初出動

 部屋の前までは確かに傍らにいたはずのゴン太が見当たらない。どこかへふらりと行ってしまったのか、それとも姿を消しているのかメグには答えられなかった。


「すみません、さっきまで一緒だったんですけど」


「あら、そう? いいわよ、気にしなくて。それより、メグちゃんって呼んでいいかしら?」


「はい、もちろんです、みのりさん」


「あ、じゃあ僕もメグちゃんでいい?」


「あ、はい、蒲原かんばらさん」


「ふみ君でいいのに」


「いや、さすがにそれは……」


「じゃ、せめて名前で」


「……史人ふみひとさん」


「うん、それでいい」


「僕はメグ君と呼びますね。セクハラとかくれぐれも気をつけるように部長から言われているから」


「はい、承知しました」


 ソファの三人は本当に気にしていない様子で、それ以降ゴン太の話が出てくることはなかった。


 それにしても、この人たちはなんて温かいんだろうとメグは思った。こうして美味しいお茶を飲んでいると、さっきまでの極度の緊張が嘘のようだ。


 心配なのは窓際のあの人……メグは視線を移した。琴音ことねは相変わらずブツブツ言いながら物凄いスピードでキーボードを叩き続けている。気のせいだとは思うけれど、背後に火焔光が見える。不動明王とかが背負っているあの真っ赤な炎だ。あれは確か怒りの象徴だったような……


 頭をフルフルして幻を振り払った時、机の上の電話が鳴り出した。咄嗟に立ち上がったメグを制して、意外とキビキビした動きでみのりが受話器を取る。


「はい、総務部魔法課丸山です」


 隣で史人が「内線の時はああして名乗るんだよ」と教えてくれる。みのりは短く返事をしながらさらさらとメモを取った。


「金さん、出動要請来たわよ」


 受話器を置くなりみのりが課長に言った。


「山下町の建設現場で床下から猫の鳴き声がするけど、位置が特定できなくて工事が止まってるって」


「そうか。一条君は手が空いてないし、ふみ君とメグ君、ふたりで行ってくれますか?」


「えっ、私がですか」


 メグは咄嗟にゴン太の姿を捜した。これまでゴン太のいないところで魔法を使ったことがない。一瞬、琴音の鋭い視線を浴びた気がしてゾワッとした。


「大丈夫だよ、メグちゃん。今日は見学くらいの気持ちでいいから」


「そうですよ。ふみ君の魔法の凄さを見てくるといい」


「何でもいいから早くしようねえ」


 史人に励まされ、課長に促され、みのりに急かされてメグは腹を括った。


「はい、望月メグ、出動致します!」




 と威勢よく出て来たものの、やはりメグは落ち着かなかった。移動の車内で一点を見つめて黙りこくっているメグの気持ちを知ってか知らずか、史人は相変わらずのんびりした様子だ。その首にはずっとリリアが巻きついている。


「メグちゃんは免許ないの?」


「あ、すみません」


「やだなあ、謝らなくてもいいよ。運転は興味ない?」


「いえ、いずれは取りたいって思ってますけど、私不器用なんです。やっぱり必要ですよね?」


「まあ、仕事上はあった方が便利だね。こうして急に呼ばれることも結構多いし。大抵はふたり一組だから、どっちかが運転できればいいけど、何があるかわからないでしょ」


「何かって何ですか?」


「何かは何かだよ。どちらかが運転できなくなるか、もしくはひとりで行動せざるを得なくなるか」


「はあ……」


 メグには、それがどんな状況で起こり得るのか全く想像ができなかった。


「ところで、メグちゃんの得意な魔法は何?」


 メグのみぞおちの辺りがズキンと痛んだ。リリアが薄目を開けてチラリとメグを見る。


「え……と」


「僕はねえ、植物を扱うのが得意なんだ」


 史人はメグの返事を待たずに話しだした。


「僕はね、植物と話ができるんだ。助けを求めてくる花や木を保護していたら、魔法課の部屋があんな風になっちゃった。風を吹かせたり、回復魔法も使えるよ」


 サラリと凄いことを言うとメグは思った。自分と四つしか違わない、見た目で言うなら年下にさえ見える史人はかなりの使い手らしい。


「みのりさんなんかは、ああ見えて攻撃系の魔法が得意なんだ」


「みのりさんが?」


「そう、意外でしょ? 彼女の指輪見なかった? 血のように赤いよ。受け取った直後から赤く光りだしたらしい。見た目に反して生まれながらの特性なんだろうね」


 そう言われて、メグは最近読み直した教科書の記述を思い出した。指輪の石の色と魔法の系統についての項目で、確かに赤い石は攻撃系の魔法に向いているとなっていた。


 メグは、史人の指輪を見た。お茶の葉のような濃い緑の石だ。


「史人さんの石はすごく濃い緑ですね」


「でしょう? 年々濃くなってる気がするよ。で、メグちゃんは?」


 メグは自分の指輪をまじまじと見つめた。少しモヤがかかったような無色透明。これは三年前から少しも変わらない。


「無色というか半透明というか……」


「へえ? ってことは、まだこれからどうにでもなるってことか。楽しみだね、メグちゃん!」


 史人が本気でそう思っているのか、それとも励ますつもりなのか、メグにはわからなかった。

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