飛び降りた少女たち
九月二十五日
残業を終えた新米教師の白石は二十三時頃に職員玄関から校舎を出た。
その一時間ほど前まで残っていた教頭が校舎内の戸締りの確認を済ませていたため、白石は職員玄関のセキュリティ設定と校門の戸締りのみを任されていた。
セキュリティの設定に誤りがないか三回も確認してから白石は校門へ向かい歩いていく。
途中、校舎に沿って整えられている花壇に目をやった。
緑山中学では園芸部の生徒が花壇の整備に力を入れている。
夏休み明けから少しずつブルーサルビアやコスモス、シクラメンといった色とりどりの秋の花を植えていた。
ここを通る時、花壇に目を向けるのは白石の癖だ。
だからこそ、暗がりでもその違和感に気付いてしまった。
一部分だけ、なぎ倒されているかのように花の背丈が足りていない。
悪戯を疑った白石は近寄ってよく観察してみることにした結果、そこに倒れる二名の女子高生を発見したわけだ。
白石の通報により駆け付けた救急隊はその場で高城柚鶴の死亡を確認した。
千国杏里はかろうじてまだ息があったため、意識不明の状態で緊急搬送された。
その後白石は報告を受け学校に戻って来た教頭と共に、現地に到着した警官が運転するパトカーで警察署へ出向き、それぞれ個別の事情聴取に応じた。
白石の事情聴取を担当したのは杉下だった。
ベテランの塚田も同席して見守る。
一か月前と同じ配置で座る二人だったが、先月との違いは今回聴取する相手は高校生ではなく大人という点だ。
「学校の先生というのは、遅くまで大変なんですね。普段から残業はよくするんですか?」
「えぇ、僕一年目なのでいろいろと時間がかかってしまって……。もっと効率よくできればいいんですけど、早く帰れるのは週に一回あるかないかです」
「それは大変だ」
「いえ……」
建物から転落死した人間を至近距離で目撃する機会など、そうあるものではない。
最初に発見したというだけでも相当の衝撃だっただろうが、不幸なことに高城の頭部からはかなりの出血があったし、転落の衝撃で体の一部は変な方向を向いていた。
警官や救急隊員でも顔を顰めたくなるような状態の遺体と対峙したショックは計り知れない。
明らかに顔色の悪い白石を追求するようで心苦しさを感じながらも杉下は質問する。
「残業中、変な物音はしませんでしたか?」
「……とくに何も気になりませんでした」
「白石さんは残業中ずっと職員室に?」
「はい。来週分の学習指導案を詰めておきたくて。家だと資料が足りないので職員室に残ってやってました」
「教頭先生もご一緒だったんですよね?」
「えぇ、でも教頭先生は先にお帰りになったので、二十二時頃からは僕一人でした。パソコンの作業履歴を確認してもらえれば……」
この発言に嘘はなく、白石が本当に一人で指導案作成を進めていたのは作業履歴が証明していた。
それ以前に、防犯のために職員室の入り口を撮影しているカメラに残業途中の白石が職員室を出る姿は映されていない。
「高城柚鶴。千国杏奈。白石さんがさきほど発見した女子生徒の名前です。二人は去年緑山中を卒業していますが、彼女たちを知っていますか?」
「いえ、僕は今年赴任したばかりなので卒業生の事はちょっと……。去年卒業した生徒なら、資料とかで名前を目にしていた可能性はあるかもしれませんが、認識はありません」
「そうですか。では、今日の件とは少し話が変わるんですが、白石さん“アザミ事件”はご存知ですか?」
「去年ウチの中学を卒業した生徒たちが襲われた事件ですよね? 在校生に被害はありませんが、念のため学校でも注意喚起していたので知っています」
「生徒さんたちからは何か反応はありますか?」
「中には被害に遭った卒業生と面識のある生徒もいるので、ショックや恐怖心を抱く子もいました。でも事件が止んだからか、最近は関心が薄れていると感じます」
これがリアルな声だ。
事実、八月は週一のペースで四人の生徒が被害に遭ったが、今月は一人も襲われていない。
無関係の人々の記憶からアザミ事件が薄れていくのは仕方のないことだった。
これだけ何もなかったんだからもう事件は起きない、と勝手に決めつけ安心している人も少なくないだろう。
しかし杉下は確信していた。
アザミ事件はまだ終わっていない、と。
その後もいくつか質問と返答を繰り返したが白石も教頭もとくに怪しい点はなかった。
午前一時を過ぎていた事もありこの日の聴取は終了した。
しかしおそらく白石は、一睡もできないまま朝を迎えるだろう。
そして二人の少女を見つけた緑山中学に再び向かわなくてはならない。
事故現場の光景というのはそう簡単に消せるものではない。
男性としてはやや小柄で華奢な白石が肩を落とす様子は、やけに彼を弱々しく見せた。
トラウマにならなければいいが、と案じながら杉下は白石を見送った。
◇
現場となった緑山中の屋上に行く手段は二つある。
一つは校舎内から。もう一つは外階段から。
高城の遺体から算出された死亡時刻は二十二時半から二十三時頃。
校門の戸締りは最後に学校を出る白石に任されていたため、敷地内に侵入することはできる。
しかし緑山中では防犯対策として、十八時以降は出入口を自動で施錠していた。
出る分の手間はかからないが、校舎内に入る場合はパスワードを入力しないと開錠されない。
そして、開錠した場合はその時刻が記録される。
その日、十八時以降にパスワードで鍵を開けた記録は残っていない。
教頭は二十一時から約一時間かけて、戸締りを確認するためすべての教室を見て回っている。
異常や不審人物は一切発見されていない。
ゆえに彼女たちが校舎内から屋上に行くことは不可能。
どこかに潜んでいた可能性もゼロではないが、その線は早々に消えた。
何故なら屋上へ続く外階段の鍵が開いていたからだ。
外から屋上へ行くには、階段の鍵と屋上手前の扉の鍵の両方を開けなくてはならないのだが、そのどちらもが開いていた。
壊されたのではなく、自宅の鍵を開けるように鍵穴に鍵を差し込み回して開錠している。
二か所の鍵は職員室の定位置にいつも通りぶら下がっていた。
スペアの紛失もない。
となると考えられる可能性は二つ。
彼女たちが不正に複製した鍵を持っている、もしくは、協力者がいる。
遺書は見つかっていない。
屋上に設置された柵の高さは約一八〇センチ。
二人とも柵の手前で靴を脱ぎ揃えていた。
杉下は現場写真を眺めながら頭の中を整理する。
彼女たちが倒れていた位置的に、自分の意思で飛び降りている可能性が高い。
もしも突き落とされていれば、もう少し校舎から離れた位置に倒れているはずだ。
衣服の乱れや抵抗した痕跡もなく、靴も綺麗に揃えて置いてある。
状況的には自殺と判断するのが自然だが、どうも引っかかる。
自殺なのだとしたら彼女たちはなぜ母校を選んだ?
