第4話 浴衣、甘い夕涼み(2)
長い参道を抜けると盆踊りの櫓(やぐら)や催し物のステージのある境内に出る。人混みが落ち着いたところで彼は手を緩めた。手を離す合図だ。
私も握った手を緩める。風が右の手のひらを通り抜けてひんやりとさせる。なんだか名残惜しくてグーを作って風を遮る。無言で彼についていく。
本殿の隣に大きな木があり、その出っ張った根のところに二人で座り、やぐらの下をくるくると回っている盆踊りを眺める。
「屋台、通り過ぎちゃってごめん。それと手も、握っちゃって」
彼は気まずそうに呟き、頭を掻く。
「時間あるからさ、屋台はこれからゆっくり回ろ?手は、嬉しかったからいいよ。ほら、その、はぐれそうだったし、助かったというか」
「ほんと?嫌じゃなかったなら良かった。じゃあちょっとゆっくりしてて、何か買ってくるよ。たこ焼きとかジュースとか」
「え?いっしょに行くよ?」
「ちょっと言い辛いんだけど、そのー、緊張で心臓が、ね?」
「え?あー、私も、かも」
気持ちを素直に言葉にするのは恥ずかしく、顔を逸らして横目で彼を見る。
彼は何かを考えるような表情で空に目をやっていた。緊張で彼の顔をちゃんと見れてなかったけど、なんだか赤くなっているような気がする。気のせいかな?
「じゃあちょっくら行ってくるよ。何か食べたいのある?」
「うーん、一緒にたこ焼き食べよ?あとジュースもあれば何でも」
「おっけー!時間かかるかもだけど、待っててね」
一人になってちょっと冷静になる。変なこと言わなかったかな?
手持ち無沙汰になってスマホを見ると、今日一緒に行く予定の友達から「頑張ってね」とメッセージが来ていた。
一瞬「忘れてた!」と思ったが、なるほど?彼がもうみんなに伝えたのかな?「頑張ってね」とは?うーん。私はこの気持ちを誰にも知られないようにしてきたけど周りにはバレバレだった?それはなかなかヤバい。
いや、絶対にバレていない。たぶん。バレるはずがないはず。彼が知らせたのはただ“2人で行く”ってことだけ?事前にみんなに“遅れて来て”と伝えていたとか?いや、ないか、漫画の読み過ぎだ。彼は私のことをどう思っているんだろう。さっきの態度はきっと、客観的に見ても主観的に見ても。でも。うーん。
友達に返信で聞いてみようか。いや、彼に直接?それは無理だ。そんな勇気はない。彼から言ってくれるのを待つ?いや、今が攻めどき?あぁもう、盆踊りでもしようかな。
そんなときに彼からメッセージが入って内心ビクッとする。
「追加で欲しいのある?」
早く帰ってきて欲しい。なんて言えないから、
「フライドポテトもいいかも」
とだけ送る。
考え疲れてぼーっと盆踊りを見ていると彼が帰って来た。
「お待ち遠様です。いやぁ並んでたねぇ」
2人の間にたこ焼きとポテトフライとから揚げを置いて、私にカルピスを手渡してくる。そこで財布を取り出しながらいくらだったか聞くと、
「全部で800円だから400円だね」
と、彼は明らかな嘘をついてくる。
「それは流石に安すぎるよ、嘘が下手だね」
「いやいや、嘘じゃないよ。うまそ~」
彼はたこ焼きのパックを開けながらとぼける。
「ホントにいいの?」
「たまたま安かったんだよ」
から揚げを頬張ってハフハフしながらまたとぼける。
私はポテトから食べる。あつあつで美味しい。今は彼の嘘に付き合おう。まだまだお祭りは長い。この後は多めに出せばいい話だ。
彼は隣で、今度はたこ焼きを頬張ってハフハフし、熱さに耐えながら飲み込む。そしてリンゴジュースをゴクゴクと飲んで一息ついて、満面の笑顔で口を開く。
「実は、好きなんだよね」
「へっ?」
時が止まったように感じる。今はその言葉を伝えるシチュエーションではない、たぶん。
「たこ焼き発明した人はホント神だね」
「そんなに好きなんだね」
はやとちりで良かった。カルピスを飲んで一呼吸置く。
彼は幸せそうに2個目のたこ焼きを食べてから話を続ける。
「タコを入れるなんて悪魔的発想だね、最高だ」
「たこ焼きの考案者は神か悪魔かって話?」
私はなんとなく意地悪な返事をして、たこ焼きを1つ頬張ってハフハフする。
「神も悪魔も美味しいの一言で丸め込んじゃうのがたこ焼きだね」
彼は私が熱さとの戦いで喋れないことを良いことに適当なことを返してくる。
「うーん、あんまりうまくないかな」
「そうかなぁ、こんなに美味しいのに」
彼は天然なのかボケなのか分からない返しをして、今度はフライドポテトをパクパクと食べる。なんでもとても美味しそうに食べる。給食でも見てきたけど、この距離でこの笑顔を向けられると顔が熱くなってしまう。
