総務部魔法課

 扉の向こうには理解し難い光景が広がっていた。植物園かと見紛う程の木や草花。その中でまったりとお茶を楽しむ中年の男女。何やら植物に話しかけている少年。パソコンに向かって猛然とタイピングする美女。


 メグは、一度開いた扉を閉じ、そこに書かれた文字を再確認した。


『総務部魔法課』


 間違いない、ここが指示された部屋だ。入庁式で辞令を受け取り、総務部の部長に促されてここまでやって来たのだが、ここが本当に自分の職場なのかメグは不安になった。藁にもすがる思いで傍らのゴン太に視線を送ると、当のゴン太は後ろ足で耳の辺りをカリカリやっている。その顔は不満気だ。こんな時に普通の猫アピールかよ、役に立たないバディだなと八つ当たりのひとつもしたいところだが、ここで声を荒らげる訳にはいかない。


 その時不意に扉が開いて、さっきお茶を飲んでいた女性がひょっこり顔をのぞかせた。


「あら、やっぱり。望月さんね? 待ってたのよ。さあ、早く入って」


 彼女はにっこり笑って手招きをした。大きく開かれた扉の向こうから一斉に視線が注がれる。メグは一歩進むと、覚悟を決めて勢いよく頭を下げた。


「おはようございます! 今日からこちらに配属になりました望月メグと申します! どうぞ宜しくお願いします!」


 深々と下げた頭をゆっくり戻すと、目の前に三人の男女が並んでいた。三人とも満面の笑みを浮かべている。少し薄くなりかけた髪をきっちり七三に分けた小太りの中年男性が右手をスッと差し出した。


「ようこそ、魔法課へ。課長の遠山です。僕は魔法課の課長だけど魔法使いじゃないんですよ。どうぞよろしく」


 魔法使いじゃない? え、魔法課ってそういうもんなの?


 不思議に思いながらも両手で握り返したメグは、柔らかく大きな手と大黒様のような笑顔のお陰で少しばかり緊張がほぐれた気がした。


「よろしくお願いします」


「課長はね、遠山金次郎っていうのよ。だからみんなには『遠山の金さん』って呼ばれてるの」


 左端から声を掛けてきた女性は先程ドアを開けてくれた人だ。母の雛子ひなこより年上に見えるので、恐らく五十代後半といったところだろう。緩やかなウェーブのかかった肩までの黒髪、丸顔に作りの大きな目鼻立ち、体はこちらもふくよかで、どことなくマルチーズに似ている。声もよく通って小型犬のようだ。


「遠山の金さん?」


「そう、金さん。今時の若い人は知らないかしらね。『この背中の桜吹雪、散らせるもんなら散らしてみろい!』ってね」


「はあ……」


「ふふ、困らせちゃったわね、ごめんなさい。私は丸山みのり。みんなからは『みのりさん』って呼ばれてるの。良かったらあなたもそう呼んでね」


「あ、はい……みのりさん」


「そう、それでいいわ。それから私の使い魔を紹介するわね。ジュニア!」


 みのりが呼ぶや否や、彼女の横に一匹の犬がぴたりと寄り添った。柴犬程の大きさで、赤茶けた被毛が引き締まった体を包んでいる。使い魔が犬で、しかも見たこともない色をしていることにメグは少なからず驚いた。


「犬、ですよね? 猫じゃないんですか?」


「ええ、私は犬の方が好きだからね」


 え、好きだから? 好きだからって、そんな理由で使い魔を選べるの? 


 ジュニアと呼ばれた犬は賢そうな顔をメグに向けて小首を傾げた。色はともかく、こうして見るとごく普通の犬だ。


「僕は蒲原史人かんばらふみひと。よろしくね」


 ふくよかなふたりに挟まれて、サンドイッチのハムみたいな華奢な少年が名乗った。天然なのかクルクルと巻いた柔らかそうな髪につぶらな瞳が印象的だ。ともすれば少女に見えなくもない。メグの心中を察してか、みのりが話に割り込んできた。


「不思議な感じでしょ? ふみ君はね、こう見えてもう二十二歳なのよ」


「えっ」


 思わず声が漏れて、メグは慌てて口を押さえた。


「驚くのも無理はないよ、僕は時々中学生に間違われるからね。身分証出さないとコンビニでお酒が買えないんだ」


 そう言って笑う顔はますます少女らしく見え、メグは少なからず混乱した。


「で、僕の使い魔は黒猫のリリア」


 するとどこからともなく華奢な黒猫が現れ史人の首に巻き付いた。ペロリと舌なめずりをしたリリアは、右目が金、左目が青のオッドアイの持ち主だ。


「わあ、綺麗!」


「ありがとう。リリアは美しいだけじゃなくてとても賢いんだ。世界一のバディだよ」


 史人が指先で喉を撫でると、リリアは気持ち良さそうに目を細めた。


「立ち話もなんだから、とりあえずお茶にしましょうよ」


「えっと、あの方は?」


 メグは、ソファに座ろうとするみのりを引き留めて、さっきから脇目も振らずパソコンに向かっている女性を指差した。


「ああ、あの人は一条琴音いちじょうことねさん。今忙しいのよ。邪魔すると怖いから放っておきましょ」


「でも、挨拶だけでも……」


「死にたいの?」


 にっこり微笑んだみのりから出た不穏過ぎる言葉に、メグはフリーズした。



 魔法課の部屋はそれなりの広さが確保されている。窓際に事務机が並び、壁には一面の収納棚、手前に応接セットがある。窓の桟には色とりどりの花鉢があり、観葉植物が隙間を埋めるように床に置かれ、それ以外にもあちこちに鉢やら花瓶やら飾られている。総務部がワンフロアを間仕切って使っているのに対して厚遇されている印象だ。


 メグは勧められるままソファに座った。すかさず史人がお茶の入ったカップを差し出す。


「ぼくのお手製のハーブティーだよ。飲んでみて」


「いただきます」


 そのお茶はとてもいい匂いがして、ひと口すすると体の力がふわっと抜けた。


「美味しいです。何だか落ち着きますね」


「そう? 良かった」


「ふみ君は植物のことなら何でもござれよ」


「へええ」


「さて、望月君、これから少しここについて話をするから、お茶を飲みながら聞いてください」


「はい」


 メグはカップを置いて課長の方へ向き直った。


「魔法課は総務部の中にあって、総務部の仕事の補佐をする役割を担っています。具体的にはイベントの手伝いとか、人手が足りない時の応援とか、困りごとの相談に乗るとか……」


「要は『何でも屋』だね」


 史人が屈託なく笑う。


「まあそんなところです。と言ってもそうのん気な事ばかりでもなくて、時には危険を伴う任務もあるんですよ」


「そうなんですか?」


「大丈夫、そう滅多にあるもんじゃない。いずれにせよ、魔法を活かして県民の皆様の生活向上に貢献するのが僕たちの仕事です。理解できましたか?」


「はい! 頑張ります!」


「ところで、望月君の使い魔はどうしたんですか?」


「え、あれ? ゴン太?」

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