第7話 海風、最後のカフェ(1)


「もう10時よ、起きなさい」

 お母さんは少し大きめの声で私を起こし、扉を静かに閉めて出て行った。

 何の夢見てたっけ。胸が締め付けらるような夢を見てた気がする。

 うぅ、昨日の疲れで体を起こすのに時間がかかる。


 今日は海に行く日。彼は起きているかな?

 スマホから充電器を抜く。まだ連絡はないみたい。起きてる?って送った方がいいのかな。いや、まだ時間はあるし、11時を過ぎたら電話しよう。



 

 お腹が空いたので1階に下りてみても朝ごはんの用意はなかった。

 お母さんの方針で朝ごはんは9時に片付けられてしまい、お昼の1品になる。


 ぐぅ~とおなかが鳴った。なんとなく冷蔵庫を開くと3個入りのプリンの1つが残っている。私のかな?食べてもいいかな?

 手に取って見ていると、ちょうどおばあちゃんがやって来た。

「これ食べていいかな」

「プリン1個で怒る人なんてウチにはいないわよ」

「でも楽しみにしてたプリンがなくなったら残念だよ」

「そうねぇ。でもそのときはホットケーキでも焼けばいいわよ。さっさと食べちゃいなさい」

「わかった、食べちゃうね」



 ダイニングテーブルの新聞を読むおばあちゃんの隣。このいつもの席でプリンを容器のまま食べる。朝ごはんには足りないけど、仕方ない。


「おはよー」

 ちょうどプリンを食べ終わったとき、お腹を搔きながらお父さんが起きてきた。

「おはよー」

 と返し、プリンの容器を捨てようと立ち上がる。

「ああ、食べちゃったのか」

 お父さんが残念そうに言った。

「あ、ごめん」

「いやいや、いいんだよ」

 お父さんはさっきの私と同じように冷蔵庫を開いている。おばあちゃんはそれを見てクスクス笑っていた。



 昨日の朝ほど心は忙しくないが、疲れもあるのかまだぽわぽわと眠気がする。

 テレビの前のソファーに移ろうと立ち上がると背中が痛いことに気づいた。筋肉痛だ。

「いててて」

 背中をさすりながらシップを探しているとおばあちゃんが、

「筋肉痛かい?」

 と尋ねてきた。

「うん。背中の下の方が痛いかも」

「そうかい」

 と言うと、おばあちゃんは2階に上がった。そしてすぐに下りてきた。手には薬箱を持っていた。


「帯なんて付け慣れてないからそうなるだろうと思ってたよ」

 おばあちゃんは慣れた様子でシップを2枚取り出した。

「ほら、こっちに座りなさい」

 私が座るやいなやTシャツをまくり上げ、2枚のシップを背中と腰の間に張り付けた。冷たさに声が出そうになる。

「ありがとう」

「いいのよ、整骨院で余るくらい貰ってるから」

「なんか効いてきた気がするかも」

「そりゃよかった。今日も遊びに行くのかい?」

「たぶん」

「そう、疲れてるでしょうから気を付けるんだよ」

「うん。ありがと」

 バレバレなのが恥ずかしいような、心配が嬉しいような。



 特にすることもないからソファーでテレビを見ていると、おばあちゃんも隣に座った。

 大したニュースもなく、不倫やら渋滞情報やらでキャスターがわざとらしく顔を歪めている。平和だ。

「何時に出る予定なんだい?」

「1時過ぎてからだよ。どうしたの?」

「お昼ご飯の時間を気にした方がいいかと思ってね」

 おばあちゃんの優しさを感じる。今日はいい日になりそう。



 頭も起きてきて宿題をしなきゃいけない気持ちが沸き上がってくる。

 結局昨日の分も一昨日の分も溜まっている。そう頭では分かっていながら、ソファーでテレビを見てゆっくり贅沢な時間を過ごす。


 ぼーっとしていると報道番組が終わり、お散歩番組が始まる。ゆったりとした時間が心地いい。タレントが“たい焼き“を食べるのを見ると、私もたい焼きが食べたくなる。

 そう言えばお父さんは冷凍庫から大判焼きを出して食べていた。ほぼたい焼きみたいなものだ。余ってたらチンして食べよう。


 冷凍庫をがさごそとすると、”今川焼”と書かれた袋が見つかる。

 お皿に1つ取り、1分温める。あちあちになった丸いたい焼きを持ってテレビの前に戻る。窓の方を見ると、いつの間にか移動したおばあちゃんが水やりをしている。

 外はとても暑そうなのに、水を見るとなんだか涼しく感じる。テレビのタレントも店の前で打ち水をする人に話しかけている。どこにも似たような景色があるものだ。


