生存者の証言

 柿崎莉佳が常盤台高校を去って数日。

 まひろと陽菜詩は、友人が理由も告げずに自主退学した事実に驚きを隠せなかった。

 連絡を試みたが莉佳からの反応は無い。


 退学後の彼女と連絡を取っていたのは、唯一杉下だけだった。


 ◇


 一連の事件事故に関与していたとして拘留中の結斗は、大方の事情聴取を終えた。

 押収された私物やスマホなどの調査はまだ進行中だった。


 彼の留置は当然両親にも伝えられる。

 面会に訪れた両親はなんとも複雑そうな顔をしていたが、両者とも結斗を咎めるようなことは言わなかった。

 彼らだって同じ遺族だ。

 結斗の気持ちは痛いほど分かるのだろう。


 結斗の調査が落ち着きを見せてきた頃、杉下にある連絡が入る。

 それは杉下が待ち望んでいた事だった。


 ──転落事故から五日後、千国杏奈が意識を取り戻した。


 すぐにでも彼女を訪ねて話を聞きたい気持ちを抑え、杉下は医師からの許可が降りるのを待った。

 転落事故のあらましは結斗から聞いているが、どちらか一方だけの情報ではやはり不充分。

 結斗が自身の有利に働くような証言をしていないか確認しなくてはならない。

 そのためには、当事者である千国の証言が必要だった。


 千国との面会許可が降りたのは、彼女が意識を取り戻してから三日後。

 杉下は彼女が入院する病院を訪れた。

 聴取は病室でおこなう。杉下は簡単に挨拶をした。


「今回の事件事故の調査を担当している杉下です。今日は千国さんの話を聞かせてもらいたくて来ました」


 医師の話だと、骨折や打撲、擦り傷はいくつかあるものの後遺症の心配はないと言う。

 脳にも異常がなく、記憶もしっかりしている。

 しかし、やはり大きなショックを受けており精神的に不安定になる時がある、とのことだった。


 回復して間もない千国をなるべく刺激しないよう、杉下は可能な限り物腰柔らかに彼女と向き合う。

 聴取には医師も同席した。

 千国の状態次第では途中でドクターストップとなる可能性もある。


「後遺症になるような怪我が無くて本当に良かった。無理はしなくていいから、少し話をさせてもらってもいいかな? 気分が悪くなったら遠慮なく途中で言っ「大丈夫です。全部お話します」


 杉下の話を途中で遮った千国は浮かない顔だが、その口ぶりはしっかりしていた。

 チラリと医師の方を見ると小さくうなずきながら眉毛を少し上げ、手首をひねり上向きにした掌を千国の方へ向ける。

 あまり時間をかけすぎるのも千国の負担が大きくなると考えた杉下は、早速本題に入った。


「転落事故の件を聞く前にまず、鵜鷹美結さんとの事を先に聞いても良いかな?」


 聞きたい事は山ほどある。

 しかしやはり、一旦は過去に立ち戻らなければならない。


「……私は、当時美結をいじめてました。はじめのうちはちょっと揶揄うとか、鉛筆や消しゴムを隠すとか、そんな感じでした。でもだんだんとエスカレートして、教科書を使えないようにしたり、放課後に『もう帰りたい』って言う美結を引き留めて……連れ回して……ひたすら酷いこと言ったり。公園のトイレに閉じ込めたり」


 千国の証言により、木部たちから聞いた内容以外のいじめも明らかになった。

 学校でのいじめはごく一部。放課後、彼女たち四人しか居ないところでは、美結への様々な悪事が横行していた。


「学校で他の人の目がある時は仲良くして、見てないところでは酷いことをたくさんしました。でも暴力だけはしなかった。バレたら面倒だから跡が残ることはしないように言われてたから」

「それは誰に言われたの?」

「……莉佳」


 やはり指示役は柿崎莉佳だった。


「正直、やりすぎだってのは分かってました。でも何も言えなかった。何も出来なかった。莉佳に反抗すれば次は自分がいじめられると思ったから。美結がされてることを自分がされたら、きっと私は耐えられないと思いました」


