魔法愛
帰り支度をしながらメグは何度もため息をついた。魔法学校で色々と勉強してきたはずなのに、どうしてこうもこの世界について知らないのだろうと情けなくなったのだ。本当に必要な知識をちゃんと伝えてくれる教師がいれば少しは違っていただろうにと、恨み節のひとつも言いたくなる。
いやいや、それは違う。私が甘かったんだよ。
メグはすぐに自分の考えを訂正した。学生時代にもっとちゃんと勉強していたら、きっと今の自分とは違っていたはずだ。卒業さえすれば公務員になれるんだからそれから頑張ればいいという甘えがあったと思う。
いや、でも、現実的に自分は学校の授業についていくのが精一杯、いや、ついていけなかったのが本当のところだ。結局どう頑張っても今の自分は変えられなかったとも思う。
悶々としながら玄関を出ると冷たい風がスカートの裾を揺らし、コートを着てこなかったことまでもが悔やまれた。庁舎の前の交差点は帰路を急ぐ車が列をなし、歩道を肩をすぼめた大人たちが忙しく行き交っている。メグは、今ここにこうして立っている自分がとても場違いな気がした。
「メグ君!」
信号を渡り始めたとき、不意にメグを呼ぶ声がして目をやると、向こう側に停まったワンボックスから遠山が手を振っている。メグは少し戸惑いながら小走りに駆けつけた。黒塗りの車はやたら大きくて、いつか見た街宣車のようだとメグは思った。
「メグ君の家は確かえびす商店街だったよね? ちょうどそっちに用事があるから乗っていきませんか?」
「え、でも……」
「なあに、通り道なんだから遠慮することはないですよ。それに今日は疲れたでしょう?」
確かに、初出勤だというのに強烈な個性の面々が揃った職場に配属されたかと思うと、突然任務に駆り出されて大勢の前で恥をかいたり、もう二度と会えないと思っていた
そんなわけでメグは遠山の好意に甘えることにした。ゆったりした助手席に乗り込んで程よい硬さのシートに身を沈めるとベッドに寝転んだくらい気持ちが良くて思わず深いため息が漏れた。
「ため息が出るほど疲れましたか?」
メグは慌てて口を押さえた。スムーズに国道の流れに乗った遠山はにこやかに話を続ける。
「無理もないですよ。なかなか刺激的な一日だったでしょうから。ところで、魔法課はどうでした? うまくやっていけそうですか?」
どう答えるのが正解なのか考えを巡らせたがうまくまとめられずにいると、遠山はさらりと話題を変えた。
「それはさておき、メグ君にはお身内に魔法使いはいますか?」
「いえ、いません」
「遠い先祖とか、親戚とか、本当にいませんか?」
「遠い先祖まではわかりませんが、私の知る限りではいません。でも、どうして……」
「いえ、魔法使いがよく出る家系があるのでね、メグ君はどうかなあと思いまして」
「そうなんですか?」
「一条君のところは凄いですよ。彼女の母親は千年続く京都の陰陽師の家の出身なんです。これまでに幾人もの魔法使いを排出しているそうですよ。その中でも一条君はピカイチでしょうがね。陰陽道に魔法が加わったら、そりゃもう無敵でしょう」
遠山は実に楽しそうだ。メグは陰陽師をよく知らないとは言えずに愛想笑いで誤魔化した。そんなメグの様子にはお構いなく遠山の話は止まらない。
「僕は伯母が魔法使いでね」
「へええ」
「そう、国際的に活躍するような凄い人だったんですよ。それが僕の自慢でね。ああ、ほら、メグ君も知っている魔法学校の田嶋校長、あの人は本当に凄かったですよ」
メグは一度話したきりの校長の顔を思い浮かべた。
「それは聞いたことあります」
「やはり学生の間でも有名なんですね。学校と言えば授業はどうでした? 魔法の実習は楽しかったですか?」
「……いえ、あの、言いにくいんですけど、テストはいつもギリギリで、みんなができる魔法だって私だけができなくて……」
遠山は言葉を探しているのか黙ってしまい、メグはいたたまれない気持ちになった。
「話は変わりますけど、僕の幼稚園の頃の夢は何だったと思います?」
「さ、さあ……」
「僕の夢はね、魔法使いになることだったんですよ。伯母さんみたいなすごい魔法使いになること。でも、ある程度大きくなるとそれは無理だと悟りますよね。まあ、かなりショックではあったんですが、それなら魔法使いの役に立てる仕事をしようと研究者の道を選んだんです」
「魔法使いへの愛が止まりませんね」
「もちろんです。だからこそ、魔法使いの道をやすやすと諦める若い子たちが焦れったくて仕方ないのですよ。せっかく天から与えられた無限の可能性だというのにね」
「でも、私みたいな出来損ないもいますし」
饒舌だった遠山がピタリと黙って、再び車内に沈黙が流れた。いつの間にかすっかり日の暮れた国道にずらりと並んだテールランプがふたりの顔を静かに照らし、メグは自分の不用意な言葉を悔やんだ。そして、何でもいいから遠山が早く次の言葉を言ってくれるよう身を固くして願った。ややあって、ようやく遠山は口を開いたが、それまでとは声の調子が違っていた。
「会った初日にこんなことを言うのはなんですが、メグ君は少し自己評価が低過ぎるようですね。僕は魔法使いの研究を長年してきましたが、皆が皆、初めから輝かしい能力を発揮するわけではありません。遅咲きの人もたくさんいるんですよ。大切なのは諦めずに精進することです」
「はい」
そう返事はしたものの、メグは納得していなかった。遠山の話は裏を返せばろくに活躍できずに終わる魔法使いが多いということだ。メグだって遅咲きで咲けばまだしも、鈍臭いままで終わるかもしれない。いや、その可能性の方が高そうだ。そんな中途半端な能力ならいっそ無い方がましなんじゃないのか。メグの頬をひとすじの涙が滑り落ちた。
不意にメグの前にティッシュの箱が差し出された。
「今のメグ君には処理し難い感情があるのかもしれませんが、でもね、考えてもみてください、君の魔法人生はまだスタートしたばかりなんですよ。これまでのたった三年で、これからの長い人生の全てが計れると本当に思いますか? 君の指輪は素晴らしかった。あの指輪に選ばれた君は間違いなく素晴らしい魔法使いになれますよ。長年研究を重ねてきた僕が言うんです、どうか信じてもらえませんか?」
「課長……」
後は言葉にならなかった。遠山の温かい言葉が胸に沁みて熱いものが次々とこみ上げ、メグはティッシュを鷲掴みにした。
「さて、僕はまだまだ魔法愛を語り足りないんですけど、喋ってもいいですかね?」
「はい、お願いします!」
メグは遠山が上司であることに心から感謝していた。
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