第4話 敵陣に乗り込む

 結海は美羽に借りたお金でバスに乗り込み、JPスター芸能事務所へと向かった。



 JPスター芸能事務所はバス停のすぐ目の前に建っていた。大きな近代的な白いビルだ。



「わお、流石に新しいわ! ここがパパの事務所なのね? 未来では事務所を独立して作曲家としてやってるから、ここに入るのは初めてだわ」




 結海は軽快な足取りで事務所の受付にやってきた。



「あのお、古都出版の者ですが、取材のお願いに参りました」

 咄嗟に日頃使っている自分の名刺をチラリと見せて訊ねた。



 受付の女性が、結海の名刺を見て、パソコンを開いている。

「古都出版さんですか? アポは取られてますか?」



「いいえ、今日初めてです。ラ・メールブルーの海原さんのインタビューをお願いしにまいりました」



「でも、海原は……ああ今、京都のスタジオにおりますね。少しお待ちください」

 そう言うと、どこかへ電話をしている。



 ──パパが今京都にいるというの? ママは、パパは京都に行く予定はないと言っていたのに、まさか……。




「あ、もしもし、受付の加藤です。実は、古都出版の記者さんがいらしてるんですが。いえ、海原の取材だということです。どんな? あ、ちょっと訊いてみます」

 そういって電話を保留にすると、顔を上げた。




「あの、古都出版さんは芸能や音楽関連の雑誌社さんではないと思いますが、どんなご用件で海原にインタビューを?」



「あ、はい。え……と、実は新しい企画でして、工房を回って日本の文化に触れる、みたいな感じで……今人気の都会的なアーティストさんが古き良き日本の街を散策するというのがテーマなんです」


 結海は咄嗟にでまかせの記事の内容を説明した。




「それじゃ、取材は海原のいる京都で受けることは出来ますか?」


「京都でですか? あ、はい、むしろ好都合です!」




「少しお待ちください」

 加藤はまた電話を取って話した。

「京都での取材は大丈夫だそうです。はい、あ、そうみたいですね。それじゃ、明日の午後は調整できますか? はい、そうお伝えします」



 結海がドキドキしながら加藤の顔色を窺っていると、「明日3日の午後2時からなら空いているそうです」と答えが返ってきて驚いた。



「え? いいんですか?」

 結海が訊き返すと、「はい。今スケジュールを聞いたのはマネージャーですが、本人に伝えておきますとのことでした。古都出版さんなら信頼しているので、お任せしますとのことでした。――そちらのご都合は大丈夫ですか?」



「はい、もちろん大丈夫です(まさかこんなにすぐ許可が出るなんて……この時代でも古都出版は真面目な雑誌だから信頼されてるのね! でも、そうすると、これから京都に行かないといけないわね)


 それじゃ、明日の午後2時に京都の『あおい』という料亭でお待ちしておりますとお伝えください」


 結海は咄嗟に、以前、京都で取材をしたとき、編集長に連れて行ってもらったことがある江戸時代から続く老舗の料亭の名前を出した。そこならこの時代でも有名なはずだ。




「はい。海原本人に伝えておきます。明日3日、京都駅近くの『葵』に14時ですね?」


 確認をすると、受付の女性はまた淡々とパソコンを打ちながら忙しそうにしている。


 結海はそっと一礼すると、急いで事務所を後にした。


 ――明日、パパに会えるんだわ! でも、どうしよう。ママにも伝えて一緒に付いてきてもらおうかな?





 美羽に借りたケータイで教会に電話を入れた。

「私はかい、いえ、さ、佐藤結海と言います。はい、昨夜泊めていただいた。美羽さんは今電話に出られますか? え? まだミサの最中ですか。


 分かりました。それでは、今日の午後一時に渋谷のモヤイ像の前に来てほしいと伝えてくださいますか? ありがとうございます!」





 結海は忙しい美羽に代わって、裕星に相談できる時間を設けたのはいいが、それが京都となるとお金と時間がかかる。

 その旅費の工面くめんをしてもらおうと美羽を外に呼び出したのだった。





 ――どうしてパパが京都にいるのかしら。あの記事のように、もしパパが京都で誰かと不審な行動を取ったり会おうとしたらすぐに嗅ぎつけられるようにしておかないと。



 結海は裕星は浮気などしていないと信じていたものの、どこかでは少しの誤解の芽もんでおきたいと思っていた。




 そのころ、週刊女の春では、人気トップモデル、朝倉リンの恋人がどうやら有名アーティストで、更に不倫関係にあることを掴んでいた。しかし、まだ相手のアーティストが誰か決定打を掴めていなかった。


 朝倉がよく使う高級バーやナイトスポットで見かけたことがあるという程度の漠然とした噂だったが、今二十代女性のカリスマモデルとしてCMや雑誌で人気の彼女が、不倫、つまり妻か婚約者のあるアーティストと密会していることを記事にすれば、彼女のファンの女性たちはもちろん、男性アーティストのファンの女性の嘆きは大きく、彼らの記事を読みたい一心で週刊誌の売り上げ部数は過去最大になる見込みを立てていた。


 他社に勘づかれないよう極秘に進められているため、まだ彼ら記者たちは水面下で朝倉を付け回しているのだろう。







 結海はあるモデル事務所の前にいた。ここは雑誌やドラマなどでも見かける人気モデルを多く輩出している大手事務所であることはさっきネットで調べ済みだ。

 もちろん、ここが例のモデル、朝倉リンの事務所でもある。


 美羽が来るまでの間、少し探りを入れておこうと先に立ち寄っていたのだ。



「あのお、すみません。モデルのオーディションはやっていますか?」


 結海は恐る恐る受付に訊ねると、受付の中年の女性が訝し気にジロジロと結海を眺めまわし、「モデル志願の子かしら?」と訊いた。


「あ、はい。モデルとしてここで雇っていただけたらと……」

 結海は断られるギリギリの設定で内部に入る口実を作った。




 すると受付の女性が、すぐに受話器を上げて何やら話している。


「――面接するそうよ。履歴書は持ってきたの?」


「いいえ、実は、今日田舎から出てきたばかりで、履歴書がいることも分からなくて……」と結海はもじもじしてみせた。



「まあ、じゃあいいわ。すぐにここの奥のエレベーターで10階に上がって。上の受付でもう一度話してくれる?」と廊下の奥を指さした。


 ありがとうございます、と礼を言って、結海は小さくこぶしでガッツポーズをすると、エレベーターにそそくさと乗り込んだ。



「ここにパパの相手のモデルがいるかもしれないし、もしいないとしても、何かしら情報を掴めるかもしれない」


 ブツブツ言いながら、一人きりのエレベーターの中でこれからすることの手順を考えていた。


 すると、7階でエレベーターが止まってスーと扉が開くと、ハッとするような美しいスリムな女性が風をまとって入ってきたのだった。

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