神社の人混みはずっとすごいままで、まだ増えているように感じる。この神社は小さな港街に似つかわしくないくらいの大きさで、お祭りには遠くの街からも人がやってくる。おばあちゃんによると神様の中でもすごく偉い海神様を祀っているらしい。漁師の家の人たちはちゃんと参拝してからお祭りに参加しているようだ。
やぐらの下で沢山の知らない顔がくるくると盆踊りをしている。不思議で神秘的で、なんだか懐かしい空気だ。ずっと昔から、私が生まれるよりもっと昔からこの景色を見ていたような気さえしてくる。
諸々を食べ終えて2人で盆踊りを見ながら語らっていたが、少し退屈してきた。
「遊びに行かない?」
ちょっとした提案をしてみる。
「ああ、うん。そうだね、行こうか」
歯切れの悪い返事だ。ちょっとタイミング悪かったかな?まさか今?タイミングだった?いや、まさかね。まあいいや、とりあえず射的に誘ってみようかな。
”射的は得意だ”って去年言ってたような言ってなかったような気もするし、私も別に苦手じゃない。
「まずは射的でもしない?ばんっ」
「うっ!」
「ふっふっふ、一撃で仕留めるよ」
「自信あるんだね」
「どうだろうね」
周りを見ながら歩くといろいろな屋台があって気を取られる。金魚すくい、型抜き、りんごあめ、スピードくじ。あ、くじはダメだ。お父さんとの約束だ。
私は射的屋さんを見つけ、店主のおじさんに話しかける。
「1回お願いします」
「あいよー、1回5発ね。お兄ちゃんからやるかい?いいとこ見せてやんな!」
「いえ、2人で一緒に」
「あいよ、なんならおっちゃんを持って帰ってもいいよ~」
しまった面倒なおじさんだ。でもこの手のおじさんは少々冷たくしても無視しなければ嬉しそうにしてくれるので、捉え方によってはイイ人だ。
「その後ろのクマさん狙うので避けてください」
「釣れないねぇ。おっと、彼の前だったね、ごめんごめん。彼氏さんもごめんな」
私は“彼氏”という言葉に動揺してしまうが、彼はそれを否定せず、
「いいですよ。その代わり、1発おまけしてください」
とさらりと言ってしまう。なかなか大胆で強かだ。
「OK!これで許してくれ」
おじさんは私たちに6発ずつ弾をよこしてくれた。
彼氏か、やっぱりそう見えるよね。彼の顔を見るのが恥ずかしくなる。
ふぅ、と息を吐きクマさんの脳天に狙いを定める。そこに風が吹き、彼のせっけんの香りが鼻先をくすぐる。匂いを辿ると彼と目が合う。見られていることを意識すると集中できない。
「そんなに見られたら緊張するよ」
「1発目は譲ってあげようと思ったんだけど、先にクマさん撃ち抜いてもいいの?」
「だめだよ、クマさんは私が先に狙ったんだから」
「じゃあ勝負だね」
「むむ、負けられないな」
「クマさん、悪く思わないでね」
狙いを定めて引き金を引くと「パッ!」という音とともに私の初弾が発射され、クマさんの上空2cmを通過する。彼がニヤリと笑い、構え、打つ。
当たる、と思ったら同じようにクマさんの上空を通過した。
それを見たおじさんが話かけてくる。
「腕前は五分みたいだな!彼女にイイとこ見せてやれよ!」
「ちょっと静かにしてください」
「手厳しいなぁ……」
彼もおじさんに厳しくて少し笑ってしまう。
息を吐いて2発目。しっかりと狙いをつける。彼と銃口が並ぶ。2つの銃に狙われるクマさんは震え上がっているだろうか。
パッ!パッ!と2つのコルクがほぼ同時に飛ぶ。クマさんは両目を撃ち抜かれノックアウト。彼と目が合い、思わず吹き出して笑う。おじさんがクマさんを私の方に差し出してくる。
「嬢ちゃんのがちょっとだけ早かったね。おめでとう」
「ホントですか!ありがとうございます!」
余った弾で二人で高額景品を狙うが当たっても全然落ちずに、悔しさを味わいながら次のお店を探しはじめた。
「このクマさんは貰ってもいい?」
「いいよ、もともとあげるつもりだったし」
彼はちょっと悔しかったのか口先を尖らせて子供っぽい演技をする。
「ありがとう。次は何しよっか?」
「うーん、金魚すくいはどう?昨日テレビでコツを見たばっかりだから自信あるんだよね」
「タイムリーだね、行こっ!」
彼の手を取ろうとして恥ずかしくてやめた。
小さい頃から見かける金魚すくい屋のおじさんが今年も来ていたので、そこに決める。
「2回分お願いします」
しれっとお金を払うと彼は少し困った顔をしたが、「はいこれ」とポイを1つ押し付けると、「次は油断しないよ」と言って受け取ってくれる。
さっきの射的の屋台では私が油断していて危うく奢られそうになったので、今回は油断せずにむしろ彼の隙を突いた。もう1回くらい隙を突けたらご飯の分は返せるかな?
