第3話 浴衣、甘い夕涼み(1)
ぐっすり眠れた。いい夢を見た気がする。
スマホを開くと彼から「5時半!学校のチャリ置き集合!」と連絡が来ていた。
お気に入りのスタンプで「了解!」と返し、朝ごはんに向かう。
朝ごはんは白米と納豆とお味噌汁とミートボールと卵焼き。匂いが心配で納豆は半分お父さんにあげた。半分だけならたぶん大丈夫。
入念に歯磨きをしてから宿題を開く。もう夏休みも残り少ない。頑張って宿題を予定通りに進めて、後顧の憂いを断っておきたい。今日は昨日寝ちゃった分だけ多いけれど大した量ではない。
でも、気を抜くと彼が私の心の中に現れて話しかけてくる。2人きりになって良い感じになって……。なんて考えてしまうが、甘い妄想は叶わなければ私に牙を剥く。それを心の底で解っているからちょっと怖い。
はっ!またくだらないこと考えてた。集中して頑張らないと。
妄想を振り払い、高校入試の過去問と戦って一息ついていると、頭のすみっこで引っかかっていたものを思い出す。
メイクだ。このときのために秘密兵器を集めていたんだ。そこで、浴衣に似合うメイクを検索しようとすると、「ごはんよー」とお呼びがかかる。
お昼はオムライス。真っ赤なチキンライスと甘めのふわとろ卵。
お母さんはオムライス名人だ。最高に美味しい。
むしゃむしゃと食べているとおばあちゃんが
「あとで私の部屋に来なさいね。30分あれば十分だから、いい時間にいらっしゃい」
と声を掛けてきた。
「わかった。ありがとう」
と何気なく返事をすると、オムライスを一瞬で平らげて暇そうにテレビを見ていたお父さんが私たちの会話に反応する。
「なんだなんだ?あやしいな、何かあるのか?」
私はその声を無視してお父さんに小さなビール用のコップを素っ気なく渡してビールを注ぐ。ついでに冷凍庫のフライドポテトも温めて出してあげた。
「なんだなんだ?お昼食べたばっかりだぞ?でもせっかく娘の注いでくれたお酒だ、飲まないと勿体ないじゃないか」
お父さんさんはワザとらしいセリフを並べてニコニコと嬉しそうにビールを飲む。日本酒の方が良かったかな。ビールじゃ眠れないかも。
そこで、ふと思いついたことをお父さんに言ってみる。
「あのー、お祭りのお小遣いが欲しいなー、みたいな」
「なるほど、それが狙いかぁ。うーん、3千円でいいか?」
「やった!ありがとうお父さん!」
「大切に使うんだぞ。くじ引きはだめだからな」
「もうくじ引きするような歳じゃないよ」
いろいろ上手く行かなくても、今日はこのお金で精一杯楽しもう。
私はお金を受け取りそそくさと自分の部屋に戻る。
引き出しから密かに買い集めたコスメの入った化粧ポーチを取り出して、いつものように動画サイトを巡る。まだ多くは揃ってないけど、浴衣に合うメイクは手持ちでなんとかなりそうだ。不安だけどきっと大丈夫。
この人を参考にしようかな、いや、もう少し探してみよう。
そうして何本も動画を見て回っているうちにネコの動画に見入ってしまった。
やってしまった。時計を見るともう15時半。早くしないと。
シャワーで軽く汗を流し、しっかりとムダ毛チェックもする。髪にはトリートメントを入念に。シャワー終わりにはしっかりと化粧水と乳液で保湿だ。
部屋で涼んでから髪を乾かして、鏡と向き合う。よし。クマもないしキューティクルの調子も良い。さっさと参考にするものを決めよう!と、思ったところでコンッコンッっとノックの音がする。
おばあちゃんが顔を覗かせ、机の上を見て鼻息を漏らし「そろそろ来なさい」と言って扉を閉める。内緒で集めたコスメを見られてなんとなく恥ずかしいが、素直に立ち上がりおばあちゃんの部屋に向かう。
おばあちゃんの部屋に入るときれいに広げられた浴衣があった。
おばあちゃんは緩んだ広角で話しかけてくる。
「さ、早く服脱いで。肌着のサイズも大丈夫そうね。ささっと着替えましょ」
「お願いします」
おばあちゃんは浴衣の着方を説明しながら着せてくれる。巧く着ないと着崩れするらしい。機会を見つけて練習してみよう。和装の着付けができるなんて大人っぽくてなんだか憧れるし。
「はい終わり!」
と言われて、くるりと回っておばあちゃんに見せる。
「うん、似合ってるわ。悪くないわね」
鏡に映った姿を見て自分でもそう思った。彼も褒めてくれるかな?
