大好きなばあば
それから暫くは、教科書を読み返したりゴン太に習って魔法の練習をしたりする日々が続いた。もちろんゴン太が親切な指導者だけでいられるはずもなく、大食らいと横柄な態度でしょっちゅうメグを苛立たせた。
「それで、指は光るようになったの?」
「うん。最初は消えかけたろうそくくらいだったのが、今じゃ小さめの懐中電灯くらいにはなったよ」
「あら素敵! ゴンちゃんのお陰ね。お母さんも見てみたいな」
「うん、でも、家族といえどもむやみに魔法見せたりしちゃいけない決まりだから」
「そっかあ、残念。でも、メグの言う通りね。偉いぞ、メグ」
「メグはいつ以来?」
「えーっと、去年の夏休みかな。お正月は卒業試験の準備で帰れなかったしね」
当たり前の話だが、こんなメグでも一応卒業試験には合格したのである。ペーパーテストはいつものようにスレスレで、実技は唯一得意な『遠視』の加点で乗り切った。他の魔法はお話にならないが、離れた場所にあるものを見る能力は校内でも高いレベルにあったのだ。更に、視界が遮られていても見ることができるのはメグひとりだった。ただ無条件に何でも見られるというわけではなく、直前まで一緒にいたか触れた場合のみで、しかもそう遠くは見られない。それでもこの時期の能力としては十分であった。校舎の屋上のゴン太のトラブルを直接見られたのはこういう仕組みだ。
「そういえばゴンちゃんは?」
「連れて来てやろうと思ってたのに見つからなくて」
「メグが呼んだらどこにいても飛んでくるのかと思ってたのに」
「他のバディは知らないけど、あいつに限ってそれはない!」
雛子の車は、中心地から少し離れた高台の閑静な住宅街にある古い洋館の駐車場に滑り込んだ。懐かしい祖母の家がメグには少しばかり違って見える。毎年その実を楽しみにしていた玄関脇の琵琶の木は、手入れが大変だからと昨年の秋に叔父が切ってしまったし、祖母のアンナが元気な頃には数え切れないほど並んでいた色とりどりの鉢花は、今ではほんの数鉢を残すだけだ。叔父さんも叔母さんも忙しいから仕方がないとは知りつつも、メグは寂しさを感じずにはいられなかった。
「ほら、ぼーっとしない」
雛子は食材やら何やら詰まった段ボール箱をメグに持たせると、慣れた様子で玄関の鍵を開けた。
「ただいまあ。お母さん、メグを連れてきたわよ」
「お邪魔しま〜す」
以前は祖母が喜々として出迎えてくれたものだが、しんと静まり返った家の中からは何の返答もない。叔父は会社に行っているのだろう。叔母は春休みの子どもたちを連れて帰省中と聞いている。
雛子はスタスタと奥へ進み、ノックもせずに祖母アンナの部屋のドアを開けた。
「お母さん、メグを連れて来たわよ……あら? ゴンちゃん?」
「ナ〜ゴ」
廊下に漏れるあのダミ声。メグの背筋に悪寒が走った。荷物をその場に置き祖母の部屋に駆け込むと、ゴン太が肘掛け椅子に腰掛けている祖母のひざの上で丸くなっていた。
「ゴン太!」
ゴン太は、片方の目だけ開けて面倒くさそうにこちらを見ると、すぐまたうっとりと目を閉じた。祖母がその背中を静かに撫でている。思ったよりずっと顔色も良く元気そうだ。
「あら、メグちゃん、久しぶりねえ。卒業おめでとう」
「あ、ありがとう。おばあちゃん、その猫……」
「ああ、この子? 最近ね、時々こうやって遊びに来てくれるの。どこから入るのかしらねえ。
ゴン太は聞えよがしに喉を鳴らした。決してかわいくはないが、こうしているとごく普通の猫に見える。
「ちょっと、ゴン太、何勝手に上がり込んでるのよ。しかも膝の上だなんて、さっさとどきなさいよっ!」
「あら、メグちゃんこの子知ってるの? 大丈夫よ、こんなにふっくらしててもちっとも重くないの」
ゴン太は浮いているのだろう。そうでなければアンナの細い骨など今頃粉々になっているはずだ。
