第6話 言葉、公園のブランコ(2)


 無言の時間が流れ、耳が鋭敏になる。静かな世界にカエルの声がよく響いている。

 車が通る音もよく聞こえる。何台も続いているが、お祭りの帰りだろうか。


 車の列が途切れたとき、彼は口を開いた。

「終わっちゃったなぁ」


 大切な言葉をうまく受け取れず、どこかに落として失ってしまった。

 けど、もう聞けない。もう一度なんて。

 代わりの言葉。次の言葉を探す。でも、どうしても見つからない。


「終わっちゃったね」

 こんな言葉しか言えない。

「じゃあ、そろそろ帰ろっか。家まで送るよ」

「え、いいよ。家反対の方でしょ?」

「自転車取りに学校寄るし、せっかくだからね」


 でも、聞き取れなかった言葉が心に引っかかって気まずい。

 でもやっぱり嬉しい。私からも言えたら良いな。彼の勇気に応えたい。


 一緒に帰っていて二人でいるところを家族に見つかると面倒だけれど、それでもいいと思えた。お父さんはきっとまだ眠っている。

「お言葉に甘えます」

「おっけー!」

 そう言った彼はブランコを数回漕いで飛び、スローモーションで綺麗に着地した。

 遠くを通りかかった車のヘッドライトの光が彼の目元でキラリと反射する。

 そして、最高の笑顔でこちらを向く。

「じゃあ行こっか」



 土手の階段を上り、家に向かって歩く。

 黙っちゃうとやっぱり気まずいから、私はくだらないことをどんどん話す。

 彼は明るく答えてくれる。今夜は暑くて寝苦しそうだとか、金魚はまだ元気か?とか、りんご飴の隣にあったいちご飴が美味しそうだったとか。

 他愛のないことを話しているうちに、いつの間にか気まずさはなくなり、いつもの二人に戻る。いつもの距離に。友達の距離に。



「明日だけどさ、海を見に行きたいんだ」

 彼は突然そんなことを言い出した。

「いいね」

「でしょ」

「何時くらいに行く?」

「んー、早起きは無理かも」

「そだね。お昼過ぎがいいな」

「じゃあお昼食べたら家を出よう」

「え?時間決めないの?」

「オシャレでしょ?」

「え?」

「嘘だよ」

 よく分からない冗談を言って一人で笑っている彼も悪くない。

 でも、いつかは初めから冗談だと解るようになって一緒に笑いたい。



 明日は1時半にコンビニに集合して、二人で港の近くの海浜公園に行くことになった。少し遠いけど夏を楽しむ最後のチャンスだし全く嫌じゃない。



「そろそろだっけ」

「うん。そこの角までで大丈夫。家族が待ち伏せしてたら面倒だから」

「そっか、なんか残念。どんな家に住んでるのか見てみたかったけど」

「ふっふっふ、秘密だよ。秘密は女のアクセサリーらしいからね」

「俺はなんでも話してくれる人の方がいいと思うよ」

「じゃあ、うち寄ってく?」

「急に積極的だね」

「こうじゃない?」

「今のままが一番良いんじゃないかな、素直な感じで」

「ほんと?自分てどんな感じだっけ」

「明日は自分探しでもしようか」

「それもいいね」



 暗い街灯が照らす交差点、街灯には蛾が集まっている。

 スマホで時間を確認すると21時くらい。そこの角を覗けば私の家が見える。

 街灯が照らす範囲の少し外で、二人は近づく別れの時間を見て見ぬふりをした。


 長いこと車すら通りかかることがなく、静かな交差点で2人きりで話をした。 

 二人の距離は手を伸ばせば届く距離。もう一歩彼に近づきたい。もう一歩だけ。


 そう思って踏み出した結果、よろけて疲れたようになってしまった。

 それを見た彼は「そろそろ帰ろっか」と言う。やってしまった。


 まだ何も伝えられてない。何も言えていない。早く言わないと。でもできない。

 喉まで出てきた言葉も、恥ずかしさと恐怖に溶けて胸の方に返っていく。



「あ、いや……。でももう時間も時間だね」 

 彼は遠回りをして反対方向の私の家まで送ってくれた。

 きっと疲れているが、これから遠くまで帰らなければいけない。自分の事ばっかりで、彼の事を考えてなかった。こんなんじゃダメだなぁ。


「門限とか大丈夫?」

「まぁ男だからね。そっちは?」

「こっちも大丈夫。たぶん。こんな時間に帰ったことないから分からないけど」

「そっか、よかった。でも明日に備えて休まないとね」

「そうだね。暑さに負けないように体力を回復しないと」

「明日は起きたら電話してくれない?夢から出れなそう」

「私もそうかも。ここは、そうだね、先に起きた方が電話しよう」

「いいね、了解」

「じゃあ、また明日」

「うん、また明日」


 月は明るいのに彼はどんどん見えなくなっていく。

 彼が振り返った気がしたから手を振った。彼が笑顔で手を振り返してくれた。

 ような気がした。そのうちに彼は完全に見えなくなってしまった。




 彼と交代で訪れた淋しさが私の足取りを重くする。とぼとぼと歩き、最後の角を曲がり家を目指す。彼となら長い距離も1秒で歩けたのに、ひとりぼっちの30mはとても長く遠く感じる。