「ありがとうおばあちゃん。なんだか上手くいく気がしてきた」
「いいのよ。じゃあ、次はメイク?」
「え?あー、見えてた?」
「まだまだ目はいいのよ」
「あー、ちなみにどんなメイクがいいとかある?」
「そうね、BBクリームと口紅で十分よ」
「それだけ?ネットで見たらもっと色々してたけど」
「大丈夫よ。若いんだから薄~くしないと顔よりメイクが目立っちゃうし。それに、男は顔なんてあんまり見てないんだから」
「あれ?昨日は「男は服なんて見てない」って言ってなかった?男ってどこ見てるの?」
「男はね、なんにも見えてないの。細かいところはね。全体の雰囲気が良ければ顔も服もよく見えるのよ」
「それはおじいちゃんが言ってたの?」
「そのうち分かるようになるわ」
「そっかぁ。じゃあ信じる」
「机にあった明るいピンクの口紅なんて良いんじゃない?」
「え?あの一瞬でそこまで見えたの?」
「ふふっ、まだまだ目はいいのよ。じゃ、頑張りなさいよ」
「うん」
部屋に戻るとベッドに寝転びたくなったけど、勉強机、もとい化粧台となった机に向かう。眉は毎日良い感じに整えている。
髪の調子も良くて気分が上がる。鎖骨まで伸びる髪は暑くて最近はポニーテールにしてるけど、今日はどうしようかな。メイクをしてから決めよう。
まずBBクリームをちょんちょんちょんと顔にまばらに置いてから塗り広げ、毛穴を隠す。これが活躍できるくらい近づきたいな。
その次はリップ。つやのあるピンクをくちびるに乗せ、んぱっとしてムラをなくす。ちょっと高かったけど店員さんに似合うと言われた口紅だ。確かに良い感じ。
最後にヘアアレンジ。かわいいのを見つけてしまった。これにしよう。右耳の後ろで髪を編み込んで耳を出し、小さな青い花飾りの付いたヘアピンで留める。あとはヘアムースで軽く整えて終わりだ。この髪型はシンプルでかわいい。
「かーんせい」
そう言ってと化粧ポーチをしまい、化粧机を勉強机に戻す。
動画でも気にしすぎないことが肝心と言っていたし、おばあちゃんも「男はなんにも見てない」と言ってた。これで完成でいい。変にこだわるのは失敗の素だ。お財布とスマホ、口紅、髪留めをお気に入りのミニショルダーに入れて準備万端。
あとはお父さんに見つからないように家を出るだけだ。音を立てないように玄関に行く。気になってリビングを覗くとお父さんはソファでイビキをかいていた。
それを見てほっとしていたら後ろから、
「お父さん寝てるでしょ」
と、お母さんにおどかされた。
「びっくりした!もう!」
「ごめんね。それよりよく似合ってるじゃない。私の若い頃みたいね」
「“お父さん似“ってこの前言われたばっかりだよ」
「まぁ誰が言ったのそんなこと」
「お母さんだよ」
「二人の娘なんだから、いいじゃない」
「まあ、似てないよりはね」
「えーっと、下駄箱の真ん中の段の奥に草履があったはずだから、それ履いて行きなさい」
「あっ、草履か。ありがとう」
「スニーカー履いてく気だったの?」
「んー、忘れてた」
「大丈夫?他に忘れてるものない?」
「たぶん、だいじょうぶ。この距離で見て違和感ない?」
「髪が良い感じね。普段と雰囲気が違ってていいわね」
「ありがと。自信出た。じゃあ行くね」
「がんばってね」
「ただのお祭りに頑張るとかないよ」
「はいはい、いってらっしゃい」
「いってきます」
玄関に来ると、鼻緒が深い青地に白い花びら模様の草履があった。きっとおばあちゃんが用意してくれたのだろう。この浴衣によく似合うデザインだ。
私のゆっくり歩きだと学校まで20分はかかると見て5時に家を出た。しばらく歩いて半分くらいの所にあるコンビニの時計を覗くと5時8分だった。いいペースだ。
学校に近づくに連れて人が多くなってきた。神社は学校の近くだから待ち合わせが学校の人も多いのだろう。知り合いの顔もちらほらとある。話もしたことがないクラスの男子が自転車で通り過ぎていくが、ちらっと私を振り返りそのまま行ってしまった。
