あわれ、願いは叶わない
九月下旬のある昼下がり、私立常盤台高校特進科一年の柿崎莉佳はスマホから視線を離せなくなっていた。
【速報】女子高生が母校屋上から転落し一人死亡、一人重体。飛び降りか
九月二十五日、二十三時頃。緑山中学の教員が帰宅する際同校敷地内で倒れている女子高生二名を発見。すぐに救急隊が到着するも
先月、近隣地域では不審人物の目撃情報があり、同校を卒業した生徒を狙った襲撃事件が四件起きていた。今回転落した二名も緑山中の卒業生だったため、警察は関連を調べている。
いつもと同じように朝から脳をフル稼働させ午前の授業を終えた莉佳は、昼休みを迎えた。
いつもと同じようにまひろと陽菜詩と机を向かい合わせにして、昼食をとる。
このあともいつもと同じように三人で雑談をするはずだった。
昼食の直前、スマホをチェックすると結斗からメッセージが届いていた。
結斗はバイトが無い日は相変わらずコーヒーショップで待ち合わせをして莉佳を自宅まで送っていたため、その確認かと思い何気なくメッセージを開いた莉佳は固まる。
結斗から届いたのは待ち合わせの連絡ではなく、昨夜起こった転落事故に関する速報記事のURLだった。
“ここ一か月、変な話とか聞かないから油断してたけどアザミ事件は終わってないのかも”
“今日は俺が家まで送れるから良いけど、今後のこと帰りに少し話そうか。絶対に一人にならないで!”
結斗はアザミ事件が落ち着いてからも予定が合う日はいつも莉佳を自宅まで送り、バイトで送れない日は帰宅を知らせるメッセージを送るよう莉佳に頼んでいた。
それだけ彼女を心配していたところに、この事件。
不安になるのも当然だろう。
莉佳はひとまず結斗に“わかった。ありがとう”と返し、もう一度記事を読み直す。
瞬く間に莉佳の表情が曇っていく。
知り合いが被害に遭った先月の事件もとても他人事とは思えなかった。
しかし今回は死亡している。
衝撃の大きさは前回の比じゃない。
莉佳は一か月前にも同じようにスマホを眺めながら不安を感じていた。
緑山中の卒業生たちが『アザミ』と名乗る男に襲われる事件が四件も起こり、該当する人に注意を促す投稿がSNSで拡散されていたからだ。
自身もバッチリ該当者に当てはまっていた莉佳は投稿を目にした瞬間、ドキリとした。
陽菜詩も、まひろも、結斗も、事情を知り莉佳を心配し一人にならない方法を考えてくれた。
莉佳は三人のおかげで事件に巻き込まれる事なく無事に過ごせている。
しかし莉佳は彼らに言えていないことがあった。
莉佳はただ単に、自身が緑山中の卒業生でよく夜道を一人で歩いて帰っているから不安になっていたのではない。
莉佳は思っていた──アザミの本当の狙いは自分なんじゃないか、と。
そしてそれがどうか、杞憂であれと願っていた。
だが、どうやらその願いは叶わないようだ。
緑山中の屋上で、高城柚鶴が死んだ。
そして現場にはもう一人、一緒に飛び降りた人がいる。
これだけで莉佳の悪い予想はほぼほぼ確実なものとなっていた。
より可能性を高める決定打があるとすれば、それは───。
「……佳っ! 莉佳っ‼」
「えっ⁉ あ、なに?」
「莉佳大丈夫~?」
「……ごめん、ボーっとしてた」
「もしかして、また具合悪いの隠して無理してんの?」
「ないない! 元気だよ!」
「ほんと~? 莉佳はすぐ無理するから心配だよ。何かあったら何でも言ってよ?」
「そうだよ! 莉佳ってば自分からはなかなか相談とかしてくれないんだもん! 悩みがあるなら何でも聞くからね!」
「……ありがとう」
「当たり前だよ~! だって私達友達だもん! ね~」
「そういうこと! 我慢禁止! 分かった?」
「うん、わかった」
二人はとても優しい。そしてあたたかい。
莉佳は二人のことが本当に好きだった。
だからこそ、言えないこともあるのだ。
結局、莉佳が彼女たちに胸のつかえを打ち明けることはなかった。
◇
放課後、結斗との待ち合わせ場所に向かうと彼はコーヒーショップではなく歩道で莉佳が到着するのを待っていた。
不安の大きさが伺える。
まひろとは駅で別れ、莉佳は結斗と共に莉佳の自宅へ向かった。
「莉佳大丈夫? 亡くなった子、知り合いでしょ?」
「うん。知り合いが亡くなるの、はじめてで驚いた。しかもこんな……」
「記事では自殺の可能性が高いって書いてあったけど、本当にそうかな? 俺、アザミ事件は終わったもんだと勝手に考えてたけど、捕まってないって事は解決してないって事なんだよね」
「そうだね。実は私も、アザミ事件はまだ終わってないんじゃないかって思う。あの二人が自殺……しかも屋上から飛び降りって何かおかしい気がして」
「あの二人? 重体の子の名前はどの記事にも載ってなかったけど、莉佳知ってるの?」
「二人と同じ高校に通う子が、二人の名前と写真をSNSに投稿したの。今は削除されてるけど結構拡散されたみたいでたまたま見ちゃった」
「写真まで……。随分軽率だな。でも莉佳はその子達の名前を知って、より不安になったってことだよね?」
「……うん」
犯人は一体何がしたいんだよ、と漏らしながら結斗はため息をつく。
先月、アザミは緑山中を卒業した四人の高校生を殴り軽いけがを負わせている。
膝をつかせるだけで深手は負わせていない。
