悲劇が生み出すもの

 常盤台高校を自主退学した莉佳は眠れない夜を過ごしていた。

 目を閉じると結斗のアパートでの出来事が、保健室での美鷹との会話が浮かび上がる。

 今でも、すべて最初から仕組まれていた事だったなんて受け入れられない。

 彼らの計画は本当に綿密だったと思う。


 莉佳は美結の死を知らず、罪の意識なんてものを持たずに生きていた。

 自分の事で必死で、過去の過ちを振り返ることすらしなかった。

 しかしそんなものはただの言い訳でしかない。

 向き合うべき罪から目を逸らし、逃げ続けた結果がこの報いだ。


 莉佳はそう


 結斗と美鷹からは、残酷な現実を突きつけられた。

 心を抉られるようなことをたくさん言われた。

 でもそうなる原因は莉佳自身にあった。


 しかし、鵜鷹美結の場合はどうだろう?

 理不尽な悪意をぶつけられ続けていた。

 一生忘れられないような言葉を腐るほど浴びせられていた。

 彼女は今を耐えればいつか終わると信じていたが、結局それすらも叶わなかった。

 そんな目に遭う理由が、美結にはあっただろうか?

 ──あるわけない! 言ってしまえば美結がいじめられたのは、なのだから。


 莉佳はある決意を胸に、杉下に『話したいことがある』と連絡した。


 ◇


 千国杏奈との面会を終えた杉下は、その足でアザミ事件の被害者四名との待ち合わせ場所へ向かった。

 彼らを襲撃した結斗を逮捕したことの報告と、犯人逮捕を受けて改めて被害届をどうするか彼らの意志を確認するために。


 前回塾のため不在だった亘も含めた四名と再会した杉下は、犯人逮捕の報告をした。

 すると桐坂から「俺達を襲った理由はやっぱり鵜鷹のいじめに関わってたからですか?」と聞かれた。

 当然の疑問だろう。

 彼らに嘘をつくことはできない。

 杉下は話せる範囲で真相を伝えた。


 犯人は鵜鷹美結の兄だったこと。

 美結の日記で彼らが間接的にいじめに関わっていたと知ったこと。

 罰を与えたくて襲ったこと。

 そして、鵜鷹美結が亡くなっていたことを伝えた。


 虚をつかれた彼らは目を丸くして固まる。

 数日前の聴取で亘は、美結が平穏な高校生活を送っていることを願っていた。

 他の三名も美結が既に亡くなっていたことなど想像もしていなかっただろう。

 木部からは鼻をすする音が聞こえる。

 桐坂と須藤はうつむいたまま動かない。

 亘は眉間にしわを寄せ口元を抑えている。

 重く濁った空気がその場を覆う。


 彼らに美結の死を伝えることは気が引けた。

 せっかく過去と向き合い心を入れ替えた彼らに、大きな傷を与えてしまうことになると思ったからだ。

 彼らはきっと、再び当時の自分を責めるだろう。

 責任を感じて精神的に不安定になってしまうかもしれない。

 自己嫌悪に苛まれるかもしれない。


 強い衝撃を受けることは承知の上で、それでも彼らに真実を伝えないのは違うと、杉下は思った。

 過去を行いと後悔、そして報いを受ける覚悟を語ってくれた彼らに、美結の死を伏せ「今は元気に過ごしているよ」と嘘をつくのは無礼だ。


 立ち止まってもいい。膝をついてもいい。

 それでも、現実を知り、受け止め、また立ち上がって欲しい。正しい道へと歩き出して欲しい。


 十六歳という多感な年頃の子ども達に酷な事を言って申し訳ない……と痛感しながら、杉下は彼らを見つめる。

 すると桐坂が口を開いた。


「……鵜鷹は、いつ死んだんですか?」

「二年前の八月四日だよ」

「……俺が襲われた日と一緒だ」


 これは偶然ではなかった。

 結斗は自分が高校を卒業して自由に身動きが取れるようになってから彼らを襲うつもりでいたが、卒業後すぐには実行しなかった。

 復讐を始めるなら八月四日、美結の命日からと決めていたのだ。


 桐坂が考え込むように黙ると、次は亘が口を開いた。


「杉下さん。僕ら鵜鷹さんに謝ろうって話してたんです。亡くなってるなんて思ってなかったから……」


 悪い事をしたら謝る。

 人としてとても基本的なことだが、簡単ではない時もある。

 きちんと出来ない大人も少なくない。

 だから彼らの決意は立派だ。しかし、謝る相手はもうこの世にいない。

