疑惑

 翌朝、メグは早くに目が覚めた。いつ出たのか既にゴン太の姿はなかったが、深くは考えずに熱いシャワーを浴び、両親が腫れた瞼に気づく前に家を出た。両親は昨日のことはまだ知らない。涙の理由をきちんと順序立てて話す余裕はメグにはなかった。


 そんなメグを待っていたのは思いにふける暇もないほどの忙しさだった。県庁の受け付けで警官に呼び止められ、誰に詫びを入れる間もなく午前中を事情聴取で費す羽目になった。


「無事で良かったわ」


 合間を見てメグが琴音ことねに頭を下げると、琴音は素っ気なくそう言った。みのりは涙を滲ませてメグを抱きしめ、史人ふみひとは「僕がかたきを取る」と拳を握り締めた。それも束の間、昼休憩は午後からの緊急テレビ会議の準備であらかた潰れ、ろくに食事も取れない有り様だった。


 午後一時きっかりに、中央のモニターに白髪の男性が映し出された。日本の魔法界の実質的なリーダーであり、世界トップクラスの魔法使いでもある沢渡さわたり専務理事その人だ。彼はその辺の魔法使いが気安く話しかけられるような存在ではない。言うなれば、日本魔法界における神のような存在なのだ。その専務理事直々の招集とあって、魔法課のみならず、総務部の部長、副知事、警察関係者、更には画面越しの各地のお偉方も、一様に緊張した面持ちだ。


 まず、司会進行役の遠山が簡単に昨日の経緯を説明した。それから琴音が時系列で細かい状況を伝え、バス停での出来事からは警官に話したことをもう一度メグが皆の前で話した。何度話してもその時のことを思い出すと声が震えた。


「大まかな状況はわかりました」


 口を一文字に結び、時折銀縁の眼鏡をすいっと指で押し上げながらずっと無言で話を聞いていた沢渡が口を開いた。肘をついて両手を組み、顔を小刻みに揺らしながら喋っているのが苛立ちなのか癖なのかわからなかったが、メグはそれを見ているだけでますます落ち着かない気持ちになった。


「それで、今後どういう対応をするつもりなのか、遠山君の意見を聞かせてください」


 遠山が硬い表情のまま口を開く。


「はい、幸い無事に望月君を救出できましたが、今回の拉致事件に関しては大変遺憾に思っております。今後は必ずふたり一組での任務を徹底します。未だ犯人の特定には至らず、またその目的も判明してはおりませんので、より慎重な調査をしていく所存です」


「今回の騒動の元凶は例のと考えていいのかね」


「はい間違いありません」


「それで、奴の正体はどれくらい解明されたのかな」


「ご、ご報告できるほどのことはまだ……」


 会議室に重苦しい空気が流れた。


「遠山君、君が優秀な管理者だということは重々承知している。しかし、この件は少々君の手に余るようだ。そこで信頼の置ける人物を派遣することにしたよ。間もなく到着するだろうから、彼女と協力して速やかに事態を収束させるように。今回のことはスイス本部の理事たちも関心を持っている。これ以上深刻化させないよう、くれぐれも頼んだよ」


「はっ、肝に銘じます」


 遠山は敬礼しそうな勢いで姿勢を正した。


「それから、望月君と言ったね」


 理事がメグに視線を移した。メグは跳ねるように立ち上がると、アワアワと声にならない声を上げた。


「無事で何よりだった。ただ、君の振る舞いには大いに問題がある。今後はくれぐれも慎重に行動するように。わかったかね」


「あ、はい、すみませんでした」


 メグは深々と頭を下げた。「では」という声がして頭を上げると、画面から理事たちの姿が消えていた。途端に部屋のあちこちからため息が漏れる。遠山もまた深いため息をつくと、滴る汗を拭き拭き立ち上がって一礼した。


「皆さん、本日はありがとうございました。今後につきましては、まず魔法課で話し合いまして方針を決めたいと思います。一両日中にご連絡を差し上げますので、その節は宜しくお願い致します。では、本日はこれにて散会と致します。魔法課の職員は十五分後に会議を始めるので準備をお願いします」


 それを合図に出席者はこの空間から逃れたいとばかりに出口へ急いだ。メグも皆に続いて部屋を出ようとしたところで遠山に呼び止められた。


「すまないね、皆のいないところで確認しておきたいことがあるんだ」


 そう言うと遠山は扉を閉めメグを手近な椅子に座らせて、自身も向き合うように腰掛けた。


「さっきの一条君の話しぶりからすると、は自然を扱うのに長けているようだね」


「はい。一条さんも、こんな凄いことができるのは史人さんくらいしか知らないと言ってました」


 ここで遠山は誰もいないのに声を潜めた。


「本当に史人君だということはないのかい?」


「まさかっ!」


「それだけじゃない。一条君はなぜ君をわざわざ麓まで連れて行ったんだろう」


「それは私が足手まといだったから……」


に渡すためとは考えられないかい?」


「課長、さっきから何を言ってるんですか! そんなことあり得ません!」


「メグ君、落ち着いて。僕はあくまでも可能性の話をしているんだ。僕だってそんなことはないと信じてる。信じてるが、ほんの僅かでも可能性があるのなら、一度疑ってみるしかないんだよ。それがこの問題を解決するには必要なんだ。わかるかい?」


 確かに、遠山の言うことにも一理ある。メグは渋々頷いた。


「わかってくれてありがとう。それでだ、僕がいちばん不思議に思うのは、ゴン太君が君を見つけられなかったことだ。僕でさえ見当がついたというのにね。使い魔が主の居場所がわからないなんて聞いたことがないよ」


「そ、それは、昨日だけはどうしても見つけられなかったって……」


「本当にそうなのかな。そもそも今日ゴン太君はなぜ来なかったんだ。何か不都合なことがあるんじゃないのかい?」


「……」


 メグは昨夜のゴン太の思い詰めた顔を思い出した。ゴン太がメグを陥れようとしたとは到底思えないが、何かを隠しているような気はする。


「まあいい、話を変えよう。メグ君、なぜ君は拉致されたんだろう? 何か思い当たる節はあるかい」


「そんなのありません!」


「では、犯人の狙いがゴン太君だという可能性は?」


「えっ」


「ここへ来てからのゴン太君の行動には非常に謎が多い。何かしら秘密を抱えているんじゃないかと僕は睨んでいるんだよ。そもそも名前からして不自然だしね」


「あ、それは自分で日本らしい名前をつけたって言ってました」


 メグは少しでもゴン太の疑いを晴らしたくて饒舌になった。


「ほんとの名前はレオポルトって、校長先生の昔馴染みだって、校長先生自ら仰ってました」


「田嶋校長の? レオポルト……レオ……ああ、そうか! なるほどね……」


 遠山は何かに納得したように頷くと、改めてメグの顔を見て真剣な顔で言った。


「君が狙われたとは限らない。でも、君じゃないとも言い切れない。君は純粋で素直だから心配なんだが、身近な人を信用し過ぎるのは危険だよ。たとえそれがバディだとしてもね。とにかく気をつけて。何かあったら必ず僕に相談してね。僕が君を守る。約束するから。わかったかい?」


 メグを見つめる真摯な眼差しに、この人だけは信じていいとメグは確信した。


 その時、けたたましくドアが開いて田嶋校長が飛び込んで来た。


「望月さん、大変よ、お祖母ばあ様が!」


「校長先生! どうしてここに」


「そんなことは後回し! 遠山さん、お話はまた後で!」


 ぽかんと口を開けたままの遠山を残して、メグは紫苑しおんと共に病院へと急いだ。

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