第15話 魔女の男の落とし方
美羽は裕星を信じていた。たとえ未来の娘である結海にそんな衝撃的な話を聞かされても、それが裕星だとは思えなかったからだ。
「私も行って確かめたいわ。それが裕くんじゃないということをね。だけど、裕くんは明日は大事な生放送があるの。朝からリハがあると思う。私まで行ったら修羅場になってしまうでしょ? 支障をきたすといけないから、万が一のことを考えて私はやっぱり遠慮しておくことにするわ。
もちろん、その男性は裕くんじゃないと分かってるけど、それでもなんだか怖いから」
美羽はこんな時でも裕星のことを気遣っていた。
<わかった。私一人で行ってくるね。だけど、どんなことになっても、ママは落ち込まないでね。未来は結局変わらないということだから。
パパはママと予定通り結婚して私が生まれる。だけど愛のない生活で、結局はあの人にフラれたパパが、ママと暮らすことを余儀なくされて、夫婦喧嘩の絶えない家庭になるだけのことよ>
結海の絶望的な話を、美羽はため息をつきながら聞いていた。
「結海ちゃん、どうか最後まで諦めないで。裕くんのことを信じていてね」
美羽の言葉もむなしく、結海は無言で電話を切ったのだった。
美羽は受話器を抱えたまま、しばらく呆然と立っていた。
どうして結海がそこまで裕星を疑ったのかは分からない。しかし、女性と一緒にいる裕星の姿を見たと言い張っているうちは、彼女を説得することは難しいだろう。後は、結海が直接その男に会って、裕星ではなかったと納得するのを待つしかない。
「そうだ。結海ちゃんには絶対言わないでと言われたけど、やっぱり裕くんには知らせておいた方がいいわね。
そうでないと、結海ちゃんを傷つけるだけだし、もし、何かあったとき、裕くんならそんな場所にも顔が利くからすぐに駆けつけられるわ」
美羽は受話器をいったん戻すと、今度は裕星のケータイに電話をしたのだった。
***フェスティバル前日 2023年7月9日午後7時 In Mezzo al Mondo***
結海は朝倉リンにもらった招待状をもってバーカウンターにいた。
まだ朝倉は来ていないようだ。ここはお酒だけでなく軽い食事もできるため、周りではあちらこちらでお酒を飲みながら食事を楽しんでいるカップルたちの姿があった。結海は美羽に借りた
時計を何度も確かめたが、10分経っても朝倉はまだ現れない。すると、バーテンダーの男が、キョロキョロしている結海に声をかけた。
「お待ち合わせですか?」
「はい。朝倉さんと7時にここで。でもまだみたいですね」
「ああ、朝倉さまですか。最近はよく彼氏といらして幸せそうですね。あなたもモデルさんですか?」
「はい、後輩です。あの……少しお伺いしたいのですが、朝倉さんの彼氏ってどんな方なんですか?
実は今日紹介してくださるそうですが、話題を考えておくのに、先に色々知っておきたくて」
結海はバーテンダーに情報を聞き出そうとしている。
「ああ、あの彼氏さんは、たぶんロックグループの方ですね。ボーカルをされていて、背の高い細身のイケメンですよ。デビュー前はライブハウスで弾き語りをしていた苦労人だそうで、どこか影のある顔立ちをしていましたね」
「それで、彼女との出会いはどんなだったか分かりますか?」
「出会いはまさにここですよ。僕がこのカウンターを担当していたときでしたからよく覚えています。彼女の方が彼に一目ぼれしたようですよ。
私が言うのは何ですが、ここは会員制の限られたセレブしか入れないバーですが、その方は、初め一般の女性を連れてここに入っていらっしゃっていました。前の彼女さんですかね?
仲良さそうにされていたのですが、彼女さんの方は、こんな場所が苦手のようでいらっしゃいました」
「どうして、苦手と分かるんですか?」
「彼氏さんがトイレに立ったとき、私にこっそり話しかけてきたのです。こんな派手なところは苦手だと。自分には地味な所が合ってるのにと。あ、もちろん、すぐ、ごめんなさいと謝られていました。とても謙虚で純粋な方にお見受けしましたね」
「―—そうなんですか。でも、そんなに仲が良くて、どうして朝倉さんとお付き合いすることになったのかしら」
「うーん。あなたはお若いのでこんなお話はどうかと……」
「大丈夫です。私だって大人ですから!」
「──女の、色気でしょうかね。朝倉さまは今まで狙った男性を落とせなかったことは一度もないんです。あ、僕はもう年寄りなので、彼女からのお誘いはなかったですけどね。ハハハ……。
でも、彼女はトイレから出てきた彼氏さんを見て、一目ぼれして早速口説いておりましたよ。やり手ですから」
「ええ? トイレに行って来る少しの時間に口説き落されたというの?」
「ま、まあ、そういうことです。彼氏さんは朝倉さまとトイレの通路前でぶつかって、ああ、朝倉さまのいつもの作戦ですよ。それで転んだ彼女を抱き起こしたとか。
その時、朝倉さまが酔ったふりで彼氏さんをギュッと抱きしめてきて、耳元で自己紹介をしたそうです。自分はトップモデルの朝倉リンで、これから連絡がほしいとね。その状況下では、冷静な僕でもアブナイかもしれませんね。
その後で、名刺を渡したそうです。はあ、話していてもこっちが恥ずかしくなるなあ」と額の汗を拭うふりをした。
「――ちょ、ちょっと待ってください。たったそれだけでその彼氏は朝倉さんに落ちたというの? それにどうしてそんなことまで知ってるんですか?」
「有名な話ですよ。他の男たちも同じような手で落とされたとよく聞いていましたからね。いや、お喋りがすぎましたね」
「いいえ、とても参考になりました。どんだけおバカな男たちなの? でも、その彼氏は連れてきた彼女とはどうなったんですか?」
「その場で、仕事が入ったと言って先に返したそうですよ」
「なんてクズな男!(それがパパなの……?)」
「クズ? いやあ、彼氏さんは立派な方のように見えましたよ。今度ロックフェスティバルに出場されるそうです。僕も毎年見てる番組ですが、あの番組に出られるのは本当に選ばれたバンドばかりですからね」
「ロックフェスティバル? (やっぱりパパのことなの?)」
「明日の夜ですよね? 楽しみです。ああ、でもご本人が現れるのなら、直接ご本人にその話をお聞きできますね」
「そんな話、興味ありませんから」
「―—そう、ですか? それにしても、朝倉さまは遅いですね」
バーテンダーはグラスを丁寧に拭きながら辺りを見回した。
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