連絡先

 翌日からのメグは多忙を極めた。いちばんの大仕事はもちろん植樹祭の企画だが、合間に新人研修やら魔法課本来の業務が挟まれる。新人は残業が禁止されているので、これらを業務時間内にこなさなければならない。お世辞にも要領がいいとは言えないメグは終始テンパっていて、いっそ史人ふみひとに全てを任せたいとも思ったが、魔法課の面々はあくまでもメグを主体に企画を進めるというスタンスで、同じくこの企画を任された史人でさえ「まずはひとりで考えてごらん」と繰り返すばかり。


 これがメグにはこの上ない重圧で夕飯の席で両親に愚痴を言ったのだが、新人にそんな大切な仕事を任せてくれる職場はなかなかない、素晴らしいことなんだから頑張りなさいと逆にたしなめられてしまう有り様。


 もちろんゴン太が役に立つはずもなく、家では朝晩しっかりご飯を食べるものの、魔法課のドアの前で姿を消す日々が続いていた。


 そんなこんなであっという間に一週間が過ぎたが、未だに叩き台すらできないメグはランチの誘いを断ってひとり魔法課のソファーに突っ伏し脚をバタつかせていた。


「こんな仕事受けるんじゃなかった〜。あたしにはムリだよう。誰か代わってくれよう」


「何を代わって欲しいって?」


 突然降ってきた言葉に驚いてバッタの如く飛び跳ねたメグは、そのままソファーから転げ落ちた。聞き覚えのある声の持ち主は、今いちばん会いたくなかった人、天空たかあきだ。


「ごめんごめん。大丈夫かい?」


 今日はスポーティな白のポロシャツに濃紺のスラックス、髪は緩やかに後ろに流して、以前のきちんとしたスタイルとはまた違った爽やかな魅力に溢れている。その天空が素早く片膝を付き右手を差し出した。


 アニメの萌えシーンのような状況に暫くポカンとしていたメグだったが、ふとスカートの乱れに気づき、四つん這いのまま高速で天空から離れた。そしてスックと立ち上がると、何事もなかったように「こんにちは、神宮寺さん」と頭を下げてみせた。ソファーの下に転がった靴は後で拾うことにして。


 天空が笑いをかみ殺しているのが手に取るようにわかって顔を背けた。よりによってこんなときに来るなんて。もしかしたらピンク色の毛糸のパンツを見られたかもしれない。首まで真っ赤になりながらも、平静を装うしかないメグであった。


「こんにちは、望月さん。ノックをしたんだけど返事がなくて。大変失礼しました」


 そう言いながら軽く会釈した天空は品があって、テニス観戦中のどこぞの王子のようだ。この部屋にふたりきり、そう気づくと再び鼓動が速まってしまう。でも、天空の目当ては琴音ことねに違いない。


「一条さんなら、知事のお供で会食に行かれてます」


 メグは天空のがっかりした顔を見たくなくて再び顔を伏せた。しかし、天空の返事は意外とあっさりしたものだった。


「そうなんだ。ところで、望月さんはもうお昼済ませたの?」


「いえ、まだです」


「お詫びと言ってはなんだけど、良かったらフルーツサンド食べませんか? ここのは凄く美味しいですよ」


 グ〜、キュルキュル


 慌ててお腹を押さえたメグの姿に天空がくしゃっとした飾り気のない笑顔を見せ、またしてもメグの心臓は鷲掴みにされてしまった。


 メグは一緒に食べると言う天空のためにコーヒーを淹れ、テーブルに並べてから天空の斜め前に腰掛けた。正面は照れくさいし、食べるところを見られるのはもっと恥ずかしいが、あんな派手なお腹の音を聞かれたのでは今更要らないとも言えなくて、半ばヤケになりながらフルーツサンドにかぶりついた。


「……美味しい!」


 キウイといちごが行儀よく並んだクリームたっぷりのサンドイッチ。酸味と甘味のバランスが絶妙だ。急いで咀嚼してもう一度かぶりつき、今度はゆっくりと噛み締めた。


「幸せそうな顔して食べるんだね」


 はっとして顔を上げると、皺くちゃな笑顔が目に飛び込んだ。白い歯が眩しくて目が眩む。


 考えてみたら、家族や親戚以外の人とこんなふうに食事をしたことがなかった。それなのに初めての相手が憧れの天空さんとは、なんという幸福な時間なのだろう。


 メグはかっこいい男性は食べ方もスマートなのだと初めて知った。ふと、ゴン太の姿が浮かんで慌てて振り払う。あれは天空とは対極の生き物だ。


「ところで、何を代わってほしいって言ってたの?」


 メグが美味しさと幸せとで十分満たされた頃、不意に天空が口を開いた。メグはこれまでの経緯を自分の気持ちも含めて素直に話した。時に感情的になりがちなメグの話を、天空はカウンセラーの如く絶妙な相槌で促しつつ冷静に聞き続ける。


