不祥事

 結論から言うと、当時の担任は現在都市部から遠く離れた僻地の小中一貫校に異動していた。

 この辺りの中学校は非常勤講師を募集する程度には人手不足なはずだ。

 それが突然僻地に異動などという人事があるのだろうか。

 その疑問を教頭にぶつけてみると、彼は眉間にしわを寄せ声のボリュームを落とし経緯を説明した。


 ◇


 その教師の名前は岩田。当時三十八歳の男性教師。

 職場での評判はよく、頼れる中堅として信頼を集めていた。

 三年前、岩田は一年三組の担任となった。

 途中クラス替えはあったが、その学年が三年になるまで持ち上がりで担当し、彼らの卒業と同時に緑山中での任期を終えた岩田も別のへ異動した。

 しかし、今月。

 赴任から僅か五か月でその中学での勤務を終え、小中一貫校へ異動している。


「異動は本人の希望なんですか? 赴任から五か月で異動ってあまり聞かないと思うんですが……」

「希望なわけありませんよ。誰もあんな不便な地域へ移りたいだなんて思いません。岩田先生の異動は懲戒処分のたぐいですよ」

「懲戒処分?」


 教頭は小さくため息を吐いてから、話を進める。


「九月の頭にね、教育委員会に匿名でタレコミがあったんですよ。岩田先生が不倫してるってね。いや、正確には不倫、かな」

「不倫……ですか」

「はじめは悪戯の可能性を疑いました。というより、悪戯であってくれと願いました。赴任してきたばかりの先生がすぐに異動となれば保護者への説明も必要になりますし。実際、岩田先生はあちらの学校で二年生の担任をしていたんでね……。届いた情報には相手の名前や不倫していた時期なんかも結構詳しく記載されてはいたんですけど、決定的な証拠と言えるものはありませんでした」

「それでも処分になるんですか?」

「九月中に岩田先生を異動させなければ、マスコミや週刊誌にも同じ情報を提供し、SNSにも投稿するってメッセージが同封されてたんですよ」

「それはもう脅迫じゃないですか。どうして然るべき対処をしなかったんです?」

「そりゃ、岩田先生が清廉潔白であればこちらも強気な対応ができましたよ」

「ということは、タレコミの内容は事実だったと?」

「そういうことです。すべて本当のことだから、岩田先生は従うしかなかった。我々としても学校の不祥事を世間に公表されて注目を浴びるのは避けたいですからね」


 ここまで聞いた杉下の脳内で何かが引っかかる。

 この違和感の正体はなんだ?

 そもそも教頭はなぜこんなにも詳しい?

 この話は岩田の異動先での話のはずだ。

 にもかかわらず、教頭はまるで当事者のように語る。

 ……当事者……。

 教頭は岩田の不倫を“学校の不祥事”と表現した。

“教員の不祥事”ではなく?


 ここで杉下にある可能性が浮かんだ。

 岩田の不倫問題が公になって本当に困るのは異動先の中学ではなく、緑山中学なのだとしたら……。

 教頭の言動にも納得できる。

 杉下は再び教頭に疑問をぶつけた。


「岩田さんの不倫相手って、どなたなんですか?」


 警察官の質問に虚偽の証言をするわけにはいかない。

 教頭はバツが悪そうに答える。


「うちの元生徒の保護者ですよ」

「その生徒さんと保護者のお名前は?」

「生徒は柿崎莉佳さん、保護者は香織さんです」


 岩田は莉佳が一年と三年の時の担任だった。

 受け持ちの生徒の保護者と不倫関係になるなど、あってはならない。


 しかし教頭が、そして教育現場が隠したかったことはこれだけじゃなかった。


 岩田は不倫関係になった香織の頼みで、娘の莉佳を有名進学校である私立常盤台高校特進科の特待生に推薦していたのだ。

 完全に職権乱用である。

 特待生は学費の免除が受けられるため、中学の担任からの推薦状が必要になる。

 元々母親から、高校に行きたいなら学費の免除が受けられるくらい勉強しておくよう言われ続けていた莉佳の成績なら、三年の追い込み次第では常盤台もギリギリ狙える範囲だった。


 一方でこの時、亘修一も常盤台高校特進科の特待生推薦を狙っていて、もちろん岩田はそれを知っていた。

 しかし緑山中学から推薦できるのは一名のみ。

 岩田は香織の娘の莉佳を選んだ。

 結果、亘は市内で最もレベルの高い東栄高校に進学し、学校で足りない分は塾で補い大学受験に備えることを決めた。


 数時間前に話をしたばかりの、正義感の強い純粋な少年の顔が目に浮かぶ。

 亘が塾に通う理由を思わぬ形で知り、杉下はやるせない気持ちになった。


 差出人不明の情報を受けて言い逃れできないと察した岩田は、すべてを正直に話したらしい。

 それだけその情報は正確だった。

 そして同じものが岩田の自宅にも届いたらしく、失望した奥さんは離婚を切り出した。

 岩田が渋っているため離婚協議中らしいが、異動先の新たな勤務地へは単身で赴任し、自身の子どもたちにも会わせてもらえないという。


 匿名のタレコミは、一人の人生を狂わせるには充分だった。

 一体誰が……と逸る気持ちを抑え杉下は三年前のいじめについても聞いてみたが、教頭は本当に何も知らなかった。


 岩田は亘が被害生徒に代わり六月に発したSOSを上に報告せず放置したのだ。

 杉下は教頭に事情を説明して三年前の秋頃から学校に来なくなり、進級してまもなく転校した生徒を探す。


 彼女の名前は鵜鷹美結うたか みゆう

 やはり県外へ引っ越していた。

 鵜鷹の転校先の記録を写し、杉下は緑山中学をあとにする。

 外はもうすっかり暗くなっていた。


 学校はあてにできないならば、いじめに関しては生徒たちに聞くしかないだろう。

 加害生徒の一人である千国に話を聞ければいいのだが、未だ彼女の意識は戻っていない。

 桐坂と須藤とも連絡はつかないままだった。

 彼らは何か知っているだろうか。

 いじめの当事者といえるのだろうか。

 ……当事者?


 杉下は昨日の木部との会話を思い出す。


 木部は言っていた。

『女子三人が一人の女の子を囲んで……下着を脱がせてました』と。


 アザミ事件と転落事故がすべて三年前のいじめに起因して起きているなら、事件は必ずもう一件起こる。

 加害生徒の制裁はまだ二人しか終わっていない。


 杉下はもう一人の加害生徒の詳細を木部に尋ねようとスマホを取り出した。

 するとそれを見ていたかのようなタイミングで木部から電話がかかって来た。

 嫌な予感が募る杉下はすぐに通話ボタンを押した。


「はい、杉下です」

「あ、木部です。杉下さん今大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ! 今木部さんに電話しようと思ってたんだ。いきなりなんだけど今日これから時間あるかな? どうしても聞きたいことがあるんだ」


 杉下は言ってから時間が気になった。

 腕時計に目をやると、二〇時三十八分。

 少し迷ったがすぐに話を聞きたかった杉下は、自分が責任を持って木部を自宅まで送り届け必要があれば親御さんにもご挨拶しようと決めた。


「私たちも杉下さんに話があるから、ちょうどよかったです」

「私たち?」

「桐坂と須藤と一緒にいます」


 聞けば彼らは緑山中の近くの公園に集まっているという。

 杉下はすぐにそこへ向かった。

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