 絶対に壊せない障壁が彼らの行く先を塞いでしまった。

 ……だが、彼らの決意はそう簡単に折れるものではなかった。


「鵜鷹さんに手を合わせて謝りたい! 花を手向けさせてもらいたい! 杉下さん、鵜鷹さんのお墓の場所教えてもらえませんか?」

「「「お願いします」」」


 四人は揃って頭を下げた。

 ご遺族がどう思うかは分からない。今更何を……と不快に感じるかもしれない。

 だが、彼らが美結に謝りたいと心から思っていることを美結の両親に、そして結斗にも伝えたいと思った杉下は、彼らに力を貸すことにした。


「僕が今ここで勝手に美結さんのお墓の場所を教えることはできない。でも、ご両親に聞いてみるよ。みんなの想いを伝えて、お参りさせて欲しいと頼んでみる」

「「「「ありがとうございます」」」」


 そう言って顔を上げた四人は、初めて会った時から見違えるようにしっかりとした顔つきになっていた。

 少しの安堵を覚えた杉下はそのまま、アザミ事件に対する被害届の件を確認した。


 自分たちが襲われた原因がいじめに関わっていたからなのであれば、それは戒めとして受け入れる。被害届は取り消す。というのが彼らの考えだった。

 犯人逮捕の知らせを聞いて、事件の背景を聞いて、彼らはどう思うか聞かなくてはならない。


 彼らは全員、当然のように「被害届は取り消します」と言った。


 ◇


 莉佳から『話したいことがある』との連絡を受けた翌日、杉下は柿崎家を訪ねた。

 リビングに案内され正面のソファーに座るよう促される。

 対面には莉佳と香織が寄り添うように並んで座る。事件から数日を経て、この母娘の距離感も徐々にではあるが変わりつつあるようだ。


「急にお呼びしてすみません。どうしてもお伝えしたいことがあって……。えっと、あの……」

「大丈夫。焦らず自分のペースで話してくれたらいいよ」

「はい……」


 莉佳は寝ていないのか、食事をまともに取れていないのか、元々華奢な体はさらに小さくなり目の下には隈ができていた。

 顔色や髪の毛の艶もよくない。

 常盤台高校の前で見た、思わず二度見してしまうような少女ではなくなっていた。


 そんな莉佳は弱々しくも確かに言った。「被害届は出さない」と。


「あれから考えました。考えて、考えて、考えて。……全部自分が蒔いた種だったって思います。まだ全然気持ちの整理はついてないけど、でも、あんな目に遭う原因は……全部私にありました。完全に自業自得です」


 言葉を選びながら噛みしめるように、ゆっくりと莉佳は話す。

 そんな莉佳の背中にそっと手を置き、時々さすっていた香織は先日警察署に娘を迎えに来た時とは別人のように母親らしかった。


「莉佳が人様を傷つけたのは、元はと言えば私のせいです。自分ばかりが辛い気になって、莉佳を蔑ろにしました。年頃の娘の気も考えずに男に縋って自分を保とうとしました。事件の後、久しぶりに莉佳と二人で話す時間を設けたんです。何度も何度も話しました。あれが嫌だった、これが辛かったと莉佳の話を聞くことで漸く私は自分の愚かさに気が付きました。娘と一緒にやり直していくつもりです」


 そう言って香織は莉佳の肩を強く抱き、俯く娘を励ますように肩に回した手を上下に揺らす。

 香織は完全に母の顔だった。


 莉佳が学校を辞めたと聞いた時、杉下は酷く不安になった。

 このまま立ち直れず殻に閉じこもってしまうのではないかと。

 しかし今、目の前の母娘なら大丈夫だと感じた。


 もちろん今後もしばらくは見守るつもりでいるが、杉下の不安は大幅に払拭された。

 母娘は玄関先まで出てきて杉下を見送る。

 莉佳は最後までのことは言わなかった。


 ◇


 警察署に戻った杉下は結斗との面会を要請した。


「聞きたいことがある」

「なんでしょう」

「転落事故の日、屋上の縁に立つ高城と千国に何を言った?」

「それはこの前も答えたと思いますけど」

「もう一度、聞かせて欲しい」


 はぁ、と小さくため息をついてから結斗は答える。


「えっと確か……『美結が死んだ原因はお前らだ、お前らのしてきたことを両親が知ったらどう思うだろうな、お前らに平穏に生きる資格はない』とか。そんな感じだったと思います。まぁ、色々言ったんで正確じゃないかもしれませんが」