校門についた。スマホで時間を見ると5時15分。周りの勇み足に引っ張られたかな。自転車置き場に行くとさっき追い抜いていった男子と目があった。ちらちらと見てくるけど気にしないようにして彼を探す。じゃなくて、みんなを探す。
自転車置き場の奥で立ち止まってスマホで”着いたよー”と連絡しようとしたとき、ちょうど彼が自転車を押して自転車置き場に入って来た。背筋の伸びた綺麗な歩き方が特徴的でわかりやすい。さっき私を追い抜いた男子とこっちを見て話をしていた。
手を振って合図を送ると、彼も手をあげる。話したことない男子は「リア充滅べ!」みたいなことを彼に吐き捨ててグラウンドの方へ消えていった。
彼は歩いて近づいてくるが、どのくらいの距離から声をかけるか図りかねる。
目も逸らせずにどうしようかとモジモジしていると、
「浴衣、すごく似合ってるね」
と、彼が校舎の方に目を逸らしながら言う。
なんのことだろうと逡巡し、私のことか!と気づき、少し後ずさる。
「ありがとう、がんばってみました」
”あなたのために”、まで言えたら100点だったかもしれない。
「皆まだ来ないみたいだし、俺たちだけで行こうか」
「え?」
「あ、ごめん。待とう待とう」
「いや、うん。2人も悪くないね」
「え?じゃあ行っちゃう?」
「うん」
「よし!じゃあ行こう」
彼の横に並ぶ。まさかいきなり二人きりになるとは想定外だ。
心の中で嬉しさと緊張が押し合いっている。
上手く会話できるだろうか。彼の好きなバンドの曲は夏休みの間ヘビーローテーションしてきた。他に彼の好きなもので知っているのはトマトとカレーくらい。
最初はお互いに距離を測りながら歩くが、チリンッ、とベルを鳴らしながら追い越して行く自転車に他愛ない会話を尻切れトンボにされる。
そこで私は勇気を出してちょっと距離を詰めてみる。
「高校、どこ行くの?」
これはちょっと重い話題だけど、どうしても聞いておきたい。
そうしないと私の進路が決まらないから。
「実はまだ決めてないんだ」
「頭いいから選び放題でしょ?」
「だからこそ迷うんだよ」
「うわー、マウントだ」
「冗談だよ。そっちはどこに行くの?」
「近い公立ならどこでもいいかなって思ってるけど、できればいい方に行きたいな」
「まあ距離も大事だよなー。でもやっぱしたいこと出来るところが良いかな」
「したいこととかなんにも思い浮かばないや」
「将来を今決めろだなんて横暴だよな」
「まったくだね」
それからクラスのアイツはどこへ行くとか、推薦で行くらしいとか、学校の話が続く。人混みのなかで周りの視線が気になる。知り合いや友達の顔もちらほらと見かけるが知らないフリをする。
もう少しで境内に入る。夕暮れの街に浮かぶ提灯はとても幻想的で雰囲気が良い。それは二人のだけのために用意されたように感じて浮ついた心を自覚する。地に足つけないと。
境内は露店に並ぶ人と参道を歩く人で賑わい、少しずつしか進めない。
私は彼の後ろを離れないように頑張って歩くが、人波に押されて少し離れそうになる。彼はその度に遅れる私に気づいて待ってくれる。
それを2回くらい繰り返したとき、彼は顔を近づけてスゴいことを言って来た。
「手、繋いでも、いいかな?」
私は恥ずかしくて目を逸らし、石畳の染みを見た。すると彼は私の手を取って平然と歩き出した。繋いだ彼の手が熱い。彼もちゃんと緊張してくれているんだ。
手汗出てないかな、ガサガサとか思われてないかな。大きな彼の手が私を優しく引っ張ってくれる。顔が熱くなるのを感じて俯いたまま歩く。
心臓は大きく脈を打って彼に気持ちを伝えようとしている。伝わらないで欲しいけど、伝わって欲しい。
彼とは夕涼みなんてできないな。
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