金魚の泳ぐ水槽の前に座り、めぼしい金魚に当たりをつける。
そして気がつく、袖がジャマだ。しかし両手は塞がっている。
隣を見ると彼はしっかり袖をまくってヤル気まんまんだ。
「袖まくるの忘れてた」
「金魚すくいに焦りは禁物だよ」
私はポイを器にのせて水に浮かべ、ミニショルダーから髪留めを取り出して袖を留める。ふと気づくと彼はこちらを見ていた。いや、私の腕を見ていた。
「夏服で見てるのに、見足りない?」
「いや!そういうのじゃなくて!ごめん!」
「そんなに謝らないでいいよ。腕くらい何時でも見せてあげるから。ささっと金魚ちゃんを救ってあげよう」
「う、うん、そうだね」
「目標は5匹」
「じゃあ俺は6匹」
「よし、勝負だね」
彼は昨日見た金魚すくいのコツをレクチャーしてくれる。
コツは「ポイは先に水にとっぷりと入れてしまい、すくうときはポイに圧力がかからないように斜めに水から引き上げる。金魚は頭の方からすくい上げ、できれば尻尾はポイの外に出す」という“なるほど!”と思うものばかりで為になった。
しかし私にも長い経験から分かっていることがある。
水面近くを独りで泳いでる金魚さんを狙うのがいい。集団になった子たちから狙うのはヨクナイ。予想外の動きをする奴がいたら標的への集中が切れてしまう。
金魚にはスイスイ泳ぐのとグイグイ泳ぐのがいる。スイスイと自由に泳ぐ金魚はまるでこの水槽が世界の全てであるかのように自信を持っている。呑気なものだ。
そんな奴の足元をすくうのが私の仕事だ。
彼に聞いた通りにポイを十分に濡らして斜めにゆっくりと入れ、金魚の頭の方から近づける。ひょいっと手首を返せば、いっちょ上がりだ。
得意げな顔で彼を見ると彼も得意げな顔をしていた。
いつもは目を合わせると顔が熱くなるけど、今は勝負に熱くなっているからちょっとドキッとするだけだ。
彼はもう2匹もすくっている。しかも片方は出目金。くっ、私もデメちゃんが欲しい。スイスイ泳ぐデメちゃんに狙いを定め、ひょいっとすくう。
次の標的はどの子がいいかなと目を凝らしていると、
「あっ、やられた」
隣で彼が声を上げる。
「ふっふっふ、早いね」
「調子に乗って大きいの狙っちゃった。イケると思ったんだけどなぁ」
「足元をすくわれたね、金魚すくいだけに」
さっき考えたことを口にする。
「ふっ、それさっき頭に浮かんだけど我慢したやつだ」
「えー、ちょっと自信あったんだけど」
「ほら、早くポイ破いちゃって」
「そうは行くまいよ」
私は変わらずスイスイ金魚をひょいひょいとすくう。彼は緊張を煽ってくるが、近くにいるだけでドキドキなんだから効果は薄い。
7匹目に白色の混ざった出目金をすくい、次の金魚に狙いを定める。しかしそのスイスイ金魚がグイグイ金魚に変身してポイを破いていった。
「あちゃ」
「まぁ健闘した方なんじゃない?」
「どの口が言うか」
「実力を見せるのはまたの機会にしよう」
彼はすくった金魚たちを逃しながら言う。“またの機会”か、とむず痒くなりながら私は2匹だけ選んで受け取る。
うちの金魚団の仲間に加えてやろう。この子達はいつまで生きてくれるだろうか。庭にある金魚の墓標は毎年のように増えていく。悲しくならないよう、名前は死んでからつけるのが家のルールだ。それでも悲しいものは悲しいのだけれど。
それから幾つかの屋台を回り、当たり障りのない話をしながら友達よりも近い距離で歩く。お化粧の効果はいかほどだろう。
二人は喧騒の中を静かに歩いて行く。気まずくはないが会話は少しぎこちない。それでも一歩一歩、彼との距離が近くなっていくような、そんな感じ。イイ感じ。
最初に休んだ本殿の近くの大きな木に戻ると、親子連れが幸せそうに笑い合っていた。誰からも頼りにされる巨木だ。2人で顔を見合わせてから時間を確認する。
時間は20時に迫っている。
「そろそろ時間だね。花火はどこからでも見えるし、ちょっと遠回りで帰らない?」
彼が提案をしてくる。
「んー、それも粋だね。ビールでも飲みながら歩きたい気分」
「え!お酒飲んでるの?」
「気分だよ!気分!お父さんの一口もらったけど、ただの苦い炭酸だった」
「よかった。健全だ」
「今日くらい非行少女になってもいいかな?」
「あとちょっとで卒業なんだから我慢してよ。でもいつか一緒にお酒飲んでみたいね」
「はやく大人になりた~い」
「なりた~い」
人通りがだんだん増える。花火の時間は近いみたいだ。
鳥居をくぐると提灯が風に揺れていて夕方とはまた違った趣がある。
少し歩くだけでさっきまでうるさかった祭り囃子と喧騒がだんだんと遠ざかる。
まだまだ盛り上がっている祭囃子に後ろ髪を引かれる。
でも、彼の引力の方が大きい。
彼と2人きりの夜道に勝るワクワクはないだろう。
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