特訓

「メグ、もうすぐ着くで」


 ゴン太の呼び掛けに顔を上げると懐かしい山々が見えた。最寄り駅から三十分余り、国道のコンビニ前のバス停を降りて坂を上れば、そこにはこの春卒業したばかりの魔法学校がある。メグは隣の席に置いた荷物を引き寄せた。


 植樹祭以来、メグの気持ちはずっと塞いだままだ。あの後もたくさんの人から褒められたけれど、褒められれば褒められるほどいたたまれない気持ちになった。自らも魔法使いでありながら同僚の魔法を呑気に絶賛していたことも、祖母アンナの前で自画自賛したことも、今となっては情けなく恥ずかしい。


 そんなメグを見兼ねたのか、ゴン太が連休を利用して魔法の特訓をしようと言い出した。話は校長の紫苑しおんに伝わり快諾を得たようだが、メグは悲観的な気分から抜けられないでいる。簡単な魔法を覚えたところで焼け石に水ではないかと思えるのだ。


 だからといって放置していい問題でないこともわかっている。例えば、メグにもいつ後輩ができるかわからない。先輩に呆れられるのならまだしも、後輩に蔑まれるのはさすがのメグにも耐え難いことだ。


 玄関では紫苑が笑顔で出迎えてくれた。久しぶりに見るレンガ色の校舎と淡い黄色の寄宿舎は、懐かしさと同時に学生時代の不甲斐なさを思い起こさせる。しかし、ここまで来たからには手ぶらで帰るわけにはいかない。紫苑が準備してくれた部屋に荷物を置くと、それなりの覚悟を持って体育館へと向かった。


「望月さんはどんな魔法を身に着けたいと思っているのかしら」


 手持ち無沙汰に突っ立っているメグに向かって紫苑が尋ねた。生憎と何のビジョンもないメグは更に困った顔になる。


「前にも言うたかもしれへんけど、魔法は基本的にはエネルギーをどう扱うかっちゅうことや。例えば……」


 そう言うとゴン太はメグの前方五メートル程のところに胡座をかき、右手から水を、左手から火を出してみせた。


「みのりや琴音もやっとったが、こういうのはわかりやすいやろ? エネルギーを変換しただけやからな。人工的に作れるもんは大抵魔法でも再現できるで。こうして右手の水を酸素や水素に変えれば爆発だって起こせるんや」


 ゴン太がそう言うと、目の前の炎が膨れ上がってボンッと弾けた。


「ただ、史人みたいに固形物を出すのは難しいんやで。あれは見事なもんや」


 言い終わると同時に、ゴン太の頭からにょきにょきと茎が伸びてチューリップの花が咲き、シュワッと消えた。


 私が何ひとつできない魔法を、なんとまあ易々とこなすのだろう、このデブ猫は。


 メグの顔がわずかに歪んだ。それに気づいたのか気づかなかったのか、ゴン太は淡々と魔法の説明を続ける。


「火や水を出すのんは、前に練習した光を出す方法に似てるんやで。ただ、膨大なエネルギーが必要やからその分難しいかもしれへん。比較的簡単なんが空気を操る魔法や。ええか、ここにピンポン玉があるやろ?」


 ゴン太の目の前の床にピンポン玉がコロンと現れた。


「見ててみ、手をかざすと動き出すで」


 ゴン太の言う通り、ピンポン玉はメグに向かって勢い良く転がり、目の前でぴたりと止まった。メグが拾おうか迷っているうちに、スルスルとゴン太の前まで戻っていった。


「押す方が簡単なんや。メグが鉛筆を倒す時みたいにエネルギーをぶつけたらそれでええ。そやけど物体をコントロールしようと思たらその物体と自分の間に見えないエネルギーの紐を作る必要があるんや。それが作れたらこんなこともできるんやで」


 ゴン太が手を左右に振ると、それに従ってピンポン玉が動き出した。今度はゴン太がその手を上に上げて振り回すと、ピンポン玉は勢い良く空中を回り始めた。本当に糸で繋がってるように見える。いつの間にか口をぽかんと開けて見ていたメグの前に再びピンポン玉が静止した。