 やっと辿り着いた家の戸をゆっくり開ける。よかった。誰も立っていない。

 リビングからはバラエティ番組かな?笑い声が聞こえる。

 草履を脱いで玄関を抜ける。音を立てないように階段を上る。


「ふぃ~」

 誰にも会わずに自分の部屋まで来れた。金魚の袋を椅子に引っかけて、クマさんの入ったショルダーバッグとわたあめを机に置く。

 そして床に座るとそのまま仰向けに倒れ込む。帯が苦しくて横に向く。

 まずい。もう動けないかもしれない。とりあえずシャワーを浴びてスッキリしたいな。でも動けない。浴衣も脱がないと。



 そうやって葛藤していたらノックもなしに急に扉が開いた。

「おかえりなさい。浴衣脱がせてあげるからお風呂場に来なさい」

 おばあちゃんはそれだけを言い残して階段を下りていった。早く行かないと。

 のそっと上体を起こす。おばあちゃんが居ないと私の人生はどうなっていたことか。元気に長生きしてもらわないと。

 冷房を入れて電気を消し部屋を出る。



 とんとんと階段を下りたところでお父さんに出くわす。

「遅かったな。楽しんだか?浴衣似合ってるじゃないか」

「うん、まぁ、楽しかったよ」

「そうか。くじは引いたか?」

「引いてないよ。約束だからね」

「そうかぁイイ子に育ってくれてお父さんは嬉しいぞ~」

「酔ってる?」

「うーん、けっこう酔ってるかも」


「早く来なさいなー」

 おばあちゃんからお呼びが入った。お父さんに色々話すのは恥ずかしい。助かった。ありがとうおばあちゃん。お父さんはへらへらとトイレに入っていき、私は脱衣所に向かう。


 脱衣所に着くと、おばあちゃんはすぐに浴衣を脱がせ始めた。すごく手際がいい。

 私は暇なのでお父さんへの愚痴をこぼす。

「もう。酔っぱらいは困るよ」

「あんたも酔ってるみたいなもんでしょ」

「ん?どゆいみ?」

「もうちょっと大人になったら分かるわよ」

「えー、分からなくていいや」

「大人になりたくないのかい?」

「大変そうだし、ずっと子供のほうが楽かな」

「心配しなくても歳を重ねれば自然と“幸せな思い出の苦しさ”にも“今ある苦しさ”にも耐えられるようになってるわよ」

「え、幸せな過去があるって辛いの?」

「昔を思い出して感傷に浸っていると「あの頃は良かった」とか思ってしまうものよ。過去の幸せな自分と、苦しんでる今の自分を比べて辛くなるの。

 でも、死ぬときに苦しい記憶ばかりが浮かぶ人生の方よりマシよね。幸せな思い出は沢山作るのよ」

「そんなこと言われたって、なろうと思って幸せになんてなれないよ」

「そうね。でも幸せになろうと思わないときっかけも掴めないわ。ほら、終わり。シャワー浴びてスッキリしなさい」

 そう言っておばあちゃんは浴衣の汚れを確認し始めた。ソースとか付いてたらどうしよう。



 お風呂場に入り、蛇口をひねってお湯が出るのを待つ。待っている間に軽い睡魔がやってくる。おばあちゃんの言葉の意味を考えてみる。恋に酔ってるってことかな?

 なんて考えていたらすぐに暖かくなった。シャワーを浴びると体のべたべた感が流れていって気持ちいい。


 ふと彼の顔を思い出す。鮮明に浮かんでくる。しっかり心に刻めてるみたい。

 メイクを落とし、髪を洗ってコンディショナーを髪に染み込ませる。その間に体を洗う。そしてコンディショナーを洗い流す。

「ふぃ~すっきり~」



 脱衣所に上がり体を拭く。体を洗い出してからここまではずっと明日のことを考えていた。明日は化粧しなくていいよね?とか。明日は私から言う覚悟決めていかないといけないかな、とか。考えることが尽きない。

 こんなに疲れているのに眠れないかもしれない。


 しまった。着替え持ってくるの忘れた。

「おかーさーん!着替え忘れたー!」

 お母さんはいつものように下着とパジャマを持って来てくれる。

「ありがと」

「もう。しっかりしなさいね」

 これもいつものやりとりだ。


「で、どうだったの?」

「どうって?」

 これはいつものじゃない。困った。

「そりゃ今日のデートのことよ」

「デートじゃないって」

「二人で仲良さそうに歩いてたじゃない」

「え?見てたの?」

「やっぱりデートしてたのね」

「あ……」

「で、どうだったの?」

「ほんとに何もなかったって」

「そっかー。その子も情けないわねぇ」

「でも明日も出掛けるから」

「へー」

「もういいでしょ!」

「ふふっ。明日は起こしてあげた方がいい?」

「お昼には起きたいかも」

「はいはい。寝坊してたら起こしてあげるわね」

「ありがと」

 やっとお母さんはリビングに帰っていった。

 私も着替えて歯をシャコシャコと磨く。



 部屋に戻ると涼しい世界が待っていた。地球に優しい27℃。

 冷風に直接当たればシャワー上がりでも涼しい。

 ベッドに座りスマホを開くと、友達から「どうだった?」と来ていた。既読を付け、そっと閉じる。既読無視をして不安にさせてやろう。


 ドライヤーで髪を乾かした後、スマホを付けると彼からの通知があった。

 彼から「今日はありがとう おやすみ」と来ていた。私もちょうど寝るところって送ろうか。どうしよう。既読はまだつけない。もし彼が長文を打ってたら気まずい。


 タイムラインにはお祭りの写真が並んでいる。

 1枚くらい彼と写真を撮ればよかった。思っても言い出せたか微妙だけど。


 少し経ったから彼のメッセージを開く。

「こっちこそありがとう!おやすみ~」

 疲れているだろうから無難で簡潔なメッセージを送る。



 明日も会うしクドいのは良くない。グループの通知がうるさいからスマホをマナーモードにし、充電器をさす。おやすみ準備万端。

 窓を開け、扇風機を回し、冷房を消し、電気を消し、ベッドに横たわる。タオルケットを被り、目を瞑る。明日の朝はお母さんに任せよう。おやすみなさい。

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