「こいつはゴン太。私のバディ……えっと、相棒よ。魔猫なの」
「え? そうなの? 使い魔? メグちゃんの? まあ、それで私のところに挨拶に来てくれたのかしら。嬉しいわ、ありがとう」
アンナはいたく感激した様子でエメラルドグリーンの瞳をゴン太に向けた。
アンナはハーフだ。アンナの父、つまりメグの曽祖父は、満州で商売をしていた時に現地でロシア人と知り合って結婚した。
「ママはねえ、そりゃもう綺麗な人だったのよ。私と同じエメラルドグリーンの瞳をしていたわ」
アンナはそう言ってメグに家族写真を見せたことがあったが、写りの悪い小さな白黒写真ではそのどちらも確かめようがなかった。ただ、アンナもまた美しい顔立ちをしているのできっとよく似ているのだろう。
アンナは丁寧にゴン太の頭を撫でながら言った。
「あなたゴン太って言うの? 男らしくて素敵な名前だわ。魔猫はみんなシュッとした黒猫かと思ってたけど違うのね。ふわふわでかわいい。これからメグのことよろしくお願いしますね」
ゴン太は高らかににゃあと鳴いた。
「そういえば、子どもの頃、うちにも猫がいたのよ。ママがとても可愛がってた。どんな子だったかしら……もう六十年以上前のことになるのねえ」
誰に言うでもないアンナの思い出話を、ゴン太は相変わらず目を閉じたまま静かに聞いている。ひとりで過ごす時間の長いアンナの良い話し相手になっていたのかもしれないとメグは思った。
「そうだ、メグちゃん、何か魔法を見せてくれない?」
アンナが目を輝かせて言った。
「ごめんね、おばあちゃん、実は……」
「ええやないか、見せたりぃ」
「ゴン太」
先程まで猫の鳴き声しか出さなかったゴン太が、今度ははっきりと話をした。
「え、何? ゴンちゃん、何て?」
「魔法見せてやれって」
メグと雛子のやり取りを不思議そうに聞いていたアンナが口を挟んだ。
「ねえ、もしかしてゴンちゃんはお話ができるの?」
「うん、まあ。コテコテの関西弁だけどね」
「まあ、素敵! いいわねえ、かわいい猫ちゃんとお話ができるなんて!」
いやいや、意地汚くてだらしなくて偽金掴ますようなおっさんだけどね。
ここはアンナの夢を壊さぬようメグは心の中だけで悪態をついた。
「わしが見張っといたるさかい、練習の成果を披露したり。ただし、いっぺん限りやで。失敗せえへんようにせいぜい気張りや」
「変なプレッシャー与えないでよ」
キラキラした目で成り行きを見守っている母と祖母を横目に、メグは部屋のカーテンを閉めた。
「コホン。これから最近練習している魔法を披露します。一度だけだからよく見ててね。うまくいかなかったらごめんなさい」
目の前のふたりは、身を乗り出して拍手をした。
「えー、コホンコホン。では、始めます」
メグは胸の前で両手を広げると静かに目を閉じ深い呼吸をした。身体の奥底に光のエネルギーが溜まっていくのがわかる。静かにゆっくりと、焦らずじっくりと溜めていく。実際には僅かな時間なのだが、メグにはとても長く感じられた。そしてその時が来たことがはっきりわかった。
「灯れ!」
メグの指先にピンポン玉大の色とりどりの明かりが灯った。母と祖母が感嘆の声を上げるとその明かりがメグの指先を離れ、ふたりの頭上をくるくると舞ったかと思うとポンと弾けるように消えた。
ふたりは惜しみない拍手をメグに送った。
「凄いわ、メグ!」
「本当! こんなに素敵な魔法見たことないわ! ありがとう、メグちゃん!」
照れ笑いを浮かべるメグをふたりは飽きることなく褒め称えた。メグは嬉しい反面、少しばかり申し訳ない気分になってきた。
随分と盛ってくれたわね、ゴン太……
メグはアンナの膝の上でゆったりと丸くなっているゴン太をそっと睨んだ
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