追憶の5月②
結斗の説明は実に分かりやすかった。
理解が追い付いていなかった部分は全て腑に落ち、絡まった糸が綺麗にほどけたような清々しさだ。
さらに結斗は「ちなみにこれは」と、プラスの知識まで与えてくれる。
まさに今の莉佳にとって救世主だ。
抱えていた最後の質問を終えた莉佳は、確認のために課題の問題を解いてみる。
集中する莉佳を気遣ってか結斗はそっと席を離れた。
数分後、自販機でお茶と缶コーヒーを買い様子を見に戻るとちょうど莉佳も問題を解き終えたようなので声をかける。
「お疲れさま。コーヒーとお茶、どっちがいい?」
「え?」
「昨日のお礼」
「……じゃあ、お茶いただきます」
「どうぞ」
「ありがとうございます」
勉強を教えてもらった莉佳は、自分の方がお礼をしないといけない立場なのでは? と思いつつもありがたくお茶を頂くことにした。
「課題できた?」
「あっ、はい! あの、見てもらってもいいですか?」
「もちろん」
「お願いします」
学校の先生以外に勉強を見てもらったことがない莉佳は、新鮮な緊張感とともに結斗の確認が終わるのを待つ。
「うん、バッチリ! すごいな」
「いえ、教え方がものすごく上手で。とてもわかりやすかったです」
「役に立てたみたいでよかった」
「古閑さん、生物得意なんですか?」
「まぁ、大学は生物専攻みたいなもんだし」
「……あ! 生命科学部」
昨日見た結斗の学生証を思い出し、莉佳は呟く。
どうりで解説が分かりやすい訳だ。
彼には高校生物など基礎中の基礎なのだろう。
「名前。聞いても良い?」
「柿崎莉佳です」
「莉佳ちゃんはさ、理系の大学狙ってるの?」
「いえ、まだはっきりとは決めてないです」
「そうなの? それにしては随分難しい課題やってるんだね」
「私、進学校に通ってるのでどの教科も簡単ではないんですけど、中でも生物が苦手で……。聞ける人もいなくて困ってたんです。成績落ちたら特待生外されちゃうので。だから本当に助かりました! ありがとうございます」
彼のおかげで予定よりもかなり早く午前の課題が終わった。
学生証を届けた相手が勉強を教えてくれるなど完全に予想外だ。
こんな事なら、聞きたいところもっとまとめておけばよかったな~なんて図々しい考えをする莉佳の心を読んだかのように、結斗から新たな申し出があった。
「今日みたいな感じで良ければ勉強教えようか? 生物と、ギリ数学は見れると思うよ」
絶対に成績を落とせない莉佳が特に苦手な生物と、次に苦手な数学を見てもらえるなんてありがたすぎる申し出だった。
しかし昨日会ったばかりの大学生にそんなことを頼むのは気が引ける。
ありがたいが、ここは丁重にお断りしよう。
いえ、そんなのご迷惑になるし悪いです、と言おう。
そう思っていたのに、莉佳の口から出た言葉は「いいんですか⁉」だった。
余裕のない人間は自分が思っている以上に心の声がそのまま口から出てくるらしい。
連絡先を交換した二人は、それから定期的に図書館で勉強するようになった。
一週間で莉佳は結斗への質問や教えて欲しい問題をまとめておき、土日のどちらかに指導を受ける。
元々結斗も土日は図書館を利用することが多かったらしく、ゼミの研究の息抜きにもなるし! と快く先生役を引き受けてくれた。
結斗の説明は、教師になるべきだと思ってしまう程にわかりやすかった。
それでも時々理解しきれない部分が出てくるが、結斗は莉佳が躓いていると気付くとすぐに言い方を変え解説し直してくれる。
一人で問題を解けたときには褒めてくれる。
生物が苦手だという莉佳のために、苦手克服に適切な問題を自らセレクトしてまとめた課題まで用意してくれた。
おかげで莉佳は五月末に行われた生物のテストで学年一位の成績を残した。
嬉しさの余り、莉佳は授業が終わると同時に結斗に“古閑さんのおかげで生物のテスト、一位でした! ありがとうございます”とメッセージを送った。
テストの返却日を聞いていた結斗は、気にしていたのかすぐに返信が来る。
“莉佳ちゃんが頑張った結果だよ! おめでとう”
“やばい、俺も嬉しい! ホントおめでと”
と、自分のことのように喜ぶ彼からのメッセージを見て、莉佳はさらに嬉しくなった。
今まで男の人と一緒に勉強したり、定期的に会ったり、継続して連絡を取り合ったりしたことがなかった莉佳が結斗に好意を抱くのは、言ってしまえばごく自然で、抗えないことだったのかもしれない。
その週末、莉佳は結斗に告白された。
“明日、聞いて欲しい話があるんだけど少し時間ある?”
