帰省
春休みにもかかわらず特急電車は比較的すいていた。これ幸いとメグは隣の席に荷物を置いて思い切り伸びをする。腕も肩もとっくに限界を超えているのは、部屋に残った荷物が意外と多くて鞄がパンパンに膨れ上がっていたからだ。その上校長が「お詫びのしるし」と言いながらお菓子の残りをたっぷり持たせたものだから、ますます手荷物が増えてしまった。
ゴン太とは校長室で別れた。どうやってメグの家に来るのかわからないが、物理的にも精神的にもここにゴン太がいなくて良かったとメグは思う。魔猫のゴン太が通常のペットと同じ扱いならキャリーケースに入れなければならないはずだ。これ以上荷物が増えていたら移動もままならなかっただろう。大体ゴン太がおとなしくケースに収まっているはずがないし、あの皮肉たっぷりのお喋りに付き合う気力も今はない。
ぼんやりと窓からの景色を眺めながら、メグは校長の言葉を思い返した。
本当に魔猫が足りないなんてことがあるんだろうか。それとも黒い猫が足りなかったのか。そもそも魔猫はどこから来るんだろう。そんな風に考えているうちに、メグは魔猫について何も知らないことに気づいた。教科書に載っていたかどうかすら覚えていない。メグはそんな自分が情けなく思えた。
ダメダメ、こんな弱気じゃダメ!
メグは大きく頭を振った。
もう私は学生じゃないのよ。誰にも頼らず自分の足で立って歩かなきゃ! そして早く一人前になって、お父さんやお母さんを安心させなきゃ!
よしっと気合を入れて、校長に貰った袋に手を伸ばす。甘い物でテンションを上げるのは女子の得意技だ。
袋の中にはジッパー付き保存袋に上手に小分けされたお菓子がたっぷり詰まっている。現金なもので、さっきまでの憂鬱はどこへやら鼻歌交じりに物色していると、底の方に何やら本が入っているのが見えた。メグは一旦お菓子選びを中断してそれを取り出した。
「何これ『マンガでわかる魔法動物入門』?」
厚手の表紙には、お馴染みの黒猫の他、犬やねずみや鳥など様々な動物の絵が載っている。どうやら校長がメグのために入れたようだ。
「へええ、こんな本があるのね」
緑色のマカロンをひとつ口にくわえると、メグは早速本を開いた。
「第一章、魔法動物はどこにいるの?か……」
それによると、世界各地に魔法動物の保護区があり、日本では北海道にある大規模な牧場が有名らしい。魔猫に関しては、魔法学校の卒業生全員に行き渡るよう特別な配慮がされており、訓練を受けた者だけがその任務につけると書いてあった。
「ゴン太も訓練受けたのかしら?」
教室の机に座って講義を受けるゴン太を思い浮かべて、メグは思わず吹き出した。
「そんなもん、わしクラスの逸材が受けるはずないやろ」
突然目の前の座席に寝そべったゴン太が現れ、ピンクのマカロンにかぶりついた。
「って、いつの間に!」
「さっきからずっといてるがな。そやけど他の客には見えてへんさかい、お前いま突然立ち上がって大声上げた変な女と思われとるぞ」
はっとしてあたりを見回すと、たくさんの視線がメグに注がれていた。目が合うといずれもすっと視線をそらしていく。
頭をペコペコ下げながらメグは腰を下ろし、今度は声を潜めて言った。
「いつの間にここに来たのよ!」
「だからさっきからずっとおる言うてるやろ。お前は魔法使いのくせに姿を消すこともそれを見ることもでけへんのんか」
「ぐ……」
そんなの無理だよ、とメグは思った。三年間魔法学校に通っても、できるようになったのはたった二つだ。そんな高度な魔法が使えるわけがない。
「諦めたらそこで試合終了やで」
どこかで聞いたことのあるセリフを吐いて、ゴン太はオレンジのマカロンを口に放り込んだ。
「ちなみに、その本は小学生向けや。校長もようわかってはるなあ」
「……」
メグは声に出して罵れない分、目の前のデブ猫を思い切り睨みつけた。
その時、突然女性の金切り声が車内に響いた。
「こうちゃん! こうちゃん! どうしたの! こうちゃん!」
メグが立ち上がって声のする方を見ると、いちばん後ろの席の若い女性が、幼い男の子を抱き抱えて取り乱している。近くの男性が駆け寄って声を掛けた。
