まだあの夏にいる。
もうつあるふぁ
第1話 帰省、ミニチュアの街
社会人2年目の夏。
仕事にも慣れてきた私はお盆に合わせて有給休暇を取ることにした。
せっかくなので何かしようかと思ったが遊びに誘うような友達はおらず、物欲がないからお買い物もあまり楽しくない。
せっかく1週間の休みなのに特にすることがない。
あれ?学生の頃の私は何してたっけ。
そうだ、あの頃は遊びに誘ってくれる友達がいた。推しのアイドルもいた。今じゃテレビでたまに見るくらいで、CDを買いに行くこともなくなった。あの頃の熱はどこに行ってしまったのやら。
旅とか?行きたいトコないなぁ。大掃除して断捨離でもしようかな。
あ、実家に帰るのはアリか。
そう言えば上京してからもう5年も経つ。5年も帰省してないのは流石にまずい気がする。家族は「帰ってこい」なんて言わないけれど少しは思っているだろう。
お墓参りにも行きたい。地元に残っていそうな人にも連絡してみようか。ほとんどの人は地元を離れているだろうけど。
考え始めるとだんだん楽しみになってきた。私の育った街は記憶のままだろうか。
5年も帰らなかったのは家族との仲が悪かったからではない。
大学への進学を機に上京したが、学生の間はお母さんが年に5回くらい東京まで遊びに来ていた。そのうち数回はお父さんを連れて来たり、おばあちゃんを連れて来たりするから地元が恋しくなることがなかった。
流行病の影響もある。成人式もリモート開催になったから参加しなかった。それでも振袖は着たくて二十歳になったらすぐに東京の良い所で写真を撮ってもらった。
そうして結局4年間実家に帰ることはなかった。
会いたい友達も居なかった訳じゃない。高校にも中学にも仲が良かったと言える人はいた。けれど卒業してからは連絡をとっていない。
彼女らは何処で何をして生きてるのだろうか。元気でやってるかな。連絡してみようかな。なんて、今日も思うだけで結局連絡はしない。
陽炎の浮き立つ駅前のロータリー。移動はとても疲れる。早く帰って休みたい。「帰る」と言う言葉が浮かんできたことに「実家はやっぱり実家なんだな」と感慨深い思いに浸る。
お盆真っただ中の夕方前。人が多かったらヤだなぁと憂鬱になっていたが、そんなことはなかった。東京から帰って来たからだろうか、なんだかサビれてしまったように感じる。
昔は何もないこの街にも満足していたのに。広い世界を知るということは良いことばかりではないのかもしれない。
薄緑色のタクシーが来た。呼んでから数分待っただけでもう汗だくだ。
荷物を預けてそそくさと乗り込むと車内は気持ちいくらい涼しかった。これがサウナーの言う”ととのう”ってやつなのかな。
「暑い中待たせてしまい申し訳ありません」
「いやいや、そんなに待ってないですよ」
目的地を伝えると運転手は「今日もあっついね~」と馴れ馴れしく話しかけてくる。久しぶりの方言のアクセントはすごく懐かしいものがある。5年ぶりだが私は地元の言葉を上手く喋れているだろうか。
後部座席の窓から見える見慣れてたはずの知らなくなった街並みも楽しい。中央通りには見たことのないお店もちらほらあり、お気に入りだったパン屋さんは駐車場に変わっていた。帰ってきて早々に寂しくなるなんて帰って来なきゃよかった。とか思いながら、どこが変わったのか見て回りたい自分もいる。
10分も乗っていると家の近くのコンビニに到着する。ここも昔はオレンジ色の看板だったのに緑色に変わってしまった。沢山の思い出が詰まったコンビニだったから寂しい。あの人はまだ働いてるかな、と中を覗いても知らない人が働いていた。
家に向かう道を歩く。
懐かしい匂い。少し歩くと海風の匂いに気が付く。この匂いは嫌いじゃない。
懐かしい街並み。映画のセットやミニチュアのようで、なんだかむず痒い。
この道は小学校から高校まで登下校に使っていたから思い出も多い。
文化祭の帰りに友達と歩いて帰っただとか、この家のよく吠える大きな犬が怖かっただとか。もちろん良い思い出ばかりじゃないけれど、思っていたよりも私はこの街が好きだったのかもしれない。
さらに5分歩いて早足で角を曲がると見慣れていたはずの自分の家が目に入る。何か変わった気がするし、何も変わっていない気もする。古くなっただけだろうか。
門扉を開いて中に入る。左の砂利道を進むと庭がある。そこには花壇と低い木が数本植えてあるが、雑草がちらほらと生えており昔と比べると少し荒れたように感じる。おばあちゃんは電話で膝の調子が悪いと言っていたが、この庭の様子を見るともっと心配になる。
庭の端の日陰には水槽が置かれている。あの水槽はたしか玄関にあったはずだ。近づいてみると、赤い金魚と黒い出目金が2匹で寂しく泳いでいた。2匹ともすごく大きい。
私が最後に金魚を掬ったのは中3のときだっただろうか。あの金魚が長生きしているのかな?いや、あの夏からちょうど9年だ。生きてる訳ないか。
玄関に入って「ただいま」と言ってみる。でも返事はない。
お母さんにメッセージを送ってみると、みんなでお買い物に出かけているらしい。せっかく帰ってきたのに「おかえり」を聞けないのは寂しいな。
そう言えば”帰る”って伝えてなかったし仕方ないか、と思っていたら「なんで帰るって言ってくれなかったの!」とお怒りのメッセージが来た。確かにそれはそうだ。
ふぃ~、と息を吐いてリビングのソファに座る。冷房がなぜか点けっぱなしで涼しくて心地よい。消し忘れていいこともあるものだ。
目の前のテレビは買い替えられて大きく綺麗になっていた。なんとなく点けてみるとこちらでは人気のローカルタレントが美味しそうに海鮮丼を食べている。このタレントのシワも増えていて時の流れを感じる。
テレビから目を離して窓の外を見る。
そこは変わらない眺めでまた懐かしさが込み上げてくる。昔はここ座ると庭でおばあちゃんが土いじりをする姿が見えて好きだった。
窓からキッチンの方に目をやるとカレンダーが目に入る。
お盆の期間には”父休み”と書かれて矢印が引かれている。
明日の日付には小さく”夏祭り”と書かれている。
夏祭り。
その文字が目に入った瞬間、あの頃の記憶が鮮やかに蘇る。
思い出さないようにしていたのに、たった3文字で“あの花火”が脳裏に咲いて消えてた。この街の空気はあの頃のままで、懐かしい気分になっていたのが良くなかった。心の奥に押し込めていたあの頃の記憶が、さっき早足で通り過ぎた曲がり角でのことも、順番に浮かんでくる。
輝いて光を失わない甘い記憶、苦い思い出。青い春の後悔を何年も抱えて生きてきた。あのとき私の気持ちを伝えれば私の人生は違っていただろうか。
その後悔のせいで私はあの夏のことを、彼のことをずっと忘れられずにいる。
でも今日はとことん思い出に浸って、明日は思い出を辿りに出掛けてみるのもいい。まだ人には話せないけど、もう思い出しても悲しくはならないから。
新しくなった知らない冷蔵庫から酎ハイを探し出してプシュッと開け、テレビを消して庭をぼんやりと眺める。
たしか彼から電話があったあの日も、今みたいにぼーっと過ごしていた。
お酒は飲んでいなかったけれど。
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