 自分がいじめの対象になったらどんな目に遭うか、具体的に想像できてしまうからこそ、その恐怖は膨れ上がる一方だったのだろう。

 しかしどうして、自分がされて耐えられないことを、美結なら耐えられると思ったのか。

 どうして、自分には耐えられないことを人にしてしまったのか。

 杉下は悔しさの余り、握る拳に力が入る。


「君は当時、クラスメイトの須藤凌也君に美結さんを屋上まで連れてきて欲しい、と頼んだことがあるね?」

「はい」

「須藤君は君に、鍵は『開いてるから大丈夫』と言われた、と話していた」

「はい、言いました」

「どうして鍵が開いていることを知ってたのかな?」

「私が開けたから」


 やはり屋上への鍵を開錠したのは千国だった。

 では、どうやって開けたのか。

 杉下は鍵の入手方法について尋ねる。


「鍵はどうやって手に入れたんだい?」

「外階段の近くの草の中に落ちてたのを、たまたま拾いました。家の鍵に似てたから誰かの落とし物かと思って拾ったら、二本の鍵と一緒に『屋上・外』って書いてあるタグが付いてたんです」

「その鍵をどうしたの?」

「試しに外階段の鍵に使ってみたら開いたから本物だって分かって……。これがあればいつでも屋上に行けると思って、急いで一番近くの合鍵屋さんでスペアを作ってもらいました。すごく緊張したけど、タグを外して二本の鍵だけ渡したら普通に作ってくれました」


 緑山中で使用していた鍵は、確かにどちらも一般的なものだった。

 特殊な鍵であれば店の人間が不審に思ってもおかしくないが、あの形状ならどこの鍵か追及されなかった事にも頷ける。


「スペアキーを受け取った後は学校に戻って、鍵を元の場所に戻しておきました。次の日には鍵は無くなってたから誰かが回収したんだと思います」


 後日学校で鍵の紛失が話題になることはなかったという。

 おそらく、鍵を落としたことに気付いた教師が見つけ出し回収するまでの間にスペアキーが作られるなんて事に考えが及ばなかったのだろう。

 こうして、教師たちもその存在を知らない屋上へのスペアキーが誕生した。


「スペアキーは何のために作ったのかな?」

「……莉佳に、使える奴だって思われたかったから。利用価値があれば、私はいじめの対象にならないと思いました」


 千国は、いじめられることに対する恐怖に支配されていた。

 いじめられている美結を間近で見ているからこそ、自分はそうなりたくないと強く思うようになった。

 その結果、莉佳にとって都合のいい人間になることで自分の身を守ろうとした。


「いじめなんて、本当はやりたくなかった。でもグループを抜ける勇気も私にはなかったんです。だから、美結が学校に来なくなった時は正直焦りました。美結の代わりは私なんじゃないかって。だけど莉佳はそれ以降、いじめを辞めました。……というより、勉強に追われてそんな余裕なくなったんだと思います」


 莉佳は中学一年の頃から母の香織に、高校に行きたいなら学費の免除が受けられるくらい勉強するよう言われていた。

 元々不自由なく暮らしていた莉佳にとってそれは、相当なストレスだっただろう。

 入学当初は美結をストレス発散の捌け口にしていたのかもしれない。


 しかしそんな事で現実が覆るはずもなく。

 結局は、進学したいなら勉強しなくてはならないのだ。

 美結が不登校になると、莉佳は現実を受け入れ勉学に励むようになった。


「いじめが終わってホッとしました。本当はずっと後悔してたから、こっそり美結に謝ろうかとも思ったんです。でも今更私に何が言えるんだろ……って思って。何も言えずにいたらそのまま美結は転校しちゃいました。はじめのうちは凄くモヤモヤして、責任感じて……。だけど徐々にそんな気持ちも薄れて行って、卒業する頃には完全に吹っ切れてたと思います。でも……七月に『当時のいじめの話を聞かせて欲しい』って言われて、一瞬であの時に引き戻された気持ちになりました」


『当時のいじめの話を聞かせて欲しい』

 そう言って彼女たちに近付いたのは、美結の実の兄である結斗だ。

 結斗は自分が美結の兄であることを隠し、『浅見あざみ結斗』という偽名を使い、ジャーナリストを目指す大学生を自称し千国達に接触した。


「私、怖くてすぐに逃げたかったんですけど、ゆづが『話だけでも聞いてみよう』って……。それで仕方なくついて行ったら『被害者として情報提供をして欲しい』って言われて。最初は怪しいと思いました! けど、ゆづと話してる内容を聞いてるうちに当時の気持ちを分かってもらえる気がして……結局色々と話しました」