「つまり、今の自分には責任が重過ぎて辛い、ということだね」


「はい」


 メグは盛大に鼻をかんで自分語りを締めくくった。目の前にいる憧れの人にはもう十分みっともない姿を晒したので、今更怖いものはない。


「僕は、みんなが君に期待しているからこそだと思うし、越えられないものではないと思うけどね。そもそも難しく考え過ぎているんじゃないかい?」


「親にも同じこと言われました」


「それで君はこの仕事を降りたいの?」


 メグは答えられない。決してやりたくないわけではない。どうしていいかわからないだけだ。だからといって、今更一から教えを請う勇気もない。この一週間、何をしてきたんだと思われるのが怖いし、何よりただひとつのアイディアさえ浮かばない自分の無能さを晒すのが辛いのだ。メグは絞りきったはずの鼻水が再び湧いてくるのを感じた。


「返事がないということは、単純に辞めたいわけでもないということだね。わかったよ望月さん、僕の話を聞いて」


 メグはもう一度鼻をかんで顔を上げた。


「いいかい、なぜ遠山さんが君にこのプロジェクトを任せようと思ったか。それは君がいちばん若いからだったよね?」


「はい、そう仰ってました」


「そこにヒントがあるんじゃないかな。君は社会人としてこのプロジェクトの企画を立てようとして苦悶している。しかし、課のみんなが期待してるのはそこじゃない。つまりは君の感性に期待してるんだよ」


「私の感性?」


「そう、もっと言えば君の瑞々しい感性だ。君が中学生のときに感じていた魔法に対する興味や憧れ、もしくは疑問や不安はまだ君の中に生々しく残っているんじゃないのかい?」


 一瞬にしてメグは中学生の自分に戻った。あの頃は魔法使いになれることが楽しみで仕方ない反面、公務員の仕事が自分に務まるのかという不安が拭えなかった。そもそも、普段の生活の中で魔法使いに出会うことはまずなかったし、どういう未来が待っているのかまるで見当がつかなかったのだ。そんな中、多くの疑問が解け将来への希望が湧いたのが正に職場体験だったではないか。


「だったら、あのときの不安を解消するイベントにすればいい!」


「何か掴んだみたいだね」


「はい、ありがとうございます。私のやるべきことがわかった気がします」


 天空が満足気にうなずいた。


「素晴らしい。ただ、自分ひとりで全部やろうと思わないことが大事だよ。こういうふうにしたいんですって君が言えたらそれで合格。そしたらみんな協力を惜しまないはずだから」


 何と言う的確なアドバイス。メグは我を忘れて天空を見つめ続けた。


「望月さん、スマホ出して」


「え?」


「連絡先を交換しよう。何か困ったことがあったらまた相談に乗るよ。僕で良ければだけど」


「も、もちろんですっ!」


 メグは震える手でスマホを操作した。まさか天空の連絡先を手に入れられるなんて思いもしなかった。今なら箒無しで空も飛べそうな気がした。


「あ、私飛べないんだった……」


「え?」


「ああ、いえ、何でもないです」


「あ、それと僕のことは名前で呼んでくれたらいいよ。苗字で呼ばれるのは落ち着かなくて」


「たかあきさん、と呼ぶんですか?」


「ああ、それでいいよ。僕はメグちゃんでいいかな?」


 漫画なら鼻血ブーってして倒れる場面だが、現実のメグはかろうじて堪えた。


「間抜けな顔やなあ」


 突然目の前にゴン太が現れてメグはイナバウアーばりにのけぞった。


「何すんのよっ、このデブ猫!」


「なんや、天空の前でそんな言葉使うてええんか?」


 慌てて口を押さえるメグ。ニヤニヤしているゴン太の向こうで天空が肩を震わせている。メグは今日の夕飯はゴン太の分まで食べ尽くすことを心に誓った。


「ほな行こか」


「了解。メグちゃん、頑張ってね」


 いつの間に親しくなったのか、ゴン太と天空は連れ立って部屋を出て行った。

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