 前回の証言同様の答えだ。特に動揺する様子もない。

 やはり結斗は口撃したと主張している。


「先日意識を取り戻した千国に会ってきた。彼女は自分たちが屋上の縁に立ったらお前は何も言わなくなった、と言っていた。怯える自分たちを見るだけで責め立てるようなことは言われていない、と」


 杉下はストレートに告げる。

 それを受けた結斗は少しおどけた表情を見せ、反論した。


「それは千国の記憶違いですね。あの時かなりパニック状態だったから混乱してるんじゃないですか? それか受け入れられなくて現実を拒絶してるとか! 俺があいつらをあそこに立たせて追い詰めました。死にたくなるように責め立てて、あいつらの心を完全に折ってやりました」


 やはり主張は変えない。

 千国の証言を真っ向から否定し、自分が追い詰めたとの主張を貫いている。

 その後も杉下は何度かこの証言の食い違いについて双方の話を聞いた。

 しかし両者とも最初の主張を曲げなかった。


 また、千国は莉佳同様に被害届は出さないと言い、結局高城以外の全員が結斗からの仕打ちを不問とした。

 これは非常に珍しいケースだった。


 だが、だからと言って結斗の罪が無かったことになるわけではない。

 犯した罪は裁かれなくてはならない。


 結斗は一連の事件事故は全て自分が計画し実行したと主張。

 さらに高城、千国は自分が追い詰めた結果限界が来て飛び降りた。

 柿崎は殺してと志願してきたために辞めたが首を絞めて殺すつもりだった、と殺意があったことも主張した。


 千国は結斗と異なる証言を続けていたが、当時パニック状態で酷く混乱していた可能性があるとして結斗の主張が真実との判断が下った。

 自殺した妹のいじめに関わっていた人物への攻撃、当事者三名への強い殺意。そして内一名は死亡。

情状酌量の余地は認められたものの結斗には懲役五年が確定した。


 千国の証言が真実だとしたら、また本気で殺すつもりはなかったことが証明できていれば執行猶予が付いた可能性もある。

 しかし、懲役刑となったのは結斗が反省の色を見せなかったことも大きく影響しているだろう。


 千国は高城の死亡に関与したとして裁かれたが、執行猶予が付いた。


 ◇


 後日、杉下は亘たちの気持ちを伝えるため美結の両親へそれぞれ連絡を取った。

 結斗の裁判もあり顔を合わせることが増えていたからか、離婚している二人は揃って約束の場所に現れた。

 美結の同級生の想いを杉下を介して聞いた二人は、美結の墓の場所を快く教えてくれた。


 遺族の悲しみが消えることは一生ない。

 死ぬまで、もしかすると死んでからも悲痛な思いから解放されることはないのかもしれない。

 大切な家族の死の原因を簡単に許すことはできないだろう。

 それでもどうにか折り合いをつけて、受け入れて生きていかなくてはならない。


 美結の両親が今まさに、美結の死の一因となった子どもたちの歩み寄りを受け入れようとしている。


 高城柚鶴の家族はこれから彼らと同じような悲しみを味わうことになる。

 憎しみと怒りと戦わなくてはならない。


 結斗が罪を犯そうが、美結が帰ってくることはない。

 千国がいくら反省し後悔しようが、高城が生き返ることはない。

 家族を死に追いやった者への憎しみが本当に消えることはおそらくない。


 失うものはあれど、得るものは何もない悲劇でしかない。


 こんな悲劇の中であっても、人は腐らずに生きていかなくてはならないのだ。

 結斗が実行した一連の事件事故は、少年少女たちに大きな影響を与えた。

 彼らはこの悲劇を強く心に刻み、自身の罪と向き合いながら生きていくのだろう。



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