期待と重圧

「そない怒らんでもええやないか」


「だって、校長先生がわたしにってくれたお菓子だよ。なのにマカロンひとつしか食べてない!」


「マドレーヌやチョコレートは残っとるがな」


「マカロンが大好きなのっ」


「わしもマカロン好きやねん」


「はあ? これは私のだって言ってるでしょ! 大体あんたは私の部屋に来てからっていうもの、お菓子だってジュースだって冷凍パスタだって勝手にどんどん食べて、終いにはご飯買うお金まで奪って!」


 最寄り駅を出たところでどこからともなくゴン太が現れ、随分と軽くなったお菓子の袋をメグに返してよこした。中を見たメグはマカロンが無くなっていることに気づくと烈火の如く怒りだした。目の前にぷかぷか浮いているゴン太がどこ吹く風といった顔をしていることも火に油を注いだ。メグは積もり積もった食い物の恨みを爆発させたのだ。怒りのボルテージは上がる一方で、さすがのゴン太にも焦りの色が見え始めた。


「メグ、みんな見とるで」


「そう言えば私が黙ると思ったら大間違いよ! もう我慢できない、校長先生に言いつけてやる。ニセ金事件を世間に公表してやるー!」


「わかったわかった、わしが悪かった。今度マカロン買うたる、メグが欲しがるだけ買うたるさかい、頼むから黙ってくれ」


 ゴン太は浮いたままひれ伏した。ゴン太が折れたのだ。記念すべきメグの初勝利である。


 メグは肩で息をしながら天を仰いでこの勝利を感謝した。しかし、それも一瞬のことで、信号が変わるや否や脱兎のごとく駆け出した。何故なら、虚空に向かって怒鳴り散らす少女を気味悪そうに見つめるギャラリーが少なからず周りにいたからだ。そのまま商店街の入り口まで走り続け、角を曲がったところで力尽きてしゃがみこんだ。


「おあっ! あっぶな!」


 角の喫茶店の店主が、店の前の花壇に水やりをしているところだった。


「あれ、メグちゃんじゃないか。魔法使い様のお帰りだな」


「ハアハア、ゼイゼイ、おじさん、こんにちは」


「どうした? 大丈夫かい?」


「ゴホゴホ、ゼイゼイ……久しぶりに、ゼイゼイ……走ったので、ハアハア……大丈夫です、ゲホゲホ……じきに治まります」


「何だか知らないけど青春だねえ」


 何を思ったのか店主は鼻歌まじりに店の中に入り、程なくオレンジジュースの入ったコップを持って出てきた。


「そら、おじさんのおごりだ。お礼は魔法で、なんてな」


「あ、ありがとう、ございます」


 メグはオレンジジュースを一気に飲み干した。ヒリヒリする喉に冷たいジュースがしみ渡る。


「そういや、メグちゃん卒業したんだよな? おめでとう。県庁だろ? 凄いなあ。これから宜しく頼むよ」


 メグは精一杯の笑顔で「ごちそうさま」と伝えると、立ち上がって店主に別れを告げた。


 そのまま商店街を少し歩くと、惣菜屋の前で近所の主婦が立ち話をしていた。


「あら、メグちゃん? おかえり! 今ちょうど噂してたのよ。四月から県庁の魔法課ですってね。凄いわねえ」


「ほんとほんと、この町から魔女さんが出るなんて初めてのことだものね」


「期待してるわよ、頑張ってね!」


 それらひとつひとつに「ありがとうございます」とか「頑張ります」とか笑顔で答えながらも、メグは足早にその場を通り過ぎた。


「メグは人気もんやな」


 何事もなかったかのようにゴン太が右肩の上に現れた。メグは軽く睨みつけると投げやりに言った。


「魔法使いだからだよ」


「なんや、あんまり嬉しそうやないな」


「期待に応えられそうもないからね」


 暫く沈黙が続いた。たくさんの荷物のせいか、メグの足取りは重い。


「なあ、メグ。凄い魔法使いになりたいんか?」


「当たり前じゃない」


「なんでや?」


「なんでって、そりゃ魔法使いに生まれたからには上を目指したいと思うわよ」


 上どころかまともに魔法も使えないけどねと言おうとして、メグはその言葉を飲み込んだ。


「凄い魔法使いだからって幸せとは限らへん」


「デブ猫連れたろくに魔法も使えないヤツよりは幸せだと思うよ」


 またしてもふたりの間に沈黙が流れた。


 間もなくメグは一軒の店の前で立ち止まった。手書きの看板には『自転車工房 夢未来』とある。


「ここ、あたしんち」


「そうか。わしは用事があるさかい、今夜は遅なるわ。旨いもんあったら取っといてや」


 そう言うと、ゴン太はメグの返事も聞かずにふっと消えた。


「ゴン太のバーカ」


 メグは右肩に向かって悪態をつくと、店のガラス扉を開いて声を張り上げた。


「ただいま〜!」

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