七転び八起き

 左手を使うことでメグの魔法は目に見えて効果が出やすくなった。ピンポン玉を徐々に重いボールに替えてもメグはすぐに順応したし、更に右手を添えることによってかなりの勢いをつけることも可能になった。


「よっしゃ、次でこの魔法の練習は終いや。わしに向かって思いっきりそのバスケットボールをぶつけてみい」


「オッケー! 日頃の恨みを込めて全力でいくから覚悟しなさい」


 メグは十分にエネルギーを溜めると、これまででいちばん気合いを入れてボールを飛ばした。会心の一撃だ。ボールは吸い込まれるようにゴン太に向かって行ったが、ゴン太の目の前で突然何かに弾かれた。


「え? 今何したの?」


「これや。メグ、前に三歩歩いてみ」


 メグは首を傾げつつも、言われた通り歩き出した。すると何もないはずの空間で思い切り何かに顔をぶつけた。


「いった〜い! 何よこれ」


 いつの間にか目の前に透明な壁ができていたのだ。


「それはな、空気を固めたもんや。水が氷になるみたいに空気も固められるんやで。何かを閉じ込めたり、バリアとして使ったり、とにかく便利な魔法や」


「へえ? それって難しいの?」


琴音ことねの水やみのりの炎と比べたら簡単なもんや。また今度教えたる。さあ、次にいくで」


「よっしゃ! 今なら何でもこなせる気がするわ」


 しかし、引き寄せる魔法になった途端、メグの快進撃はピタリと止まってしまった。


「ええか、イメージが大事や。ピンポン玉に意識を集中して、自分のてのひらの中心と紐で結ぶんや」


「ちゃうちゃう、そやない! エネルギーで引っ張るんや。さっきの押す感覚の反対や言うとるやんけ」


「そやないて! なんべん言うたらわかんねん!」


 だんだんヒートアップしていくゴン太に、メグはとうとう我慢の限界を超えた。


「もういい! もうやめた! やっぱり私には無理だったんだよ」


 メグは涙を浮かべ床にへたり込んだ。日はとっくに傾いて、体育館の窓はオレンジ色に染まり始めている。


「なんやもう諦めるんかいな」


「もう? もうって何? あたしこんなに頑張ったじゃん。でもできないんだよ。どんな魔法だって簡単にできちゃうゴン太なんかにあたしの気持ちはわからないよ」


「あー、わからんな。何でもすぐに諦めて投げ出して。そんな奴の『できない』は『やらない』とおんなじや」


 メグは唇を噛み締めながらゴン太を睨みつけた。紫苑しおんは難しい顔をして、少し離れたところからふたりのやり取りを見守っている。


「メグ、お前いつか言うたよな? 魔法使いに生まれたからには上を目指したいて」


 メグはゴン太を睨みつけたまま何も言わない。


「一流になるてな、そんな甘いもんちゃうで。メグは魔法学校で何してたんや。ホンマにちゃんと勉強したか? 教科書もロクに読まんとおった奴が何をぬかしとるかっちゅう話や。その分のツケをな、これから払わなならんのや」


 そんなこと今更言われたくない。去年までの自分を呪ったところでどうしようもないことは自分がいちばんわかっている。だから今頑張っているのだ。それでもできないものはできない。メグは心にあふれる思いをとめどない涙に代えた。


「さあ、メグ、立つんや。何遍でもできるまでやるで。それが嫌なら、魔法使いなんぞやめてまえ!」


 メグは自分の左手の指輪を見た。初めてはめた時は夢を見ているようだった。けれど今は、絞首刑の縄のようにさえ思える。


 メグは指輪を引き抜くと、ゴン太に向かって思い切り投げつけた。指輪は緩い弧を描いて宙を舞いゴン太の前に転がった。首を振りつつ大きな溜息をついたゴン太がそれを拾おうと手を伸ばした瞬間、指輪はふわりと浮き上がり、自らメグの左手中指に戻っていった。暫しの沈黙の後、ゴン太が叫んだ。


「それやっ!」


 体育館が吹き飛びそうな絶叫に、メグは仰向けにひっくり返った。


「な、なに?」


「それや、メグ。もう一度指輪を投げてみい」


 戸惑うメグを何度も強く促して、ゴン太はメグに指輪を投げさせ、今度は指輪が戻る前に急いで捕まえた。


「ええか、メグ。今からこの指輪とメグの指の間にエネルギーの紐ができて引っ張り合うからそれを感じるんや」


 メグは何が何だかよくわからなかったが、とりあえずゴン太の指示に従って姿勢を正し、右手で左手を支え持った。


 突然物凄い力で左手が引っ張られ、思わずニ、三歩前に出た。油断すると体を持っていかれそうになる。ゴン太はゴン太で足を突っ張って前のめりになる体を必死の形相で支えていた。


「何これ? どうなってるの?」


「指輪がメグのところに戻りとうて引っ張っとるんや。どや、エネルギーの紐を感じるやろ?」


 確かに、メグの中指と指輪が見えない紐で繋がれているのがわかる。ゴン太が言っていたのはこのことだったのか。メグはやっと腑に落ちた。


「そしたらわしが手を離すさかい、指輪が戻るときの感覚を覚えるんやで」


 メグはまだ乾かない涙を袖でぬぐい取って大きく頷いた。




 その夜の九時過ぎ、校長室にはゴン太と紫苑がいた。壁には布団を蹴飛ばして寝息をたてているメグが映し出されている。


「人の気も知らんと呑気なもんやな」


 目の前のお茶に手を伸ばしながらゴン太が言った。ちょっと贅沢な中華弁当を二人前平らげた腹は、いつにも増してぽっこりしている。


 見えない手でメグに布団をかけ直してから壁の映像を消して、紫苑もお茶に手を伸ばした。彼女はヘルシーな玄米おこわ弁当だ。


「それにしても随分と熱心だったわね。あなたが望月さんを焚き付けてどうするのよ」


「すまん、つい歯痒うてな。そういう紫苑かて、利き手を見破ってしもたやないかい」


「ごめんなさい、つい指導者として動いてしまったわ。でも、こんなことして大丈夫なの?」


「紫苑も見たやろ、植樹祭でのメグを。多少なりとも成長させへんと職場での立場が保てへんのや。かまへん、この程度の魔法、ほんの子ども騙しや」


 ゴン太は音を立てて熱いお茶を啜った。


「それよりあっちはどないなっとるんや」


「そのことなんだけど、あらゆる手段を使って調べてみたけれど正直なところよくわからなかったわ。あなたが納得するまで続けてはみるけれどね。単なる思い過ごしじゃないのかしら」


「ならええのやけどな」


 ゴン太の置く湯呑みが、静かな室内にコトリと音を響かせた。

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