少年の懺悔
杉下は当時の担任を訪ねるより先に、アザミ事件の被害者たちにもう一度話を聞くことにした。
彼らと三年前のいじめにどんな繋がりがあるのかを調べるために。
一番初めに連絡をしたのは、塾の帰りに襲われた亘修一。
彼はアザミから一発しか殴られておらず、なおかつ加減されている。
さらにアザミは去り際、亘に「君には少しだけ感謝してる、ありがとう」と言い残していた。
感謝している相手を襲撃するというのは、思考と行動がひどく矛盾していて理解に苦しむ。
単純に人を襲うことに快楽を感じ、その時々で適当な事を言っているのであればアザミが残した言葉に意味などないだろう。
本能だけで行動しているのであれば他人がアザミの真意を完全に理解するなど不可能だ。
しかし、ターゲットを定めて一人になったところを確実に襲う、全員にアザミと名乗り対話を試みるといった犯行の手口を見るに、犯人に責任能力がないとはどうしても思えなかった。
むしろ、慎重で計画性のあるアザミは理性的な人物といえるのかもしれない。
──アザミは自分の中で彼らを裁き、罪の大きさに応じて罰を与えている。
これが杉下がアザミに抱いた最初の印象だった。
この印象が正しいとすればアザミは、三年前のいじめに関わった生徒たちを襲い、裁いていることになる。
となると、感謝されるのはいじめを止めようとした人間ではないだろうか。
亘は当時、いじめに気付き何らかのアクションを起こしたのではないだろうか。
それを確かめるために、杉下は木部と会った翌日、亘に話を聞きに行くことにした。
塾の前なら少し時間があるというので、亘が通う塾の近くにあるファストフード店『Awesome Burger』で待ち合わせた。
◇
九月二十七日。
「これから塾だっていうのに、無理を言って悪いね」
「いえ、大丈夫です」
「先月の事件以降、何か変わりはない?」
「はい」
「アザミ事件から約一か月経ったけど、何か気付いた事や思い出したことはないかな?」
「……」
亘のそれは、心中を言い当てられて気まずい顔だった。
杉下は質問を続ける。
「亘君は、一番犯人と多く会話をしてるんだ。何か気になることがあればどんな些細なことでも教えてくれると助かるんだけど、どうだろうか?」
「……僕、あれからずっと考えてたんです。アザミが言った『君にもう少し勇気があればこんなことにならなかったのに』ってどういう意味だったんだろうって」
アザミは亘を殴る直前、この言葉をかけていた。
これだけではなく、自分の事を知っているか、自分が亘の前に現れた理由が分かるかなどの質問もしている。
他の被害者に比べてより多くの問いかけを受けている事も、亘に対する敵意の低さを伺わせた。
恐らく亘本人もそれを感じ取っていたのだろう。
亘が襲われた際、母親の通報で事件直後に事情聴取をしたが彼は落ち着いていた。
理由も分からず敵意を向けられた人間は、あんなに冷静ではいられない。
亘は事件後ずっと、アザミが言わんとしたことを理解しようとしていたのだ。
そしてさっきの彼の表情から察するに、その思考は既に完了している可能性が高い。
「考えてみて、答えは見つかった?」
「……中学一年の時、いじめを止められなかった……」
杉下の思った通りだった。
やはり亘は三年前、クラスで起きていたいじめに気付き、止めようとしていた。
亘はぽつりぽつりと当時の状況を語る。
「六月のある日、隣の席の子に『教科書を忘れたから見せて欲しい』って頼まれたんです。だから一緒に教科書を見て授業を受けました。でもその日の放課後、掃除の時間にその子の机を運んでたら中から教科書が落ちて来たんです。あれ? 忘れたって言ってたのにおかしいな、って思いながら拾ったら……何か、変なんです。ボコボコしてるっていうか、妙に使い込んでる感じがして……不自然でした。それで僕、気になって教科書を開いて見てみたんです。そしたらページがくしゃくしゃになっていたり、文章の一部が黒塗りされててなんて書いてあるか読めなかったり……。とても使える状態じゃなかった」
軽率で卑劣な悪意が詰まった教科書は随分と衝撃的だっただろう。
亘はすぐにその教科書を閉じ、ほかのクラスメイトに気付かれないよう机の中に戻したと言う。
「あの状態じゃもう使えないと思ったから、次の日コッソリ僕の教科書をあげました」
「それだと亘君が困るんじゃないのかい?」
