第5話 言葉、公園のブランコ(1)
満月が照らす明るい土手を二人は静かに歩く。
この道は車がほとんど通らないから並んでゆっくり歩ける。
彼は私の右側を歩く。明るい満月だけど彼の表情はよく見えなくて近寄りたくなる。並んで歩く私たちをカエルたちは合唱して囃し立てる。
えいっ、と腕を組んじゃったりしてみたいがそんな勇気はない。私の肩にはクマさんがのぞくポーチ、左手には金魚、右手にはわたあめ、私の身体はもういっぱいいっぱいだ。
私たちは手こそ繋いでいないが“いい雰囲気”だと思う。2年間の長い片想いだったけど今日の雰囲気からして多分、彼も私のことを想ってくれているような、二人で来ちゃったのも彼が仕組んでいたような、そう勘違いしちゃいそうな、そんな感じ。
何か話題を探すが、沈黙が私たちの唇を一層重たくする。
カエルたちはこんなに容易く大きな声で愛を叫んでいるというのに。
「今日はありがとう」
彼の言葉で私は自分の世界から戻ってくる。
「うん、こちらこそ誘ってくれてありがとう。嬉しかった」
「あの……、あのさ……。」
彼はしばしの沈黙。私まで緊張して顔が熱くなって来た。
「そのクマさ、持っててくれよ。いい思い出になりそうだし」
「もちろんだよ。大切にするね」
「ありがとう」
また沈黙がやってくる。
うーん。私の方から言っちゃおうかな。
でも彼が今、勇気を振り絞ろうとしているのだとしたら……。
私から、か。そんなの考えただけで心臓が止まりそうだ。
待つしかない。彼の言葉を。
いた、別の可能性も考えないと。違ったときのショックで死んじゃうかも。
そうだな、なんだろう。実は好きな人がいて、その恋を応援してほしいとか?
私が彼を想っていることを聞いて、思い出を作ってあげようと思ったとか?
どうなんだろう。分からない。気持ちは言葉にならないと何も伝わらない。
何か言ってよ……。
悶々と考えながら黙々と歩いていると、パンッ!ドンッ!と遠くで花火の上がる音がした。
その音は私を明るくさせ、言葉が自然と出てくる。
「あそこで座らない?」
「そうだね、ありがとう」
なんのお礼だろう。私から沈黙を破ったことかな。
私たちは近くにあった河川敷の公園に入る。
ブランコに座って並んで漕いで夜の特別な空気を楽しむ。
ムシムシとするけど、夜風と川のせせらぎが熱さを和らげてくれる。
虫がちょっと気になってきたところで彼が虫よけを差し出してきた。「ありがとう」と言って受け取り、足元と手元に吹きかける。ツンとする薬品の匂いが広がる。
そこに風が吹いて青臭い草むらの匂いに変わる。風が止むと土の湿った匂いに変わる。夏の夜を感じる素敵な空間だ。
その夏の夜の空間を花火が鮮やかに照らす。月はすっぽりと雲に翳り、花火がよく映える。打ち上げ場所は2つ向こうの橋の近くだったと思う。音が会話の邪魔にならないちょうど良い距離だ。
「きれいだね」
彼は花火を見て言葉を溢す。その文字列の響きは心臓に悪い。
「きれいだけど「夏も終わりかぁ」って寂しくなっちゃう」
「俺はまだまだ夏を満喫するつもりだけど?」
「いいなぁ。勉強の予定しかないや」
「マジ?また何か誘ってもいい?」
「うん、是非」
花火に照らされて笑顔になっている彼の顔が一瞬だけ明るく見える。
釣られて私も笑顔になってしまう。
「花火に花言葉をつけるなら、「儚い命」とかどう?」
彼は急にキザな言葉を漏らす。
「うーん、なんだか取って付けたような感じがするかな」
「そう?良いと思ったんだけど」
「月が綺麗ですね、みたいな独創性が欲しいよ」
「文豪レベルを要求するのか」
二人はまた笑って花火が上がる正面の空を眺める。数個の花火が同時に咲き、数秒後に音が届く。ただただ美しい。
花火を見てぼんやりとしていると彼が、
「明日も会えないかな、少しだけさ」
と言う。
「うん、いいよ」
私は快く返す。
今日はタイミング逃しちゃったとか、そういうことかな。
私が照らされては消える彼の顔を見ていると、彼もこちらを向く。
目が合うが気まずくない。お互いに笑って二人で視線を花火に戻す。
しばらく心地良い無言の時間が流れた後、花火が止んだ。終わってしまった。そう思って立とうとしたら、パンッ!パパンッ!と花火の開く音が聞こえた。
音は遅れて届いており、再び空を見ると次々に花火が上がっている。
どうやらクライマックスのようだ。
「「おお~」」
私たちは揃って感嘆の声を漏らす。空を走る花火や2段階に開く花火、ススキのように広がる花火など、多種多様の花火が咲いては散っていく。
どれも美しいけれど、その輝きは一瞬でどこか寂しい。光も音も華やかで煌びやかなのに。ちらりと横を見ると彼の顔も悲しげだった。
花火は夏の終わりを告げる花。私たちは半年後には受験を終えて、それぞれ別の道に進むことになるかもしれない。時が経つにつれて今日の事も花火のように散って消えていくのだろうか。できるなら押し花の栞のようにずっと持っておきたいな。
彼の横顔は一瞬照らされてはすぐに見えなくなる。この瞬間は忘れたくないな。
そして花火に視線を戻したとき、それは一際大きく花開いた。赤と青と緑とオレンジの層になった大輪が大きく大きく広がる。光の落ちていく軌跡が残る。その跡は永遠にも感じた。でも、すぐに消えてしまった。
「……」
彼が小さな声で何かを言った。でも、大きな花火の大きな破裂音が遅れてやってきて、うまく聞き取れなかった。何を言ったんだろう。
彼は黙ったままだから、私も聞き返すのはやめて静かに余韻を楽しむ。
やがて雲が流れ、月が彼の顔を照らす。彼は私の目を見つめていた。
その目は言葉を訴えていた。さっき彼が発した言葉を。
月明かりでは表情の細部は読めない。けれど、真剣で優しいその瞳がその言葉を訴えていた。それはずっと私が聞きたかった、待っていた言葉だった。
でも、私は何も言えなかった。もしも違っていたときが怖くて。
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