はじめの一歩

「……何その荷物」

「莉佳、家出でもしたの~?」

「うーん、まぁ……そんなとこかな」


 翌日、莉佳は普段使っている通学用鞄の他に、学校にはやや不釣り合いな大きめのバッグを二つ持って登校した。

 今日から早速結斗の家にお邪魔することになっているからだ。


 荷物のほとんどは勉強道具。

 教科書や参考書など必要なものを鞄に詰めるとそれだけでかなり重くなった。

 バランスを保つために荷物を二つのバッグに均等に分けて詰め、空いたスペースに着替えやタオル、洗顔、歯ブラシ、化粧品などを入れていくとあっという間にいっぱいになる。


 本当はもう少し持って行きたいものもあったのだが、これ以上重くすると莉佳の腕がもたない。

 それに、一度に大量の荷物を運びこまれると結斗も迷惑かもしれない。

 足りないものがあれば土日の明るい時間に自宅に荷物を取りにくればいい。

 そう考えた莉佳は、合計三つの荷物を持ち六時過ぎに自宅を出て常盤台高校へ向かったのである。


 案の定、莉佳の腕は限界寸前だった。

 バスと電車に乗っている間は荷物を置くことができたから良いのだが、歩いて移動するときには荷物の重みを分散することができない。

 お世辞にも力持ちとは言えない莉佳には朝から重労働だった。


 しかし最後に一番の難関が待ち構えていた。

 何とか校舎までたどり着いた莉佳はいつも通り教室に向かおうとして愕然とする。

 一年生の教室は四階にあるのだ。

 つまり、本来なら持ってこなくてもいい教科書や参考書を抱え階段を四階分も登らなくてはならない。


 ゴクリと唾を飲み込み、一段目へ足を踏み出す。

 ……重い。思いのほか重い。

 一歩目で挫けそうになる。

 気持ちはさながら三〇〇〇メートル級の山に挑もうとする登山家だ。


 結局莉佳はいつもの倍ほど時間をかけ、途中で休みながらなんとか四階まで大荷物を運び終えた。

 目立たないよう机の両脇にそっとバッグを置いてみるが、どう見ても不自然。

 それなら、と一つは机の下に、もう一つは椅子の下に隠すように置いてみたが、まるで隠れていない。

 通路に置くよりはいくらかマシだったのでこのまま置いておくことにしたが、やはり違和感はある。

 これだけ違和感を放っていれば、まひろと陽菜詩がツッコみたくなるのも分かる。


 莉佳の奇行に興味津々な二人に事情を説明する。

 二人とも既に転落事故の報道を目にしていたようで、莉佳がしばらく自宅から距離を置くと聞いて安心していた。

 と同時に、彼氏の家に泊まるなんてことは彼女たちにとっては大イベントなわけで、関心が向くのは当たり前だった。


 始業前のためその場では何事もなく二人とも自分の席へ戻って行ったが、莉佳は今日の昼休みは色々と追及されることになりそうだ、と覚悟を決め授業の準備に取り掛かる。

 ただ、莉佳はこれから少しの間結斗と一つ屋根の下で過ごすことになるが、まひろ達が期待するような展開にはならないと思っている。


 莉佳は結斗と付き合ってもうすぐ四か月になるが、未だにキスをしたことがない。

 手を繋いだり、頭を撫でられたりしたことはあるが、それ以上先に進んだことはなかった。

 一か月前、自宅の前で初めて抱きしめられたときには一瞬その先の光景が頭をよぎったものの、結果的に結斗はそのまま帰って行った。

 不満はないが、まったく期待しなかったかというときっとそれは違う。

 莉佳だってそれなりに興味はある。


 結斗の提案に乗じたのは、理性的な彼のところなら安全だという安心感のほかに、を知れるかもしれないという期待や、いろんな初めてを彼が教えてくれる嬉しさがあったからだろう。

 莉佳は自分が思っている以上に結斗の事が好きになっていた。


 ◇


 ──莉佳が結斗とはじめて出会ったのは、五月のこと。


 常盤台高校に入学して約一か月、莉佳は求められるレベルの高さに打ちひしがれていた。

 とにかく授業がとんでもなく速い。そして難しい。

 授業中に復習の時間など取ってくれない。

 ひたすら応用力をつけ続ける。

 基礎修得と復習による定着は授業時間外に各自でおこなう。

 慣れないうちはそれだけでも大変なのに、最初の大型連休であるGWには大量の課題が与えられていた。


 当初莉佳はこの休み中に一か月分の総ざらいを済ませてから、連休明けの予習に取り掛かる予定だった。

 しかし、与えられた課題はそれを片付けるだけで連休が終わってしまうんじゃないかと思う量で絶望する。

 莉佳は連休初日から、常盤台高校の近くにある市内で一番大きな図書館の自習スペースを利用していた。

 自宅の近くにも小さな図書館はあるが、そこに自習スペースはない。

 かわりに共有スペースはあるもののなぜか新聞を読む高齢の方で溢れている。

 その中に入り高校の課題を片付ける気にはどうしてもなれず、莉佳はわざわざ自宅から遠い図書館まで通っていた。

 そもそも自宅で勉強する気にはなれなかったし、地元の図書館では資料も少なそうだったため苦ではなかった。

 それに自習スペースが完備されている図書館には当然、勉強する学生が多く集まる。

 勉強に対するモチベーションも上がり、莉佳にはもってこいの場所だった。


 すぐにそこが気に入った莉佳は連休中、毎日通っていた。

 自習室には<横長のテーブルに二つの椅子>がセットになり、合わせて二〇セットほど並んでいる。

 受験会場のようなその作りは学習意欲をさらに湧き立たせた。


 九時から十八時まで図書館にこもり勉強する莉佳は、昼に一時間程昼食と休息のため席を離れる。

 席を取っておくことはできないため、その都度空いている席に移動する。


 もし自分が座るタイミングで同じテーブルの逆サイドに座っている人がいれば挨拶代わりに軽く会釈するのがここのルールなようで、莉佳もそれに倣う。

 人によっては集中状態で会釈されたことに気付かない人もいるが、大体の人は気付けば自然と返してくれる。


 莉佳はここで結斗と出会った。

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