第8話 変えられない未来

 京都の夜は街の明かりで一層その美しさが際立きわだっていた。道の両端に立ち並ぶオレンジがかった灯篭とうろうの明かりが石畳いしだたみに反射している。景観を大事にしてるため近代的な高い建物がなく、それがまた風情を増幅させていた。



 二人は祇園ぎおんの街をゆっくり歩いていた。花見小路通はなみこうじどおりでは、時折、仕事場へ向かう芸妓げいこ舞妓まいことすれ違い、その度に彼女たちの美しさに美羽は何度も振り返って見とれていた。


「はあ〜素敵、素敵だわ! オレンジ色の灯篭とうろうの明かりと、この石畳。それに舞妓さんの綺麗な着物姿。もう言うことないわね」



「俺も、仕事とはいえ、わざわざ京都まで来て良かったよ。結海のお陰だな」と微笑んでいる。




 二人はどちらからともなく手を繋いでいた。漆喰しっくいの空の下にあるオレンジ色の京都の街並みをゆっくり心に刻みながら。


 二人は祇園で食事を済ませると、駅の近くにある京都タワーにタクシーで向かった。


 タクシーを降りてタワーを見上げながら裕星が言った。


「やっぱり最後の夜は二人でここから京都を一望したいなと思ってさ」



 展望フロアまで上ると、目の前には京都の夜景がまるで絵画のように美しく広がっている。


「うわあ、綺麗ー! ここから京都が全部見渡せそうね」


「ああ、本当に綺麗だな。場内の照明を少し落としてるから、窓の外が見やすくなってるんだ。俺たちの行った場所もここから見えそうだな」

 二人は肩を寄せ合って閉館時間になるまでずっと幻想的な景色に酔いしれていたのだった。




 ホテルの部屋に着いた頃には、夜の10時を回っていた。


 裕星が部屋に着くなり、バスタブにお湯を入れ始めた。

「あー、疲れた。明日俺は朝早いんだけど、美羽たちは何時の新幹線だ?」



「私たちはお昼前のを取ったけど、それじゃあ、裕くんが先に京都を出ちゃうのね? 私も一緒に起きてチェックアウトするわ。そして、結海ちゃんのホテルに行くことにする」




「そうだな。それがいいな。あ、風呂がいっぱいになったぞ。一緒に入るか?」

 裕星はにやりとしながら、服をポンポン脱いでいく。



「そう、ね。入ろうかな?」

 ズボンを脱ぎかけている裕星の後ろで美羽が言った。



 驚いたのは裕星の方だった。自宅マンションに一緒に住んでいるときでさえ、一緒に風呂に入ろうと言っても、決して応じることがなかった美羽にしては大胆な返事だったからだ。



「え? 本当に?」

 裕星はシャツを脱ぎ捨てて上半身裸のまま振り返って美羽を見た。


「嘘よ、嘘! 冗談よ!」

 美羽は、裕星の姿を見て真っ赤になってくるりと背を向けた。

 美羽はベッドに座ってホテルのスイートルームの窓から外を眺めていると、ふいに後ろから裕星に抱きすくめられ、驚いてキャッと声を上げた。



「裕くん?」


 裕星はベッドサイドにあるリモコンで照明をベッドサイド一つだけ残して部屋の電気を全て消してしまった。


「ほら、これならお互いはっきり見えないし、バスルームも照明も落としておくよ」

 裕星はいつもとは全く違って低く艶めいた声で美羽に囁いている。




 裕星がバスルームに入っていくのを見送ると、美羽は躊躇とまどいながらまだ窓の外を眺めていた。さっき京都タワーで見た美しい街並みがここからも充分堪能たんのう出来ることに気づいて、しばらく見とれているうち、美羽は段々と瞼が重たくなるのを感じた。





 しばらく待っても一向に風呂にやってこない美羽にしびれを切らして、素肌にバスローブ一枚羽織っただけの裕星が、バスルームからひょいと顔を出すと、ベッドの上でスースーと無邪気な顔で寝息を立てている美羽が見えた。



「やれやれ、やっぱりな……」



 裕星は起こさないようにそっと布団の中に美羽を滑り込ませると、ぬるくなった風呂に熱いお湯を足しながら、改めて一人寂しく浸かったのだった。






 翌朝、美羽が目を覚ますと、裕星はもう帰り支度をしている最中だった。


「裕くん? もうそんな時間? 私、あれから寝ちゃってた?」



「おはよう、美羽。ぐっすり寝れたようだな。そろそろ俺はここを出ないといけない。新幹線の時間だ。美羽はどうする? チェックアウトは済ませておくから、ゆっくり後で出ると良いよ。都内に戻ったら美羽もマンションに帰るだろ?」



「私、すっかり裕くんの存在を忘れたみたいに眠っててごめんなさい。気を付けて帰ってね。私も今日からマンションに戻れると思うから」




 美羽が急いで裕星に駆け寄っていくと、裕星は美羽をギュッと抱きしめた後、じゃあ気をつけてな、と手を振って小さなキャリーバッグを引いて部屋を出て行ったのだった。



「はあ、昨日の晩は部屋に帰ってきてからのことをまったく覚えてないわ。お酒も少し入ってたから眠たくなってしまって……」

 そう言うと、ハッと顔を上げた。

「そうよ、裕くんが一緒にお風呂に入ろうって言ってたような気がする」

 美羽は、はぁ、とため息をつくと、目を覚ますためにシャワーを浴びてゴソゴソと帰り支度を始めたのだった。





 美羽は結海の泊ってるホテルへとタクシーで向かっていた。

 昨日は、結局あのモデルは裕星の前には現れず、美羽と二人きりで京都デートを楽しんだだけだった。これで結果オーライだろう、と美羽は京都に来た甲斐があったことに満足していた。


 しかし、結海のホテルに着いてロビーのソファで待っている間、テーブルの上に何気に広げられている新聞を見て愕然がくぜんとした。



「何ですって? これ、どういうこと?」

 美羽はテーブルの上からバサッと新聞をひったくるようにして見ると、新聞記事の下部に週刊誌の見出し広告がデカデカと掲載されており、『ラ・メールブルーのリーダー、海原裕星、京都の夜に密会彼女。婚約者への裏切り』と大きく書かれた見出しの後に『か?』と小さい文字があった。



 ――どうして? だって、昨日は誰とも会わなかったわよ。裕くんと会ったのはお昼だし、夜はずっと私たちと一緒だったのに。これはどういうことなの? こんなデタラメ酷いわ!




 すると、そこに時間通りに結海が降りてきた。真剣に新聞を見ている美羽が気になって駆け寄ってくると、その芸能誌の見出しに思わずくぎ付けになった。



「ママ、これどういうこと? だって昨日の夜は」



「そうなの。あれから食事をして京都タワーには行ったけど、誰とも会わなかったわ。それなのに、この記事はどういうことなのかしら」



「これこそがガセってやつよ。あのモデルとパパがただ同じ京都にいるというだけで、噂をでっち上げたんだわ!」

 怒り心頭というように結海は地団太を踏んでいる。



「とにかく、ここに載ってる週刊誌を買って、よく読んでみましょう」

 美羽は結海と共にタクシーで駅に向かったのだった。

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