませー」と笑顔で迎えてくれ、「どこでも座ってください」と言うので一番海側のテーブルに座る。

 大きな窓に近寄ってテラス席を見ると、木製の柵の上でサギが微動だにせず海の方を見ていた。


 テーブルの端に立てられたメニューを取ると「先に選んで」と彼が言ってくれる。

 彼にも見えるようにメニューを横向きに開くと、オシャレに撮られたいくつかの写真が並んでいる。

 どうやらマスターこだわりのブレンドコーヒーが推しのようだ。私が「コーヒーか」と小さく言うと、彼は「実は俺コーヒー飲めないんだよね」と恥ずかしそうに溢す。私が「私もだよ、苦いよね」と返すと安心したような顔になるのがかわいい。


 おいしそうなパンケーキの写真とシンプルなソフトクリームに惹かれる。よし、オレンジジュースとソフトクリームにしよう。

 そう決めてメニューから目を上げると彼と目が合う。

「決まった?」

「うん」

「なににするの?」

「オレンジジュースとソフトクリーム」

「いいね、俺は紅茶にしてみようかな」

「あー、紅茶なら飲めるから私も紅茶にしようかな」

「アイス?ホット?」

「んー、ソフトクリームがあるからホットでもいいかな」

「じゃあ俺もソフトクリームを頼もう」

「いいね、おそろっちだ」


 彼が手を上げると、奥さんの方が「はいー」と言って近くにくる。

「ホットの紅茶とソフトクリームを2つずつお願いします」

「紅茶なら、ティーポット1つでカップを2つご用意しますね」

「じゃあそれでお願いします」


 奥さんは注文をメモし終えると「これお願いね」とマスターにカウンター越しにメモを渡す。そして、こちらに向き返り「お二人はカップルで?」と不躾な質問を投げかけてきた。


「いえ、まだ。まだというか、違いますね」

 彼は答え、恥ずかしそうな顔をする。

「そう?私達ね中学生の頃からお互い好き同士だったのよ。でもね、この人ったらツッパっちゃって「俺は女なんて作らねぇ」って皆の前で言っちゃったもんだから、後に引けなくなったのね。せっかく私が同じ高校に行ってあげたのにぜんぜんデートに誘ってくれかったのよ」

「おいおい、若いのに絡むんじゃない」

「いいじゃないの、若者の背中は押してあげなくちゃ」


「それでね、私からデートに誘ったら「行かない」って言うからね、「駅に12時に待ってるわ」って一方的に言って答えも聞かずに帰っちゃったの。そうしたらこの人、11時には来ててね、合う前にカフェでゆっくりしようと思って行ってみたらもう待っててビックリしちゃったわよ」

 私に向かって言うから私は適当に返す。

「なんかロマンチックですね」

「女の子からのアタックも大事よ。男が意気地なしになってるときは、女の子が引っ張るターンだと思わないとね」

「は、はい」


「もうその辺でいいか?これお願い」

 マスターがお盆にオシャレなティーポットとカップを載せながら言う。

「はーい、こちらダージリンティーです。ゆっくりと、お楽しみください」

「ありがとうございます」


 2つのカップに丁度よく注ぎ、1つを彼に渡す。

 銀色の小さなカップにミルクが入っていたから「使う?」と聞くと、「1杯目はいいや」と返ってくる。

 私もそうしようと思いミルクを置いて、紅茶を飲もうとする。でも、熱いのが怖くて口に近づけただけになった。

 そこへ彼は「おいしいね」と言って来るから、私は「そうだね」と返す。熱い飲み物を出されてすぐに飲める人の舌はいったいどうなっているんだろう。



 もう一度、ひと口目にチャレンジしようとするとソフトクリームが運ばれてきた。

 プラスチックの子供用のコップの中に綺麗に巻かれており、その先端にはサクランボが乗っている。

 写真ではガラスの器だったはず……。と思ったら、奥さんの説明が入る。

「写真とちょっと違うからね、サクランボ乗っけてるの。早く写真を変えようって言っても、こっちの方が良くないか?って言うのよ。変な人でしょ?」

「違っててもサクランボがついてるとお得な気分になるだろ?」

 マスターはニコニコとしながら言う。

「サクランボついてると嬉しいですね」

 彼はマスターを肯定するが、私はサクランボが苦手な人が居たら困ると思う。



 この老夫婦と私たちはどこか似ているのかもしれない。とか考えていると、奥さんはすぐにカウンターに戻って、次に夫婦で登る山の話をしている。聞こえてくる会話を聞く限り、県内の山の制覇を頑張っているらしい。

 仲良しの熟年夫婦は見てるだけで幸せになる。

 私もこんな風な歳の取り方をしたいものだ。



 少し海を眺めて、ソフトクリームをちょっと口に含む。

 そして紅茶をちょっと飲む。これで私に熱さは効かない。

 紅茶の風味は台無しだけど。

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