第17話 元の木阿弥?

「ただいま、美羽、腹減ったぁ」

 裕星が玄関を開けながら美羽を呼んだ。


「お帰りなさい。あれ? 結海ちゃんは?」


「今日も寮に戻るって、さっき帰って行ったよ」


「ええ? まだ誤解して怒ってるの?」


「いや、誤解は一気に解けたよ。ただ、俺たちの邪魔をしたくないみたいだな。変な気を使ったんだろ?」と笑っている。



「でも、そんなにすぐ誤解が解けたなんて、何かあったの?」

 美羽は料理をテーブルに並べながら訊いた。



「いやあ、正に当人がいたからな。俺の影武者がね。ただ、その男が問題だったよ」



「え?」



「この間話した俺の友人だった。あいつの気の迷いというか、婚約者まで不幸にして付き合うような女じゃなかったのにな……」とシャツを着替えながら呟くように言った。




「そうだったの……。でも誰にでも心の弱さはあるよね。その方、大丈夫かな」



「大丈夫だ。こんなことになって、きっと考え直すと思う。あいつ、本来は真面目なヤツだからな。友達を信じるよ」


「そうね。――それじゃ、もうこれで裕くんの週刊誌の記事は出されずに済むかな?」




「ああ、そう願いたいね。実際に俺は、あの女を自分のマンションになんて連れてきてないんだし……。あっ、そんな、まさか!」


 突然大きな声を出して立ち上がった裕星を見て、美羽が驚いて訊いた。


「急にどうしたの?」



「俺としたことが、今まで気付かなかったよ」


「なんのことを言ってるの?」




「結海だよ! あれは全部、結海だったんだ」



「え? なんのこと?」



「俺の明日出される週刊誌の記事の写真だよ! 京都のあの記事も、俺が支えていたのは結海だっただろ?

 それに、次の記事は今夜写真が撮られて出されることになっていたよな? それがまさにさっきのやつかもしれないんだ」



「さっきのやつって?」


「結海はここまで来たんだけど、今日も寮に泊まると帰っていったんだ」


「うん、それは聞いたけど……」



「このマンション前に降ろして別れたとき、あいつ、つまづいて転びそうになったから俺が抱き上げたんだよ。そうしなかったら、あのまま地面に頭から落ちて大怪我していたからな」





「ええ? じゃ、じゃあ、あの、マンション前で女性を抱いたまま入って行ったと書かれた記事は……」




「この時のことだったんだ! しまった! きっと近くに記者が張ってたんだな。

 それに俺はいつも地下駐車場を使うから、エントランスからマンションに入ることなどあり得ないのに。書きようによっては、読者を信じさせるような内容だ」



「そうだわ。あ、ほら、このファイルにある記事だけど、確かにこのマンション前で裕くんが女性を抱いてる写真があるわ。

 でも、この写真の女性の顔は良く見えないけど、羽織っているジャケットとドレスだけはハッキリとしてるわ」

 美羽は結海の置いていったファイルを見せた。



「あれ? このドレスって美羽のじゃないか?」



「―—あっ! そうよ、これ、私が結海ちゃんに貸してあげたカクテルドレスにソックリだわ。この写真の紺のワンピース、どうりで見たことがあったわけね!」



「―—やっぱり。それに着てるジャケットは俺のだ。これは結海で間違いないな。しかし、もう撮られてるから言い訳のしようがない。どうする……このまま記事を出されて終わりなのか」



「で、でも、私の誤解は解けてるんだから、これから先私たちは喧嘩になることもないと思うわ。

 それだけでも進展があったわね。この先、あの記事は止められないけど、私たち家族さえしっかり信頼し合っていれば大丈夫よね? 結海ちゃんを悲しませるような喧嘩をしなくて済むわ」



「いや、それがそうとも限らないぞ」



「え? どうして?」



「美羽、忘れたのか? いや、忘れるということを忘れたのか?」



「言ってる意味が……」



「タイムスリップは、来た者も来られた者も、来た者が元の時代に戻ったらその時起きた事実を忘れてしまうことになってるだろ? つまり、これから出る記事の写真が結海であったことを、俺たちは忘れてしまうんだ。つまり……」



「つまり、誰とも分からない女性を裕くんが抱いている写真が記事になって、私はまたそのことで裕くんに不信感を湧いてしまう、ということなのね?」




「そういうことだ」



 二人は、ああ、と項垂うなだれて頭を抱えた。



「どうすればいいの? こんなに苦労して突き止めたことが、結局無駄だったというの?」

 美羽がへなへなと椅子に座り込んだ。



「結海が来たことが全部裏目に出て無駄になるのか……。何か方法はないのかな。あの記事を出されなければいいんだろうけど、もう手遅れだし」




 三人のこれまでの苦労は水の泡となり、振り出しに戻ってしまったのか。


 明日10日のロックフェスティバル生放送の日、記事は出されるのだ。怒り狂ったファンや関係者たちが、裕星を徹底的に責めるだろう。下手をすれば、フェスティバルどころか、今後のバンド活動にも支障をきたすことになるだろう。

 しかも、裕星にとっては身に覚えがなく、コメントをすることも否定をすることもできないのだ。それこそ週刊誌の思うつぼだ。


 朝倉本人は、これ幸いと売名に走って、決して記事を否定することはしないだろう。更に、したたかな朝倉は、自分こそが被害者だとばかりにSNSでの露出が増えていくことは目に見えている。

 結局、裕星たちだけが絶体絶命の危機を免れられないのだ。


 記事はどう阻止しようにも明日の早朝には本屋の店先や売店に並ぶことになる。


 生放送のため、午前中からリハで局入りしている裕星たちはまだ情報を知らないが、先にあの記事を見て憤慨した一般人たちが、ワイドショーや新聞などの追加報道で更に裕星の不貞を確信し、局に抗議してくるに違いない。

 これから一生、裕星は女にダラしない不貞男や不倫男と言われ続けるのだ。





 裕星はそんな噂やガセなどはどうでも良かった。しかし、他のメンバーに迷惑を掛けることと、一番大事な美羽に、この先ずっと不信感を背負わせたまま辛い思いをさせるのだけは避けたかった。



 美羽は眠れずに一晩中記事のことを考えていたが、明日は裕星たちの演奏を見た後で元の世界に戻る結海に、こんなことを知らせたくないと思っていた。

 あれほど自分たちのことを心配して、必死にやって来てくれたというに、とうとう何一つ変わらなかっただけじゃなく、本当の原因は実は自分だったと知ったら、更に絶望するに違いないと思ったのだ。




 ――ファンのみんながあの記事を信じて騒ぎ出す前になんとかしないと……。




 美羽は窓の外がうっすら明るくなってきた時、何を思いついたのか、突然日記を取り出して何か書き始めたのだった。


「これしか方法はない。これならきっと……。どうかあなたに届いて!」

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