第2話 約束、彼からの電話


 鼓膜をつんざく蝉の声も少し遠くなった頃、私はベッドで仰向けになり、天井のオレンジが濃くなっていくのをぼんやりと眺めていた。

 受験が近づいているがお盆前の塾のテストの調子が良かったので、お父さんがお盆の間は塾を休みにしてくれた。お盆らしい最高のお盆だ。

 エアコンが作る丁度いい室温に寝返りをうって、枕に顔をうずめて眠気に敗北を認めようとしたそのとき、スマホから彼の好きな曲が流れだした。


 半分夢の中にいた私は「良い曲だなぁ」なんて思って聞き入ってしまい、そのうち鳴りやんでしまった。

 あ、電話だったと思い、スマホを手に取ってぎょっとする。なんと彼からだ。

 どうしよう、かけ直そうかと悩んでいたらスマホが同じ曲を歌い出したので、緑の応答の方をスライドする。

「もしもし」

 寝起き声にならないように気を付けながら出る。

「もしもし!俺だけど。明日、暇?」

 彼の軽いジャブが脳を揺らす。油断してた私にはダメージが大きい。喉の調子も整えずに出てしまったものだから、

「うぇ?」

言葉にもならない声で返事をしてしまう。彼には聞こえないように喉を整えていると、彼はもう一度聞いてきた。

「明日の夜、予定ある?」


 私の頭はゆっくりと回る。明日、夜、といえば… …夏祭り。体感では5分も無言だ。早く返さないと。

「ひ、暇です。暇してます」

 声の震えを一生懸命に抑えながら、なんとか伝えた。

「まじ?夏祭り行かない?クラスのやつも何人か誘ってるからさ」

 来た!お祭り!二人きりじゃなくても一緒に行けるならそれで十分だ。嬉しい。

「え!行く!何時?」

「このくらいの時間に学校に集合で、集まり次第出発って感じで」

「りょーかいっ」

「じゃあ明日、またね」

「またね」


 ふぅ。ため息が漏れる。

 部屋はまだオレンジ色。通話時間はたったの40秒。なんて濃い40秒だ。

 エアコンの設定温度を1℃下げる。熱くなった頬が緩んで行く。

 まだ彼の声の響きが耳に残っている。



 私は彼の「またね」がとても好きだ。彼は放課後になるとすぐに走って部活に行き、教室ではなかなか「またね」を聞くことができない。だから私は彼の部活の休憩時間を見計らって、彼の近くを通って帰る。すると必ず「またね」と行ってくれる。居残り勉強のお陰で成績も上がったし、まさしくウィンウィンだ。いや、彼にとっては得かどうかわからない。ここは謙虚に一石二鳥と言っておこう。



 スマホを置いてしばらくの間「彼と抜け出して2人っきりのデート〜」やら「最後に2人きりになって告白されたらどうしよう〜」やら、ハッピーな妄想の世界を旅していると、気づいたときには部屋はどっぷりと暗闇に飲まれてしまっていた。


 それでも妄想は止まらず、ベッドでごろごろしていると、「ごはんよー」と大声で下の階から呼ばれる。「はーい」と返すと、顔の緩みを隠して階段を降りる。玄関でお父さんに会ったが顔を見られないように俯いて「おかえり」を言った。背中で「ただいま」を聞いて洗面所で手を洗い、仏壇へ向かう。「おかえりなさい」と仏壇のおじいちゃんに挨拶を済まし食卓につく。お盆だしきっとおじいちゃんも帰ってきてるはずだ。



 晩御飯はこの夏何度も食べたざるうどんだ。いつものめんつゆに、いつもの薬味セット。お父さんが最後にやってきて、おばあちゃんと家族4人で「いただきます」をしてから食べ始める。弾む心に釣られて跳ねそうな声を必死に抑え、緩む顔を懸命に引き攣らせる。いつものうどんがいつもより美味しく感じた。