そもそもどうして屋上に入れた? 鍵はどうした?
何より気になるのは…………。
「飲むか?」
右側から差し出された紙コップからはコーヒーの香りが漂う。
「ありがとうございます。いただきます」
「こないだのお前の報告、眉唾もんじゃなかった可能性が高まったな」
───八月二十四日
木部あかねが襲われた事件から二日後、杉下はある報告をするため塚田のデスクを訪れた。
「塚田さん、アザミ事件のことなんですが」
「被害に遭った四人について何か分かったか?」
「
「これといった接点はなしか」
「はい。ただ一つ気になる点が」
「ん?」
「彼ら、中一の時だけ同じクラスだったんです。全員一年三組に在籍していました。やはり当時も特別仲がいい訳ではなかったみたいですが」
「仮にアザミが元一年三組の生徒を狙ってるとして、理由はなんだ?」
「その理由が見当たらないんです。一緒に何かに取り組むようなメンバーでもないですし、問題を起こした記録もありません。ただ、アザミがそのクラス自体を憎んでいたとしたら、次のターゲットも元一年三組の生徒ということになるんじゃないかと……」
「確信はないが可能性はある、か。よし、そのクラスについてもう少し詳しく調べてみてくれ」
「わかりました」
───九月二十五日の通報から日を跨ぎ深夜二時。
塚田と杉下は約一か月前の報告を思い出していた。
結論、杉下の予測は当たった。
高城柚鶴、千国杏奈はどちらも元一年三組の生徒だった。
「なにかあるな」
「アザミが絡んでると考えて間違いないでしょう。まずは千国に話を聞きたいところですがすぐには難しそうですね……。俺、明日当時の担任に話を聞いてきます」
「ん、頼む。だがその前に少し休めよ? 俺達は体が資本だからな」
「はい! あと六時間で退勤なので帰って寝ます! 相手が先生なら放課後の方が都合がいいでしょうし、夕方まで休めるかと」
杉下は夜通しの勤務を終えたら帰宅し、十五時くらいまで睡眠を取ろうと思っていた。
休息を怠りいざという時使い物にならなくては意味がない。
ただがむしゃらにやるのではなく冷静に効率を考えるあたり、杉下は冷静沈着な熱血漢といえる。
しかし彼の予定は一人の少女によって変更を余儀なくされる。
午前八時過ぎ、自宅へ帰る道を歩いていると杉下の仕事用のスマホが鳴った。
登録していない番号だった。
「はい、杉下です」
「あの……、私木部といいます」
「あぁ、木部あかねさん?」
「はい。この前はお世話になりました」
「いえ。殴られた箇所は平気かい?」
「はい」
「良かった。あれから何か変わったことはない?」
「はい、私は大丈夫です」
この時杉下は察した。
私は大丈夫、ということは大丈夫じゃない人間が近くにいたんだろう。
そしてそれはきっと昨夜の彼女たちを指している。
「っ、あの! 緑山中で飛び降りたのって、ゆづと杏奈ですよね?」
朝のニュース番組で報道を見たのだろうか。
しかし彼女たちの年齢や転落までの背景が不明なこともあり、名前は伏せられているはずだ。
学生たちのネットワークは凄まじく速く、秘匿事項もあっという間に駆け抜けるらしい。
杉下の返答を待たず木部は続ける。
「私、思い出したことがあって……。会って話を聞いてもらいたいんですけど」
電話越しの木部は怯えているようだった。
できることならすぐに話を聞いてやりたかったが、通学中だという彼女に学校をサボらせるわけにはいかない。
学校の予定を聞くとその日は学力試験で午前中に終わると言うので、十三時に彼女の高校の近くの喫茶店で待ち合わせすることにした。
杉下の予定は変わったが、とりあえず三時間は眠れそうだ。
一方そのころ、人知れず木部以上に怯える人物が一人、不安と恐怖に呑まれそうになっていた。
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