第13話 悲しみの最後の晩餐

 その頃、美羽は結海のケータイに何度も電話を入れていた。


 <はい……>

 やっと結海の声がした。




「結海ちゃん? どこに行ってたの! もう、心配してたんだよ。ね、どうだった? 何か分かったの?」



 しかし結海は言葉を発しない。


「結海ちゃん? 何かあったの? ねえ、大丈夫?」



 美羽が電話をギュッと握りながらまるで本当に小さな子供を心配するかのように訊いている。




 <大丈夫……じゃないかも>



「ええっ? 今日は家に帰ってきて。マンションの方に。帰ったら詳しく教えてね」



 <ねぇ、パパはもう帰ってる?>



「裕くん? ううん、まだよ。でもそろそろ帰るでしょ? 買い物かなにかじゃないのかな?」


 そう言っているうちに玄関のドアがガチャリと開いて、裕星がただいまと声を掛けた。


「あ、今帰ってきたよ。どうしたの? 裕くんに話があるの?」




 帰ったら話すと言って結海の電話が切れた。







 裕星はマンションに帰るなり、ただいま、と美羽に声をかけてすぐに風呂に向かって行った。


「裕くん、お帰りなさい。タオル置いておくね」

 美羽が風呂場のドアに向って言った。




「美羽、ちょっと後で話がある」

 裕星がガチャリとドアを開けて顔を出した。


「裕くん! また裸のまま! でも、話って何?」



「うん、ちょっと深刻な話。美羽に聞いてもらいたくて」



「わかったわ。あ、そうだ。今日は結海ちゃんがこっちに泊まるから、よろしくね」


「結海が? まあ、大人だし話を聞かれてもいいか」


「何よ、そんな深刻な話? 大人じゃないと話せないような?」



「―—まあ、そうだな。俺たちにも関係あるから」



「わかったわ。とにかく、お風呂ゆっくり入ってて。そのうちに結海ちゃんが戻ってくると思うから。食事の後で話を聞くわ」




 美羽は急いでキッチンに戻って夕飯の準備の続きをしている。






 すると、リビングのエントランスモニターがピンポンと鳴って、画面に結海の顔が映し出された。


「結海ちゃん、お帰り! 預けたスペアキーを差し込んでエレベーターを上がってきてね。玄関は開けておくから」

 美羽が明るく声を掛けたが、結海は黙って何も言わずにエントランスを入っていったのだった。






「お帰り、結海ちゃん」

 玄関のドアを開けて入ってきた結海を美羽が出迎えた。



「疲れた……」

 結海はまだ玄関先に突っ立っている。




 ちょうど風呂から上がった裕星が結海の声を聞いて玄関にやってきた。部屋着を着てタオルで頭を拭きながら「やあ、お疲れ」と声を掛けた。


 しかし、結海は裕星を一瞥したが無視している。



 ん? 裕星は結海の態度を不審に思ったが、すぐに、ああと思い当たることがあった。


「あの記事のことだろ? あれなら大丈夫。ガセだからね。美羽とお前が証人じゃないか。俺たちはあの日ずっと一緒だっただろ? それにあの写真は、神社で転んだお前を……」


「もういい! お腹空いた! ママ、夕飯食べよう!」

 裕星の言葉を冷たく遮ってリビングへと入って行ったのだった。




 ――なんだよ、あの記事のことを安心させようとしたのに。若い子の気持ちは分からないなぁ。


 まだ25歳の裕星が困惑顔で頭をポリポリかいている。

 裕星は不服そうに結海の後ろ姿を見送ると、自分も後からとぼとぼリビングに向かった。



 ダイニングテーブルには美羽の手作りの料理が湯気を立てて並んでいる。


「おお、美味うまそうだな! 美羽は料理上手だからありがたいよ。な、結海なら知ってるだろうけどな」

 裕星が結海の方を見たが、結海は相変わらず裕星を無視している。


「おい、どうしたんだ? 俺が何かしたのか? 何をさっきから怒ってるんだよ」


 裕星はごうを煮やして結海に訊ねたが、それでも結海はまだ黙っている。



「ねえ、どうしたの? 何かあったの? そういえば、今日は外で待ち合わせするって言ってたから、ずっと待ってたんだけど、私が行かなくても大丈夫だったの?」

 美羽が結海の前に料理を出しながら訊いた。




「ママが……可哀そう」

 結海が突然涙をポロポロと零している。



「ちょ、ちょっとどうしたの? 結海ちゃん!」

 美羽が慌てて結海に駆け寄って顔を覗き込んだ。


「何かあったのか? 誰かにひどい目にあわされたとか?」

 裕星も結海の態度が気になって声を掛けた。





「パパ、本当のことを言ってください。今なら私も大人だし大丈夫です。ねえ、私が生まれる前にママとちゃんと話し合ってほしいの」


 結海が涙を零しながら裕星を見つめている。



「君が生まれる前にちゃんとって。何がどうしたのか」

 裕星は何のことを言われているのか戸惑っている。




「だから、ママがいるのにあのモデルと付き合うのは止めてほしいの。もし彼女と別れられないのなら、ママとは結婚しないで! 私が生まれる前に別れてあげて!

 ママが可哀そうよ。ママは今ならパパと別れてもきっと立ち直れると思うから」


 そう言って、わあっとテーブルに突っ伏し声を上げて泣いている。



 裕星は美羽と顔を見合わせて眉を潜めていたが、ふう、と大きくため息をついて、ゆっくり椅子に座って話し出した。




「俺は美羽と別れるつもりはないよ。これから一生ね。どうしてあのモデルとのことを信じてるのか分からないけど、俺には美羽しかいない。

 だから、美羽と結婚したいと思ってるし、もし君が生まれてきてくれるなら、本当に幸せなことだと思ってるよ」




「結海ちゃん、私たちは大丈夫よ。あんな記事、信じてないよ。それに裕くんは本当に立派な人だよ。きっと未来でもね。私が誤解したままで裕くんを責めていたとしたら、それは私が悪かっただけのことよ。だから、裕くんのことを信じてくれる?」

 美羽が結海の両肩に手を置いて顔を近づけた。





「でも、私、見たの。あの朝倉リンとパパが二人きりで会ってるところを」



 美羽は驚いて裕星の顔を見た。

「裕くん?」


「どうしてそんなことを。俺がいつその女といたって?」



「もう嘘はいいよ! 私、今日もシスター寮に泊まる。さよならパパ。どうせ、私は消えちゃう運命だろうけどね!」


 そう言い残しパッと席を立つと、玄関ドアをバタンと大きな音を立てて閉め、出て行ってしまったのだった。






 残された美羽と裕星は呆然として結海を見送るしかなかった。


「どうしよう。追いかけなくちゃ……」

 美羽が玄関へ走ると、裕星が追いかけてきて美羽を止めた。



「結海はもう大人だ。今日は寮で冷静に考える時間がほしいと思う。どうしてそんな誤解をしたのか、誰かに吹き込まれたのか分からないけど、俺は彼女のことを信じるよ。俺たちのためにこの時代に来たんだろ? 俺を信じてるから」



 テーブルの上には美味しそうなアッシパルマンティエが寂しげに湯気を立てていた。

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