忘れ物から始まる

CHOPI

忘れ物から始まる

 ジメジメとする季節。湿度のせいで空気に質量感じるのは、きっと自分だけではないはずだ。どことなく頭や肩が重くて、比例して気持ちも重たくなる。


「……傘忘れた……」

 今朝の天気予報は夕方から雨が降ると言っていたのに、確認だけして結局忘れてきた。こんなポンコツをやらかすのも、全部今の時期の気候のせいだ。……天気のせいにしたところで、解決策にはならないんだけど。


「あれ? 帰らないの?」

 下駄箱で靴を履き替えて、だけど降っている雨の量に絶望して玄関で立ち尽くしていたら、同じクラスの男の子に声をかけられた。

 えっと、名前、なんだっけ。確かテニス部なのは覚えているんだけど。

 自分とあまり関わりのない人だから、咄嗟に名前が浮かばなくて焦る。


「え、あ、うん……」

 いきなり声をかけられて上手く返事を返せない。自分のこういうところが嫌いだ。クラスの他の女の子たちみたいに、明るく可愛く返せたらどんなに良いんだろうって、もうずっとそうやって考えている。でも悲しいことに、なかなか改善はされなくて。


「あ、もしかして。傘忘れた、とか?」

 え、何、その一回で正解を導き出す能力、何。凄い、凄すぎて怖い。自分には無いその能力、凄いのに怖く感じる。

「……」

 焦ってそんなことを考えていたら、思考は忙しく働いているのに現実世界の私はフリーズしたままで。だけどその無言の時間を、彼は肯定と捉えたようだった。

「え、まじ?」

 『なんか意外だなー、しっかりしてるイメージだった!』なんて言いながら、彼は自分のスクールバッグをごそごそとかき回し始める。何かを探しているようで、それから彼は小さく『あった』と言って、バッグから何かを掴んで私へと差し出してきた。

「ほい。これ、貸してあげる」


 渡されたものをよく確認もしないまま、条件反射で受け取ってしまう。そんな私に“にっこり”なんて効果音が付きそうな笑顔を見せると、『じゃ、また明日なー』、そう言って雨の中に去っていく。その背中がかなり遠くなって、やがて消えていった頃ようやく自分がこちら側に帰ってきた感覚になる。非日常の一瞬から、日常に戻った感覚。我に返るってこういう事か、みたいな。


 そこでようやく気づく。……え、あの子、傘差して無かった……? 慌てて手元を見ると、視線に入ったのは黒くて武骨な折り畳み傘。


 それを見て、日常に戻ったはずの世界が再び非日常に変わる。


 西の方角、厚い雲の切れ間から、ほんの少し光が指し始めていた。

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