 先日結斗から聞いた話と相違ない。

 それは彼女たちの信頼を得るための方便だったわけだが、狙い通り、いやそれ以上の効果を発揮した。

 柚鶴と杏奈は結斗を信用し、当時のいじめについて詳しく話した。

 質問されれば素直に答え、当事者でしか答えられないような具体的な回答を何度も繰り返した。

 そしてそれは全て録音されていた。


 取材という名目で会話している以上、そこにボイスレコーダーがあっても不自然ではないだろう。

 むしろジャーナリストになるための課題に取り組む大学生としては、模範的な状態だ。

 彼女たちは一度も結斗を疑うことなく、全てを話した。


 そしてその後、四件の襲撃事件の犯人が『アザミ』と名乗っていると知り青ざめることとなる。


 ここまで結斗の証言と食い違う点は特にない。

 話はようやく転落事故当日に及ぶ。


「君と高城さんが緑山中の屋上から転落した日、何があったか教えてくれるかな?」

「……あの日、美結のお兄さんが学校に来ました。アザミ事件を起こした張本人だと思ってたから怖くて……。ゆづが『何しに来たんですか』って聞いたら『全部教えてあげるから今日の夜、緑山中の屋上に来て』って言われました。当然断りたかったけど『来なかったら録音したデータを親に送りつける』って言われて……」


 その脅し文句は相当効いたらしい。


「ゆづは警察に言って助けてもらおうとしてたんです! でも私が止めました。親にバレたら困るから。だからゆづに『お願いだから一緒に来て』って無理を言いました。屋上への鍵は私が持ったままだったので、校門前で三人合流して鍵を使って屋上へ入りました」

「その鍵は今どこに?」

「あの日、使い終わった後美結のお兄さんに渡しました」


 千国がスペアキーの行方について答えているちょうどその頃、結斗の押収物の中からソレが発見されていた。


「屋上で全てを聞きました。話を聞くまでは、彼が美結のお兄さんだなんて少しも思ってなかったから本当にびっくりして、怖くなりました。……美結が自殺したって聞かされて……『死ぬ間際、どんな気持ちになるのか身をもって知れ』って言われて。それで言われるまま柵を越えて屋上の縁に立ちました。足が震えた。怖かった。息が上手くできなくて苦しかった」


 そんな状態の人間が飛び降りたくなるよう追いつめるのは、そう難しいことではないだろう。

 結斗は、彼女たちが死にたくなるくらい責め続け、追い込んだと言っていた。

 そして、限界を迎えた彼女たちは屋上から飛び降りた、と。


 しかしここで初めて結斗と千国の証言が食い違った。


「お兄さんは何も喋らなくなりました。その無言が怖かった。ゆづは震えながら許されるのを待ってました。もう戻っていいと言われるまで恐怖に耐える気でいたと思います。でも私が……。私が耐えられなくなって……『一緒に死のう』って言ったんです」


 ……ちょっと待て。

 結斗の証言では、彼女たちは結斗の口撃に耐えられなくなり飛び降りたはずだ。

 しかし千国は言った。

 『お兄さんは何も喋らなくなりました』と。

 混乱する杉下を置き去りに、千国は話を続ける。


「ゆづは泣きながら嫌がってました。私はゆづの手を握って『ごめんね』って謝って……、ゆづからの返事はなかったけど、その手を放さないままゆっくり体を前に倒しました。一人は怖いから一緒に死にたかったのに、私だけ生き延びて、泣いて嫌がってたゆづが死んだ……。ゆづを殺したのは……私です」


 話が違う。

 多少の食い違いは想定していたが、それは結斗が自分の有利になる証言をしているパターンだった。

 しかし、千国の話が本当なのだとすれば結斗はあえて自分の罪が重くなるような証言をしたことになる。

 杉下は当時の状況をもう一度千国に確認する。


「屋上の縁に立った後、鵜鷹結斗は本当に何も言わなかったのかい?」

「はい」

「彼の言葉に追い詰められるようなことは?」

屋上の縁あそこに立ってからは何も言われてません。お兄さんはずっと無言で恐怖に怯える私たちを見てました。多分お兄さんは私達に恐怖や絶望を味わわせるのが目的だったんだと思います。でも私はその報いから逃げたくて飛び降りました。……ゆづを道連れに」


 千国杏奈に鵜鷹結斗を庇うような嘘をつく理由はないはずだ。

 彼女たちが死にたくなるまで責め立てた結果二人は飛び降りた、という結斗の証言は真実ではないのか……?


 思えば結斗は莉佳の事も殺さなかった。

 殺しての志願する彼女の願いを叶えたくなかったからだ、と本人は主張していた。

 もちろんそれも本音だろう。

 しかし、本気で殺す気はなかった、というのもまた本心なのかもかもしれない。

 状況は整っていた。殺ろうと思えば殺れた。

 それでも彼が憎しみを抑え踏みとどまった理由、それを確かめなければと杉下は思った。

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