 すっかり油断していたそのとき、お母さんが

「なんかいいことあった?」

 と切り込んでくる。正直に言うのは恥ずかしいから秘密にしたい。

「宿題が終わったの」

 と嘘をつく。

「ふーん、寝てるだけで終わる宿題があるのね」

 するどいツッコミだ。

「あるの!」

 と返し会話を終わらせる。今度はお父さんから、

「明日のお祭りには誰と行くんだ?」

 と急所を突く質問。自分の表情が崩壊していくのを感じ、バレることを覚悟したとき、

「そんなの年頃の女の子なんだから秘密だわよね」

 と、おばあちゃんが茶化してくれた。釣られて笑ったことにして表情を立て直す。ピンチのとき助けてくれるのはいつもおばあちゃんだ。いつか恩返しをしないと。


 話題は花火のことに移り変わる。どうやら今年は特別に大きな花火が最後に1発上がるらしい。彼の横で見れるだろうか。

「それより、何か気づかない?今日はちょっと高いうどんなんだけど」

「あ、ああ、なんだかいつもより美味しいよ」

 お父さんが苦笑いをしながら言う。嘘の下手な人だ。そんなところはちゃっかり遺伝してしまったんだけど。

 どうやら明日のことで美味しく感じた訳じゃないみたいだけど、うどんは確かにコシがあって喉越しがいい。ついつい食べ過ぎてお腹をさすりながら階段を上り、自室に向かう。



 こんな調子で明日は普通にできるかな。不安になる。明日のプランは綿密に詰めていこうかなとか、語尾は敬語にしたらトチらなくなるかなとか、色考えていたら大きな問題を思い出して思わず、「あっ!服!」と大きな声が出てしまった。

 がさごそとタンスを探り、「お祭り 服」とググっても検索結果の条件に合いそうな服がない。まったく世の中の男子たちは無茶な要求をしてくるものだ。


 姿見に百度参りをしているとガチャッと扉が開く音がし、おばあちゃんが部屋を覗く。

「もう、片付けておばあちゃんの部屋に来なさい」

「今忙しいんだけど……」

「明日の服でしょ?そんなにタンスをガンガン鳴らして、こっちまで落ち着かないわよ」

「そんなことを言われましても」

「浴衣貸したげるから、片付けてこっち来なさい」

「え?ほんとに?」


 出した服を畳んで仕舞っておばあちゃんの部屋に行くと、3つの浴衣が並べられていた。

「どれがいい?若い頃に仕立てたものだからサイズも多分大丈夫よ」

「え!いいの!?」

「浴衣も着物も全部あげちゃってもいいんだけど、まずは着付けから教えないといけないわね」

「なんで!おばあちゃんまだ元気じゃん!」

「いいのよ。もう見せる人もいないし。」

 おばあちゃんは浴衣を遠い目で見て微笑む。

「話したい思い出もあるんだけどね、また今度にするわ。おじいちゃんが聞いてたら恥ずかしいし」

「恥ずかしいお話なの?」

「ちょっとだけね。さ、どれがいい?」


 選択肢は、黒地に赤い牡丹の花びら、白地に青い波紋と赤い金魚、淡い水色の生地に青い朝顔の3種類だ。

 彼はどういうのが好きなのだろう。ん-、わからない。

「何でも褒めてくれるわよ」

「そういうものかな?」

「男の人は服なんてあんまり見てないの」

「そっか。じゃあ、んー。く…」

「私の見立てでは水色のがよく似合うと思うの」

「やっぱりそう思う?」


 黒って言おうとしてたからちょっと気まずい。でもおばあちゃんはセンスが良いから言いなりになっておこう。

 でも、黒地の浴衣は大人っぽくて目を引くものがある。うーむ。

「黒はもう少し大人になってからがいいわ」

「そうかなぁ、私まだ子供っぽい?」

「まだまだよ」

「大人の階段って何段あるんだか分かんないね」

「階段じゃなくてエスカレーターよ。それもすっごく速いやつ。下に走っても絶対に下がれないの。それで、知らない間におばあちゃんになってる」

「早く大人になりたいけど、なりたくないな」

「どうやったって大人になるんだから今をしっかり堪能しときなさいね。当たってみれば割と砕けないものよ、頑張ってね」

「待って、何もないから」

「お父さんは気づかないでしょうけれど、お母さんは多分もう気づいてるんじゃないの?」

「え〜、まあそうだよね。面倒なのはお父さんだし、明日はお昼からお酒飲ませて眠って貰えばいいか」

「やっぱり何かあるのね。まぁ今日はゆっくり寝なさい。浴衣は明日着せてあげるから」

「あ、、、うん、ありがとう。じゃあ、おやすみなさい」

「はい、おやすみ」


 やっぱりおばあちゃんにはバレバレだ。でもいいや。お陰で超久しぶりに浴衣を着られる。しかも結構良いやつって前に言っていた気がする。デザインも好きだったし嬉しい。

 最後に和服を着たのは七五三ときかな。7歳の頃の記憶はないが、あの着物は元気な赤色だった気がするな。次に和服を着るときは何色が似合うようになっているだろうか。

 そんなことを考えながらシャワーで汗を流し、いつもより入念に体を洗う。また緊張してきた。今夜は眠れるかな?

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