琴音の忠告

 連休が明けると、先月の忙しさが嘘のように穏やかな日々が続いた。遠山やみのりはよくお茶をしていたし、史人ふみひとは屋上にまで植木の設置場所を増やしてその世話に余念がなかった。


 メグはといえば、今更ながらに空いた時間で魔法学やら魔術学やらの本を読み始めた。体育館での特訓中にゴン太に言われた言葉がいつまでも胸に刺さっていて、その痛みを和らげるには自らが成長するしかないと覚悟を決めたのだ。そのことを遠山に相談すると、自分の蔵書からメグのレベルに合った本を次々用意してくれた。


「いやあ、素晴らしい! 僕はその覚悟を全力で応援しますよ。魔法は磨けば磨くほど上達しますが、実践だけでなく理論も大切ですからね。これからも何かあったら遠慮なく相談してください!」


 遠山は両手の拳を握りしめ、何度も振り下ろしながら力説した。メグは頼りになる上司に恵まれたことをありがたく思った。


 そんなある日、みのりと史人が珍しく揃って休んだ。みのりは実家に用事があるとかで他県に行き、史人は同居する祖父母の通院に付き添うために有給を取ったのだ。史人は両親と離れてずっと祖父母と暮らしているとかで、こうしてたまに休むことがあった。


 いつも忙しそうにしている琴音ことねも今日は比較的ゆったりと書類の整理などしている。忙しさの原因は県知事だ。庁内では琴音のことを『陰の第一秘書』と呼んでいるらしいが、その知事が出張中なのだ。


 そんな静かな部屋で、メグはいつものようにソファに座って本を読んでいた。いや、読んでいるつもりなのだがちっとも頭に入って来ない。本が難しいのか、メグのおツムの問題なのか、まるで睡眠薬のようにメグを眠りの世界へと誘う。ここが自分の部屋ならとっくにギブアップしていることだろう。


「随分と熱心ね」


 不意に声を掛けられてメグは飛び上がるほど驚いた。実際に数センチは浮いたと思う。メグがこれほど動揺しているのに琴音は涼しい顔をしてメグの向かいに座った。そこには少しの悪意もないようだ。逆にメグは完全に挙動不審に陥っていた。


「あ、えっと、コーヒー、コーヒー淹れましょうか?」


「その方が良さそうね。濃いめのブラックでお願い」


「かしこまりました」


 メグはまだバクバクと脈打つ心臓をなだめつつコーヒーを淹れる支度をした。カフェでもあるまいし「かしこまりました」などと場違いな言葉遣いをした自分が情けない。琴音とは普段殆ど話す機会がなく、怖い先輩というイメージが拭えないこともあって、未だに相対すると緊張してしまう。


「あなたも座ったら」


 琴音にコーヒーを差し出したメグはその場を去るタイミングを逃してしまい、仕方なく琴音の前に腰掛けた。そして先程から席を外している遠山が一秒でも早く帰ってくる事を祈りながら息を潜めて沈黙に耐えた。


「そういえば、天空たかあきが随分とあなたのこと褒めてたわ?」


 コーヒーが半分ほどになり、そろそろ理由をつけて立ち上がろうと思っていたとき、不意に琴音が話し出した。


「ほえ?」


 思いがけず天空の名前が出て危うくコーヒーをこぼすところだった。


「この間の植樹祭に天空も来てたのよ。企画も司会ぶりも素晴らしかったって言いそびれたから伝えてくれって」


 琴音は棒読みだ。彼女にとっては本当にどうでもいい内容なのだろう。メグへの伝言を琴音に託すくらいなら、以前交換したメアドを使って欲しかったとメグは思った。


「天空さんと仲がいいんですね」


 うっかり口を滑らせてメグは慌てた。


 やだ、何言っちゃってるの、私……


「まあ、身内みたいなものだから」


 え、そんな深い仲なの……


「今は離れて暮らしてるけどね」


 ど、同棲してたってこと


「天空って朝が弱くて面倒だったわ」


 うわああ、それ以上聞きたくない〜!


「私の父の妹の息子が天空」


「へ?」


「つまり従兄いとこってこと」


 そこまで言うと琴音は口の端を曲げてフンッと笑った。メグはそこで初めてからかわれていることに気づき顔が真っ赤になった。


「冗談はさておき、あなた、課長と随分仲良しね」


 琴音の口調が変わり、澄み切った瞳が有無を言わせぬ迫力でメグを捉えた。


「そ、そんなことは……色々とアドバイスいただいたりはしますけど、仲良しとかそんな……」


 やましいことなど何もないのに、メグの返答は自分でもびっくりする程しどろもどろだ。


「課長があんなに面倒見がいいとは思わなかったわ。あなたは何か特別なのかしら」


「まさか! あんまり出来が悪いからほっとけないんだと思います」


「それはそうでしょうけど」


 そこは否定しないんだ……


 メグは琴音と目を合わせないように背を丸めてコーヒーを啜った。


「なんにせよ、相手が誰だろうとあまり信用し過ぎないことね。全身で寄り掛かってたらいともたやすく転ぶことになるわよ」


「え?」


 琴音は言いたいことは言ったとばかりに立ち上がり、カップを持ったまま自分の席へと戻り無言でパソコンを開いた。いつものように、話しかけてくれるなというオーラが吹き出している。メグはカップの中の残り少ないコーヒーを見つめながら、琴音の最後の言葉を反芻していた。


 課長を信じるな、ってこと?


 メグには今ひとつ琴音の真意が理解できなかった。それよりも琴音と天空が従兄妹いとこだったという事実の方が気になる。


 ということは恋人ではない? でも、従兄妹でも結婚はできるはず……


 そのとき、バンッとけたたましい音を立ててドアが開き、遠山が息を切らして駆け込んできた。


「大変だ、またが出た!」


「どこですか?」


 琴音が勢いよく立ち上がると、部屋の温度が少し下がった気がした。


「またしても先日の森林公園だ。今、連盟から連絡があった。とりあえず一条君とメグ君で現場に向かってくれ。僕も後から追いかけるよ」


「え、なぜ課長が来るんですか」


 琴音は鞄を持ち上げた手を止めて遠山を見た。その顔は少し迷惑そうに見える。


「君たちが心配だからに決まってるじゃないか。公用車の鍵はもう借りてきたからこれで行ってくれたまえ。僕は自分の車で行くことにするから」


 琴音は尚も何か言いかけたが、思い直したのか遠山から鍵を受け取ってさっさと部屋を出ていった。慌てて追いかけるメグの背後から遠山の声が響いた。


「メグ君、くれぐれも気をつけるんだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る