 また窓に目をやると、空の洗濯物かごを持ったお母さんと目が合う。

「そんなの食べて、お昼食べれるの?」と言ったのだろう。口の動きで分かる。いつもの言葉だ。これもたぶん、どこにでもある光景なのかもしれない。



 12時過ぎにお昼ご飯が出てきた。お昼ご飯はざるうどん。良いうどんだろうか。

 朝ごはんであっただろう卵焼きとウインナーも並んでいる。

 うどんの薬味は少しのネギと多めの生姜。サッパリしていて美味しい。


 でも、すぐにお箸が動かなくなる。

「もう、だから言ったじゃない。あんな時間におやつなんか食べて」

 予想通りの言葉をお母さんから投げられる。何も言い返せない。

「お腹減ってたんだもん」

 と小さく言ったとき、スマホに通知が入った。


 あ!彼に電話するの忘れてた!急いでソファに放置していたスマホを拾い上げる。

「なんだなんだ?」

 お父さんは驚き、お母さんとおばあちゃんは察して知らん顔をしてくれている。


「いま起きたけど、起きてる?」と、彼からメッセージが入っていた。

「起きてるよ~」と返す。他に特に言うこともないがこれだけだと寂しくて

「10時までぐっすり寝ちゃった」と付け加える。

「電話してくれよ~」と返ってくる。


 お話を続けたいけど、まだご飯の途中だしお父さんの視線も痛い。

「今ご飯中!1時半にコンビニ、であってる?」とこちらの状況を伝える。

「そ!俺もご飯だからまた後でね」と返ってくる。


 彼もご飯の時間か。同じ時間を生きているんだ。なんだか嬉しい。

 学校では給食とかで当たり前に同じ生活を送っているのに、見えない場所でも同じように生活をしていると知るだけでなんだか嬉しい。

「またあとで!」と返してスマホをポケットにしまう。



「なんだなんだ」

 お父さんがまた繰り返す。

「なんでもないよ」

 薬味を足しながら答える。一緒にいるときにお腹が鳴ったら恥ずかしいから、頑張って今食べておこう。

「乙女の秘密にずけずけと迫るのは紳士じゃないね」

 おばあちゃんがお父さんに釘を差す。でもその言い方は色恋沙汰であると知らせているような気もする。

「そうか、ごめんな」

 お父さんは素直に謝る。おばあちゃんに臆したのか、恋の話だと確信できたから手を引いたのか。急に素直になられると怖い。



 ご飯を食べ終えて部屋に戻り反省する。

 あーあ、大事なのにすぐ忘れちゃう。電話しようと思ってたのに。私にとって彼はそんなに大事じゃないのかな?いや、そんなことないはず。ずっと片思いしてきて、昨日もあんなにドキドキした。なのになんで忘れちゃうんだろう。性格の問題なのかな。嫌な性格だ。



 でもこれから会うんだから気持ちを切り替えよう。

 服はすぐに決まった。腰に大きなリボンのついた空色のワンピース。ミモレ丈のフレアライン、らしい。オシャレには疎いけど、高校生活に備えて勉強を始めた。

 知っていくとけっこう楽しい。これは今年の5月頃に買った今日みたいな日のための服。やっと出番を迎えて嬉しそうに見える。


 そういえば金魚の袋がなくなっている。わたあめもない。金魚はお母さんが私を起こしに来たときに持って行ったのだろうか。わたあめも食べちゃったのかな?なんとなく買っただけだからいいんだけど。

 トイレに行った後でお母さんに金魚とわたあめのことを確認したら、

「金魚は玄関の水槽に移して、わたあめは朝ごはんのデザートにおばあちゃんと半分ずつ食べたよ」と言われた。朝ごはんのときに一応起こしにきて、「お土産?」と聞いたら、私は「うん」と答えたらしい。

 やられた。全く覚えていない。寝言で言質を取るとはなかなかの策士だ。



 ワンピースを着て日焼け止めを塗り、小さめのハンドバッグを準備すると出発する時間が来た。

 玄関に出て白いスニーカーを履く。スニーカーは暑いけど自転車だから仕方ない。

 庭の影に止めてある通学用の白い自転車にまたがる。お父さんがスカートの巻き込み対策をしてくれており、長い丈のワンピースでも安心して乗ることができる。

 自転車止めをガコンッと外すと、庭にいたおばちゃんが気づいて門扉を開けてくれた。

「行ってきます」

「車には気をつけてね」

「はーい」

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