「今回はこれが目標や」


「こんな難しいの無理だよ!」


 我に返り真っ赤になって反論するメグをゴン太は静かに諭した。


「ええか、メグ。魔法学校で壊滅的な成績やった実技で合格できたんは『遠視』のお陰やろ?」


 確かに、あの魔法がなければ落第していてもおかしくなかったと思う。メグは黙ってこくんと頷いた。


「あれはな、相当難しい魔法や。メグの同級生で遠視で加点してもらった生徒が他におったか?」


 そもそも遠視ができない生徒の方が多かった気がする。メグは今度は首を横に振った。


「そんな難しい魔法が使えるメグが、こんな基本的な魔法にビビってたらあかんのちゃうか。どんなことかて、やり始めなんだらできるようになるわけないやろ。宝くじかて買わなんだら当たらへんのやで」


 それまで黙って聞いていた紫苑が口を挟んだ。


「その例えはどうかと思うけれど、レオの言うとおりだと思うわ。望月さんの遠視は卒業に値する素晴らしい魔法だったもの、他の魔法だってきっとできるようになるはずよ。まずはチャレンジしてみてはどうかしら」


 こうまで言われては反論の余地はない。メグは渋々しゃがみ込み、ピンポン玉に右手をかざした。


「動け!」


 ピンポン玉はぴくりともしない。


「う〜ご〜けっ!」


 何の変化も起こらない。


「なんやそのやり方はぁ! しっかりエネルギー溜めなあかんやないかぁ」


 ゴン太の声に怒気がこもる。


「ちゃんとやり方教えてくれなきゃできないもん!」


「なんやとぉ! 何を甘えとんねん!」


 ふたりの間に火花が散った。


「まあまあ、ふたりとも。望月さんは鉛筆を倒せるのね? では、そのことを思い出してご覧なさい。ボールは動きやすいから意外に簡単よ」


 そう言うと、紫苑はメグの前に回り込み、スカートの裾をたくし上げて床に座った。


「さあ、集中して。エネルギーが溜まったらピンポン玉にぶつけるのよ」


 メグは目を閉じて深呼吸をした。瞼の裏に浮かんだゴン太の顔を振り払い、静かにエネルギーを溜めていく。みぞおちのあたりがもぞもぞして、そう言えば最近魔法を使ってなかったことを思い出した。


 魔法使いなのに魔法使ってないなんてヤバくない?


 メグが思わずプッと吹き出すと、ピンポン玉がコロコロと転がり出し、紫苑のスカートにぶつかって止まった。


「なんや、鼻息かいな」


「鼻息ちゃうわ!」


「望月さん、今ちゃんとできてたわよ」


「え? ホントですか? 全然自覚ないんですけど」


「リラックスしたのが良かったのかもしれないわね。今度は笑わずにやってごらんなさい」


「はい」


 手元に戻ったピンポン玉に右手をかざし、エネルギーをぶつけると、今度はすんなり転がり出したが、途中で止まってしまった。


「ねえ、ちょっと待って」


 紫苑がメグににじり寄った。


「手を、両てのひらを上に向けてみて」


 メグが言われるがままにすると、紫苑は片手ずつに自らの右手をかざした。


「望月さん、もしかして利き手を矯正したの?」


「え、あ、左利きのことですか?」


「ええ、そう。左利きを右に直したりしなかった?」


「それなら父の両親が『女の子なのに見苦しい』とか言ったらしくて無理やり直されました。今はスポーツ以外は全部右手です」


「それよ! 魔力はね、利き手の方が発現しやすいのよ。さっきのを左手でやってごらんなさい」


 メグは半信半疑のままピンポン玉に左手をかざした。


「動け!」


 すると、さっきまでとは明らかに違うスピード感でピンポン玉は床を転がっていった。目を丸くして左手とピンポン玉を交互に見るメグの頭をゴン太が軽く小突いた。


「利き手の話は教科書に載っとるはずやでぇ」


 メグはペロリと舌を出して笑った。

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