襲撃

 高い木々に囲まれた道を暫く歩くと、広い範囲が見渡せるなだらかな丘陵に出た。右手には遠く市街地が広がり、左手には幾重にも山が連なっている。琴音ことねが前方の小高い丘を指差しゴン太も頷いた。何の変哲もない風景がこのふたりにはどんな風に見えているのだろうかとメグも目を凝らしてみたが目に映ったままでしかない。


「このルートは最短だけど無防備ね。別の行き方をカムイに探らせてみるわ」


「せやな」


 琴音が上空を旋回していたカムイに何やら指示を送ると、カムイは見る間に小さくなって視界から消えた。その姿を見送ると今度は白い紙のようなものを出しふうっと息を吹きかけた。すると紙はするするとほどけるように空中に舞い上がり蝶の如く羽ばたいた。


「これって……」


「式や。偵察やら情報収集やら、陰陽師ならではの道具やな」


「きれい……」


 メグが見とれていると、数十体の式は一段と高く舞い上がり、がいるであろう丘に向けて群れをなして飛び始めた。


 ところが百メートルほど進んだところで突然全ての式が一斉に落下した。と同時に、メグは襟首を掴まれて物凄い勢いで引き倒された。幸いゴン太がクッションになって頭を打つことはなかったが、砂利道にひどく尻餅をついた。


「何すんのよっ」


「動かないで!」


 ゴン太を怒鳴りつけ起き上がろうとするメグを琴音が一喝した。驚いて見上げると、琴音が両腕を突き出して氷のドームを作っている。そこには何かがバシバシと音を立ててぶつかっていて、見る間に視界が遮られていった。メグは慎重に立ち上がり琴音に近づいた。驚いたことに琴音の髪や服に緑や茶の針状の物が大量に刺さっていた。松葉だ。腕からは所々出血さえしている。琴音の顔が苦痛に歪んでいるのをメグは初めて見た。歪んでいても美しいのだが。


「すまん琴音、間に合わなんだ」


「大丈夫、顔は守ったから」


 そこか〜い、とツッコミを入れる余裕は今はない。メグの頭の中は現状を把握するので精一杯だ。それすらもできているとは言い難い。いったいこれはどういうことなのか。


「望月さんは大丈夫?」


「ええ、はい、でもこれは……」


「強烈な敵意を感じるわ。あの丘に奴がいて、私たちは奴の悪ふざけの的になってるの。わかる?」


 メグは後ずさりした。自分たちがに襲われている。その事実を飲み込むのに数秒かかった。


 琴音は次々とドームを作り替え視野を確保しながら少しずつ今来た道を戻り始めた。ゴン太もまたメグの腕を掴んで誘導しながら琴音のサポートをするのだが、降り注ぐ量が凄まじくあっという間に松葉に覆われてしまう。どんぐりやら松ぼっくりまで飛んで来ているようだ。


「ここにいる限り武器は無限というわけね。それにしても、こんなことできるのは私の知る限り史人ふみひとくらいしかいないわ」


「かなりやりよるな」


「そのようね、でも……」


 でも?


 メグは琴音の次の言葉を待ったが、琴音はそれきり黙ってしまい、その間にも攻撃は次第に過激さを増して小石や木の枝まで飛んでくるようになった。琴音が使い物にならなくなった氷の壁を破壊するたび、メグは「ヒィ」と小さな叫び声を上げた。このふたりがいれば大丈夫と思う一方でこのままここで死んでしまうのではないかという恐怖がこみ上げて、知らぬ間に涙が溢れた。


「琴音、ちょっとの間代わるさかい、この辺り一帯に雨を降らせてくれへんか」


 少しの間黙っていたゴン太が言った。その横顔はいつになく厳しくて、メグは更に呼吸が苦しくなる。


「了解」


 琴音が空に両手をかざすと見る間に黒い雲が湧いて大粒の雨が降り出した。その雨に打たれてか、途端に飛んでくる物の勢いが弱まっていく。


「ここはわしが食い止める。琴音、メグを頼むで」


「任せて」


 琴音はメグを振り返ると、これまででいちばん厳しい目をした。


「望月さん。いえ、メグ! 死ぬ気で付いて来なさい」


「は、はいっ!」


 後ろではゴン太の作った特大の竜巻がこれまで飛んできた殆どの物を巻き上げ、龍の如く身をくねらせてエネルギーの発生源へと突き進んでいたが、メグには振り返る余裕すらなかった。


 木立に厚く囲まれた場所まで走って、やっと琴音は足を止めた。もはや何も飛んで来ない静かな空間だ。木の枝がサラサラと揺れ、木漏れ日が砂利道に不規則なまだら模様を描く様を見ていると、さっきまでのことが夢だったのではないかと思えてくる。メグは急に足の力が抜けてその場にへたり込んだ。こんなに死にものぐるいで走ったのは生まれて初めてのことで、心臓が口から飛び出しそうだ。

 

 一方で琴音は尚も辺りを警戒しながら体に付いた松葉を払い落とし、それからスマホを取り出して電話をかけた。


「私。今、例のに襲われたわ。いえ、大丈夫。あの人は? そう。メグを頼みたいから下のバス停までお願い。じゃ、後で」


 それだけ言うと琴音は電話を切った。相手は天空だとメグは察した。


 それから琴音は真上を見上げると「カムイ」と叫んだ。微かに羽音が聞こえる。


「ゴン太は?……そう。私たちは平気だからそっちを手伝って」


 メグの耳にも「ホーホー」という返事が届いた気がした。それから琴音は鞄から小さな水のペットボトルを取り出すとメグの前にしゃがんで手渡した。メグは礼もそこそこにもぎ取ると貪るように飲み干した。やっと生きている実感が湧いた。


「ゴン太はのところに向かったそうよ。カムイに応援に行かせたわ。これから私たちは車で麓に戻る。あなたを安全な場所に置いたら私もゴン太と合流するつもりよ」


 メグは琴音の吸い込まれるような美しい瞳を見返した。


「それは私が足手まといだということですか」


「そうね」


 琴音はすっくと立ち上がった。


「さあ、行くわよ」


 メグは立ち上がれずにいた。自分が役に立たない魔法使いだという自覚はある。けれど、いざその現実を突き付けられると複雑な感情が湧き上がってどうしていいかわからなくなった。メグの両目からまたしても涙が溢れ出す。


「泣いてる暇なんてないのよ。これ以上手間を取らせないで」


「私にできることは何もないんですね」


「今はね。役に立ちたいと思うなら強くなりなさい」


 琴音に怒っている様子はない。ただ事実を提示しているだけだ。メグは立ち上がった。これ以上迷惑をかけることはできないと思った。

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