「僕は、一歳上に兄がいるので兄が使っていた教科書を勝手に貰いました。『もう使わないから』って他の教科書と一緒に紐で縛って部屋の隅に置いてたのを知ってたので。兄は未だに僕が教科書を持って行ったこと、知らないんじゃないかな」
「なるほど。教科書はどうやって渡したの?」
「出来れば周りに人がいない状況で渡したかったんですけど、そんな機会なかなかないし……。仕方ないので朝一番に教室に行って、他の人が来る前に彼女の机の中に教科書と“よかったら使って 亘”って書いたメモを入れておきました」
「彼女はすぐに気が付いた?」
「はい。その日の夜、家に彼女から電話が来ました。はじめは貰えないって断られたんですけど、掃除のとき教科書を見たことや僕は兄の教科書を使えることを伝えると、ありがとうって。……声が震えてました。僕、先生に言った方がいいんじゃないかって言ったんです。でも『お願いだから誰にも言わないで』って言われて……」
いじめられている子が自ら被害を隠すというのは、よくある話だ。
「じゃあ、亘君は彼女の希望に従ったってことかな?」
「……いえ。最初は言われた通り黙ってたんですけど、やっぱり気になっちゃって。それで、内緒で先生に言いました。本人は隠したがってるけどいじめられてると思うって」
「何か変化はあった?」
「いいえ。先生はとくに何もしませんでした。面倒事を抱えるのが嫌だったんじゃないでしょうか。次はどうしたらいいかって悩んでたらその子、学校来なくなっちゃって。そのまま二年になって、転校しました」
亘も木部同様、思い悩んでいた。
真面目で責任感の強そうな亘は、いじめに気付いていたのに止められなかったことに後悔を感じているのだろう。
担任の対処が違っていれば、事態は変わっていたかもしれない。
担任ではダメだと分かった時、すぐに二歩目を踏み出していれば止められたかもしれない。
もう少しの勇気が足りなかった。
そう悩んでいたのだろうが、当時中学一年生の亘少年はよくやったと思う。
ことを荒立てず、被害生徒の気持ちに寄り添った。
誰にも気付かれないよう教科書を渡し、本人に代わり大人にSOSを出した。
責められるべきは亘ではなく、担任だ。
杉下は彼の心が少しでも軽くなれば、と声をかけた。
「君は君に出来る最大限の行動を起こした。亘君が差し出した手が掴まれることはなかったけれど、彼女には大きな救いになったと僕は思う」
「そう……だといいな」
「いじめが無くならなかったのは亘君のせいじゃない。止められなかったことに後悔を感じている君なら、今後同じような場面に遭遇した時きっと正しい行動を取れる」
「……ありがとうございます。せめて彼女が今、平穏な高校生活を送れてたら僕も少しは救われます」
「彼女の進路は知っているの?」
「いいえ。転校先も知らされなかったので、それ以降の事はまったく……」
いじめが原因で転校するのであれば、その学校とは極力かかわらなくて済む地域へ引っ越すだろう。
杉下は、桐坂、須藤、そして当時の担任への聞き込みに加えて、被害生徒の現在も調べることにした。
◇
桐坂と須藤にも昨日のうちに連絡をしてみたが、どちらも電話は繋がらずかわりに留守電メッセージが再生された。
聞きたいことがあるので都合のいい時に会えないかという旨のメッセージを残し通話を終える。
未だに折り返しの連絡はない。
このまま連絡が来なければ、今日の夜にでももう一度電話してみようと杉下は考える。
そして、すぐに彼らに会えないのであれば、と予定を変更して当時の担任と被害生徒について先に調べておこうと杉下は緑山中学へ向かった。
木部からの連絡を境に、杉下は予定を変更してばかりだ。
緑山中の応接室に案内された杉下にお茶を持ってきたのは、まだ記憶に新しい白石だった。
この学校で転落事故が起きた二十五日の深夜に、杉下は彼の事情聴取を担当している。
やはりあまり眠れていないのか、目の下には隈が目立つ。顔色も悪い。
それでも休まず出勤しているのだから、見た目よりはタフネスがあるのかもしれない。
白石が応接室を出て行ってから少しして入って来た教頭への挨拶を済ませ、杉下は早速本題に入る。
転落事故の件について何か聞きに来たと思っていた教頭は、杉下が三年前に一年三組の担任だった教師ついて教えて欲しいと話すと少し表情を曇らせた。
それを見逃さなかった杉下はやはり何かあるなと確信する。
この考え自体は間違ってはいなかった。
しかし、話は思わぬ方向へと進んでいく。
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