団欒

「ほう、これは思った以上の出来栄えですね」


 そう言いながら、課長はメグと史人ふみひとの顔を満足そうに代わる代わる眺めた。それまで心細い思いでいたメグだが「ほらね」と言わんばかりのウインクが史人から送られると、これまで感じたことのない高揚感に包まれていった。


「若い感性に溢れていますね。これなら子どもたちも喜んで魔法使いの道を選んでくれることでしょう。君たちにお願いした甲斐がありました。では、これを元に詳細なタイムテーブルを作ってください。それから必要な備品、機材などを今週中にピックアップしてくださいね」


 「はいっ」と大きく返事をして、メグは足早に自分の席に向かった。一段落した気分で鉢に水をやり始めた史人は、すぐさまその作業を中断させられることになる。パソコンが使えないメグの代わりにキーボードを叩かなければならないのだ。


「やる気満々だね。午前中までは声も掛けられないくらい気落ちしてたのに、昼休みに何かいいことあったの?」


「な、何もないですよ!」


 天空がここに来たことは色々な意味で恥ずかしくて言えない。メグは赤くなった顔を見られまいと、書類の束で史人の視線を遮った。



 その日メグは、社会人になって初めて満たされた気分で帰路についた。心配させていた両親にもいい報告ができると思うと、人混みでもスキップしそうになる。


 玄関のドアノブに手を伸ばしたとき、中から賑やかな笑い声が響いてきた。三人暮らしのメグの家では滅多にないことだ。誰が来ているのだろうとリビングを覗くと珍しく祖母のアンナがいた。


「おばあちゃん!」


「あら、メグちゃん、おかえり。今ね、メグちゃんの小さい頃のビデオ見てたのよ。もう懐かしくってね」


 画面にはひとりテンポのずれたダンスを堂々と踊るメグの姿が映し出されている。


「おまえは子どもの頃からどんくさいヤツやったんやなあ」


 祖母の膝で丸くなっていたゴン太がニヤリと笑いながら言った。


「あんたみたいなデブおやじに言われたかないわ!」


「わしにはキレッキレの魔法があるさかい、なんの問題もないがな」


 ゴン太に掴みかかろうとしたメグを慣れた手つきで制して、母の雛子が皆を促した。


「さあさあ、晩御飯にしましょう。今日は奮発したわよ」


 雛子の言うとおり、食卓には盆と正月が一度に来たようなごちそうが並んでいる。一緒に作ったのか、アンナの得意なボルシチもあった。思う存分食べて腹の底から笑って、メグは家族といる幸せを改めて感じていた。そしてこの日はやがてメグにとって忘れられない思い出となる。


 久しぶりのボルシチを頬張りながら、メグはふとアンナの母親について聞いてみたくなった。


「ねえ、おばあちゃん、ボルシチはひいおばあちゃんの得意料理だったんでしょ? どんな人だったの?」


 ゴン太の眉がピクリと動いた。アンナは箸を置いて、エメラルドグリーンの瞳をメグに向けた。


「そうねえ、小さい頃に亡くなったからあまり覚えてないんだけど」


「病気だったの?」


「そう、何かの流行り病だったみたいね。ある日学校から戻ったら、ママが病気で隔離されたって聞かされてそれっきり二度と会うことはなかったの。朗らかで優しい人だったみたいね。外国人なんてほとんどいない時代だったけれど、日本語も上手で近所付き合いもうまくやってたってばあやが言ってたわ。お父様はママの話はちっともしてくださらなかったわねえ。でも、再婚しなかったところをみると、ママのこと凄く愛してたんだと思うわ」


「おばあちゃん、かわいそう……」


「もうずっと昔の話よ。それより仕事の方はどうなの?」


 昨日までのメグなら避けたい話題だが今日は違う。メグは胸を張ってアンナに答えた。


「大変なこともたくさんあるし、できないことだらけで迷惑もかけてるけど、私なりに精一杯頑張ってるよ。今度植樹祭があって、その企画を先輩と一緒に任されてるの」


 成り行きをハラハラと見守っていた両親は力強いメグの言葉に安堵して、雛子ひなこは薄っすら涙さえ浮かべていた。アンナも殊の外嬉しそうに何度も頷いた。


「メグちゃんの企画した催し物ならおばあちゃんも行きたいわ。いつあるの?」


「今月の最終金曜日だよ。一般の見学も受け付けてるから見に来てよ!」


「わかった、約束ね」


「うん、約束」


 メグは小指をアンナの前に差し出した。アンナの小指は折れそうなほど細く冷たかった。


「メグ、お布団敷くから手伝ってちょうだい」


 雛子に促されて客間へ赴くと既に布団は敷かれていた。入り口でキョトンとするメグに雛子が小声で囁いた。


「おばあちゃんね、いよいよ心臓が良くないの。来週にはこっちの病院に入院することになってるのよ。この家に来られるのも今日が最後かもしれないし、植樹祭に行くのは無理だと思うわ」


 廊下で聞いていたゴン太がくるりと向きを変え、その瞬間ふいっと消えた。

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