中には手加減されたと思われるケースもあった。
そして昨日、二人の女子高生が母校である緑山中の屋上から飛び降りた。
この件にアザミが関わっているとの報道はないが、記事には警察は関連を疑っていると書いてあった。
アザミの目的は本人にしか分からない。
しかし莉佳は気付いていた。
アザミが緑山中学の元一年三組の生徒を襲っていることに。
そして先刻、確信を得た。
犯人の狙いは『私』だと。
昼過ぎまではまだ悪い予想の範疇だったものが確信に変わる決定打となったのは、拡散されたSNSの投稿だった。
莉佳は、屋上から転落して死んだのが高城柚鶴だと知った時点で、自身がアザミに狙われている可能性はかなり高いと感じていた。
だがやはり信じたくはない。
これが勘違いで終わるとすればそれは、高城と一緒に転落したという女子高生が千国杏奈じゃなかった場合だ。
しかし残念、嫌な予感ほどよく当たる。
意識不明の重体で運ばれた女子高生は、千国杏奈だった。
莉佳がこの確信を得るには当然根拠が必要である。
何の理由もないのに「本当の狙いは私だ」などと考えるのは、ただの被害妄想が激しい人間のすることだ。
莉佳には根拠があった。
自分が狙われるに至る理由に心当たりがあった。
しかしそれを打ち明けるということは、自分の良くない部分を明かすことと同じだ。
莉佳はそれができなかった。
陽菜詩のことも、まひろのことも、好きだからこそ言いたくない。
結斗のことが好きだからこそ、悪い自分は見せたくない。
結果、莉佳は彼ら三人に自分の過去を隠すことにした。
「早くアザミが捕まるのが一番なんだけど、それまでの間どうしようか。毎日俺が送れればいいんだけど……」
「そんなの悪いよ! こうやって何日か一緒に帰ってくれるだけで充分だよ」
「いや、でもこんな時に夜一人で歩いて帰るのは危険でしょ! 俺も心配だし!」
「一人の時は走って帰るから大丈夫」
「相手、男だよ? 莉佳、走って逃げきれる?」
「……じゃあ大きい声出して助けを求める」
「口塞がれて拘束されたら? 振りほどける?」
「それは……」
「明るい時間ならまだしも、彼女が夜道を一人で歩いて帰るって考えただけで不安なんだよ。しかも莉佳は被害に遭ってる子達と同じ中学を卒業してるわけだし」
「でも、帰りが遅くなるのは仕方ないことだから……」
「俺が送れない日は、お母さんに迎え頼めないかな? せめてバス停まででも。莉佳一人で帰るよりはいいと思うんだけど」
「それは無理かな。お母さんが私のためにそんな事するわけないし」
莉佳から母親との関係が良好ではないと聞いていた結斗はそれ以上踏み込むことはしなかった。
そのかわり、ある提案を口にする。
「莉佳、しばらく俺んち来ない?」
この提案に莉佳は目を丸くした。
結斗は自身が通う大学の近くにアパートを借りて一人暮らしをしている。
常盤台高校からもそんなに離れていない位置にあるらしく、莉佳としては自宅から通学するよりもよっぽど都合がいい。
しかし彼氏の家に転がり込むなど、恋愛初心者の莉佳にはハードルが高すぎる。
そもそも、莉佳はまだ一度も結斗の部屋に遊びに行った事すらない。
午後からずっと莉佳の中に張り詰めていた緊張感の種類が変わった。
しばらくっていつまで⁉
泊まるってこと⁉ それって、つまり……!
莉佳は軽くパニックを起こしていたが、結斗は話を進める。
「もちろんお母さんに相談して許してもらえればの話だけど、夜遅くにこっちに帰ってくるより安全だと思うんだよね。莉佳から言い出しにくければ俺からお母さんに話してもいいし。っていうかそろそろご挨拶したいと思ってたから良い機会なんじゃないかなって。もし俺が一緒にいることに反対されるようなら、莉佳一人でウチ使ってもらって構わないし! 俺は友達のとこに泊めてもらえるから」
気付けばいつの間にかバスを降り自宅まで数分の所に来ていた。
自分の代わりに母に話してと結斗に頼めば、このまま莉佳の家まで一緒に行き母を説得しそうな勢いで莉佳は慌てる。
この話は莉佳にとって願ってもない提案だった。
自分を狙っているであろうアザミが潜んでいるこの町から離れられる。
往復三時間以上かかっている通学時間がかなり短くなる。
母と知らない男がいる家に帰らなくてよくなる。
そして、結斗と一緒にいる時間が増える。
プラスしかないこの提案に、莉佳はありがたく甘えることにした。
ただ、母親に結斗を会わせることには抵抗があったため結斗の男気は丁重に断る。
結斗は「付き合ってもうすぐ四か月だし、そろそろちゃんとご挨拶したいんだけど」と言っていたが、今回は珍しく莉佳の方が押し切りその日は別れた。
莉佳はその日のうちに最低限の荷物をまとめ、結斗の家に行く準備を整える。
あの母になら正直に言っても反対はされないだろうが、なんとなく彼氏の家に泊まることを知られたくなくて「学校で勉強する時間を増やしたいから、学校の近くに住んでる友達の家にしばらく泊めてもらう」と嘘をついた。
母親は興味なさそうに「ふーん、わかった」と答えたが、一瞬ジッと鋭い瞳で見つめられた莉佳はすべてを見透かされているような気分になった。
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