風雲急を告げる

 莉佳が結斗のアパートから常盤台高校へ通うようになって三日目。

 まひろも陽菜詩も所謂半同棲状態の莉佳の様子が気になるようだったが、莉佳本人が思っていた通り、やはりなんの進展もない。


 そもそも莉佳には、彼氏と一緒に暮らすからといって浮かれている余裕などなかった。

 ここで成績を落としてしまっては、結斗の善意を無駄にしてしまう。

 莉佳は通学時間が短くなった分のほとんどを勉強に充てた。


 泊めてもらっている立場としてはせめても、と部屋の掃除や料理など簡単な家事は率先してやってはいたが、結斗は「浮いた時間は自分のために使っていいんだよ」と言ってくれた。

 莉佳の事情を知っている結斗はバイトが無い日は莉佳の勉強に付き合う。

 莉佳が一人で問題を解いている時には自分もゼミの課題に取り組み、質問されればその手を止め指導する。

 そんな毎日だった。

 半同棲のカップルと聞いて思い浮かぶような快楽的な日々ではないが、自宅にいる時よりもよっぽど莉佳の心は穏やかだった。


 結斗と一緒に暮らせばに進めるかもしれないという淡い期待も密かに抱いていたものの、ベッドとは別に用意された一組の布団を見たときに彼にそのつもりはないのかもしれないと悟った。


 ◇


 時は少し遡り、九月二十六日。


 杉下は、南商業高校の近くにある喫茶店『喜福珈琲店』で木部あかねと対面していた。

 昨夜起きた転落事故を知った木部が、会って話したいと連絡してきたためこの場が設けられた。

 電話越しの木部は何かに怯えているようだったがいくらか落ち着きを取り戻したのか、目の前の木部は先月の事情聴取とは別人のようにしっかりとした口調で語る。


「私、あの時気が動転していてほとんど何も話せなかったんですけど、殴られる前アザミに言われたんです……」

「なんて?」

「『見て見ぬふりするからだ』って」


 見て見ぬふり、と復唱してから杉下は続ける。


「アザミのその言葉に心当たりは?」

「あの時はアザミが何を言いたいのか分かりませんでした。でも冷静になって考えてみると、、って思うことがあって……。最初は気のせいかなって思ったんですけど、ゆづと杏奈が飛び降りたって聞いた時、って……」


 口調はハッキリとしているが、ひどく言いにくそうにしている。

 おそらく、その心当たりが彼女の罪悪感を刺激しているのだろう。

 杉下は急かすことなく、木部のペースに任せる。

 適度に相槌を打ちながら。

 するとついに彼女の口から、罪悪感の正体が明かされる。


「私、中一の夏、いじめの現場を見たんです」


 その事実は彼女を長らく苦しめていたのだろう。

 あまり口にしたくないであろう過去の話を、木部は懸命に杉下に伝える。


「いじめを見たのは体育の前でした。ハンカチを鞄に入れっぱなしだったのを思い出して一人で教室に取りに戻ったんです。そしたら、女子三人が一人の女の子を囲んで……下着を脱がせてました。まずいと思った時にはもう遅くて……。『黙ってなよ』って言われて、私その子には悪いと思ったけど自分が標的になるのは嫌だったから、言う通りにしちゃったんです」


 当時の木部の行動は決して褒められるものではないが、分からなくはない。

 いじめられたくない、厄介ごとに巻き込まれたくない、と思うのは人間の性だ。

 そこで正義感を発揮できる人間の方が少ないのではないだろうか。

 ましてや団体行動真っ只中の中学生なら尚更だ。


「その子、そのまま体育の授業を受けさせられてて……。夏の暑い日だったのに、一人だけTシャツの上にジャージを着てました。その四人は同じグループの子達で、いつも一緒にいたから仲が良いんだと思ってて……。いじめがあったなんて知らなかったし、あの現場を見なければ気付けなかったと思います」


 表面上は仲良しグループ、裏では虐め。

 なんて陰湿な、と杉下は思う。

 しかし女子中学生がいじめの事実を完璧に隠し通すことなどできるだろうか、という疑問が浮かんだがその疑問に対する答えも木部は語ってくれた。


「あのいじめがもう少し長く続いていれば、もしかしたら気付いたのかもしれません。でも、いじめられてた子一年の秋頃から学校に来なくなって……。二年でクラス替えもあったんですけど、やっぱり学校には来れなかったみたいで結局転校しちゃいました」


 いじめられた側が耐えきれなくなり転校とは、何ともやるせない話だった。

 言いたかったことは一通り話せたようで木部は口を噤む。

 今度はここまで聞き役に徹してきた杉下が口を開く。


「言いにくい事を話してくれてありがとう。木部さんの様子から察するに、君も誰にも言えなくてたくさん悩んできたんだろうね」

「あの時私が何か行動を起こしていれば、あの子は転校しなくて済んだのかなって……反省してます」

「見て見ぬふりをしたことを後悔していたから、アザミの言葉を聞いて当時のできごとが浮かんだのかな?」

「はい」


 三年前、緑山中一年三組では陰湿ないじめがあった。

 木部あかねは数少ない目撃者。

 昨日転落した高城柚鶴と千国杏奈も元一年三組の生徒。

 罪悪感が邪魔をするのか、木部は加害生徒の名前も被害生徒の名前も出していないが答えは火を見るより明らかだ。

 しかし杉下はあえて木部に語らせる。


「このタイミングで話してくれたのはどうしてなのかな? 昨日の転落事故がきっかけになったようだけど」

「……それはっ、」

 一呼吸おいて木部は答える。


「いじめてたのが、ゆづと杏奈だったから」


 すべてが繋がっていく。

 言いにくいことを吐き出したからか、木部に少しの余裕が戻った。


 不運にもいじめの目撃者となってしまった木部は加害生徒に口止めされた。

 自分が標的になるのを恐れ言う通りにした結果、いじめはなくならず被害生徒は転校。

 後悔を感じつつも月日は過ぎ三年後、「」という意味深な言葉を発した何者かに殴られた。

 当時のいじめの事を思い出していたところで、当事者である加害生徒が母校の屋上から転落とくれば不安も募るはずだ。

 報道されたその日の朝から杉下に連絡する気持ちも分かる。


「ゆづと杏奈が二人で自殺なんておかしいと思ったんです。アザミにやられたんじゃないんですか? アザミは……あのいじめの仕返しをしてるんじゃないでしょうか」


 木部のこの証言は杉下の捜査を大きく前進させた。

 すぐにアザミ事件の被害者三人に連絡を取り調べると、全員何らかの形で三年前のいじめと関わっていた。









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