「どうしました?」
「子どもが急にぐったりして。どうしよう! こうちゃん! こうちゃん!」
「誰か、車掌さんに知らせて! 僕は医者です。お子さんの様子を見せてください」
その男性はテキパキと指示を出した。呆然とその様子を見ていたメグの耳元でゴン太が囁く。
「飴が喉に詰まったんや。早よ言うたれ」
「え、私が?」
「わしが言うたかて『にゃあ』としか聞こえへんがな。早よ! 命に関わるで」
躊躇している暇はなかった。
「あの! 飴が喉につっかえたんじゃないでしょうか!」
メグは自分の顔が真っ赤になるのがわかった。医師の男性は驚いた様子でメグの顔を見たが、すぐに母親の方に向き直った。
「飴をあげましたか?」
「え、あ、はい、さっき!」
それを聞いた医師は子どもの口の中を覗くと、うつ伏せに抱き抱えて背中を強く叩いた。と同時に、子どもの口からコロンと飴玉が飛び出した。
「こうちゃん!」
子どもは母親にしがみついて大声で泣き始めた。母親は涙声で「ありがとうございます」と何度も頭を下げ続けた。車内に拍手が沸き起こり、安堵の声があちこちで漏れた。
不意にメグと医者の目が合った。メグは視線を外して席に座ったが、医者はつかつかとメグの席までやってきた。
「助かりました、ありがとう」
ぴょこんと立ち上がるメグ。
「いえ、そんな……」
三十歳前後だろうか、背が高く精悍な印象の医師は品のいい微笑みをメグに向けた。その笑顔が眩しくて、メグは再び頬を染めた。
「もしや、魔法使いの方ですか」
医師の視線を感じて、メグは咄嗟に左手の指輪を隠した。
「え、ええ、まあ」
「さすがですね。私は神宮寺と言います。
「え? 私ですか? えっと、私は望月です。望月メグ……」
「望月メグさん……あなたに会えて良かった。またどこかでお会いしましょう。では」
神宮寺と名乗った男は、来た時と同じように颯爽と立ち去った。
「気に入らんな」
黄色のマカロンを頬張りながらゴン太が言った。いつの間にかまた前の座席に姿を現している。
「いい男だからって僻まないでよ」
「そういうことやあらへん」
ゴン太は不機嫌そうだが、メグは愉快だった。これをきっかけにロマンスが始まっちゃったりしてえ、とあらぬ妄想に突入しそうな勢いだ。
「もてない女は気の毒やな」
「何よ、そういうゴン太だって!」
「わしは引く手あまたや」
「あんたみたいなデブでせこい奴がモテるわけないじゃない」
「また声が大きなってるで」
「おっと」
メグは慌てて口を押さえる。
「まあ、でも、さっきはありがとう。ゴン太のお陰であの男の子は助かったんだもんね」
「メグかて出来るで」
「え?」
「メグかて出来る言うとんねや」
「え、よくわからない……」
その時、奥の扉が開いて車掌が現れた。
「遅くなりまして申し訳ありません。特急券を拝見いたします」
「おっと、くわばらくわばら」
その言葉を残してゴン太の姿はふっと消えた。車掌がメグに声を掛ける。
「先程はお騒がせしました。おひとりですか?」
「ええ、まあ」
「良い旅を」
爽やかな笑顔を残して車掌は立ち去った。
ん? 待てよ。
「ゴン太、どこ? あんた無賃乗車でしょ?」
「嫌やなあ、節約言うて欲しいわ」
かすかにゴン太の声が聞こえたが、その後どれだけ声を掛けても返事はなかった。
「ったくもう、校長先生に言いつけてやる!」
メグは脇に置いたお菓子の袋に手を伸ばした。イライラを鎮めるには甘いものがいちばんだ!
ところが、お菓子の袋はあとかたもなく消えていた。念のためゴン太がいた場所もまさぐってみたが何の手応えもない。ゴン太が持って行ってしまったのだと気づいてメグの怒りは突然沸点に達した。
「ゴン太ーっ! お菓子返せーっ!」
メグが我にかえると、車内の視線がメグに集中しているのがわかった。またしても真っ赤になるメグ。しかし今度は視線をそらす者はなかった。代わりに、頭をポリポリ掻きながら頭を下げるメグに温かい笑顔が向けられ、車内は笑い声で溢れた。
ただひとりを除いては。
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