結斗からメッセージが届いたのは、図書館で会う前日の夜。
冷静に“大丈夫です”と返したものの期待と不安が入り交じり心臓が落ち着かない。
そわそわしたまま当日を迎えた莉佳だが、一方で結斗はいつもと何ら変わらない様子だった。
結斗の解説が頭に入ってこない。
いつもは気にならないのに、隣に座る彼の右腕が触れそうになる度ドキッとする。
全然集中できない。
莉佳の様子がいつもと違うことに気付いた結斗は「本当は帰りに言おうと思ってたんだけど」と言いながら二人で見ていた参考書を裏向きに置き直す。
「莉佳ちゃん、俺と付き合ってくれない?」
「っ!」
「莉佳ちゃんの勉強の邪魔になるようなことは絶対にしないし、学業最優先にしてくれていいから。でも、こうやって莉佳ちゃんと一緒に勉強するのは俺でありたい。テストで良い点取れた時は一緒に喜びたいし、一番に俺に教えてくれたら嬉しい。これからも莉佳ちゃんの力になりたいし、辛いときは俺を頼ってほしい」
周りにいる親子や友達同士が雑談する声が遠くなる。
一つの参考書を一緒に見るため並んで座っていた二人の距離は近い。
結斗は莉佳を覗き込むように、莉佳にしか聞こえないボリュームで、真っ直ぐ愛を囁く。
人知れず結斗への恋心を自覚していた莉佳は、静かに「……よろしくお願いします」と呟くので精いっぱいだった。
◇
それから約四か月の月日が経った二人は、今では呼び方も変わり、時々手を繋ぐようにもなり、なんと今日から少しの間同じ部屋で暮らすことになる。
放課後、お決まりのコーヒーショップで待ち合わせをした結斗は莉佳が抱えてきたバッグの重さに驚く。
いつも駅まで一緒に帰っているまひろが持ってくれていたもう一つの莉佳の荷物も結斗が受け取り、三人で駅まで向かった。
まひろとは駅で別れ、二人は昨日まで乗っていた電車とは別の電車に乗り結斗のアパートへ。
一か月前には莉佳が案内しながら彼女の自宅へ向かったが、今回は結斗がリードする。
彼のアパートは京橋大学から徒歩五分ほどの場所にあった。
学生向けのアパートで、間取りは1K。
よく掃除されていたので「キレイだね」と告げると結斗は「莉佳が来るからいつもより念入りに掃除したんだよ、柄にもなくドライフラワーとか飾っちゃったりしてさ」と照れくさそうに笑った。
結斗が指さす方を見ると、アレンジされた小さなドライフラワーが壁に飾られていた。
生花は恥ずかしかったらしい。
白や青、紫の花々でまとめられた小さなブーケは中央にある真ん丸の花が目を引きとても可愛らしい。
ユーカリの葉やカスミソウがブーケの周りを飾り、中には様々な種類のドライフラワーがまとめられている。
彼女が来るからと花を選び買って来てくれた結斗を想像して、莉佳は嬉しくなった。
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