元の木阿弥
結局、飛鳥には二〇分程も授業を抜けさせてしまった。
彼女も彼女で成績を落とせない理由があると知り、莉佳は罪悪感を感じた。
だが、同時に飛鳥の秘密を知ったような気になり、心が浮ついていたのも事実だった。
めまいや息苦しさはなくなり、発熱もしていなかったので莉佳は次の授業から戻ることにした。
いつまでも休んでいる訳にはいかない。
焦燥感に押しつぶされそうだった先ほどとは打って変わって、心は大分晴れやかになっていた。
養護教諭にお礼を伝え保健室を出ようとしたところで様子を見に来たまひろと陽菜詩に出くわしたため、三人で教室へ戻ることにした。
「莉佳、もう大丈夫なの? 具合悪いの気付けなくてごめんね~」
「全然気にしないで。少し休んだらかなり楽になったし」
「また変だと思ったら我慢しないで言ってよ?」
「うん、わかった。心配してくれてありがとう」
「ねぇねぇ。さっきの飛鳥さん、かっこよかったよね~! 私、びっくりしちゃった」
「私も」
「いやいや! 一番びっくりしたのは私だよ! 授業抜けさせて、悪い事しちゃったな……。後で謝らないと」
「飛鳥さん、なかなか戻ってこなかったけど二人で何か話したりした?」
陽菜詩の言葉を受け、莉佳の頭には保健室での飛鳥の姿がすぐに浮かんだ。
しかし、あの出来事は自分の心の中だけに留めておきたいと思ってしまった。
「ううん、特になにも。保健室の先生がいなかったから、戻ってくるまで気使って残ってくれただけだよ」
人の家庭事情をペラペラと喋るのは良くないというのは当然だが、さっきの話を伏せたのはそういった理由だけじゃない気がした。
元々口数が少ない飛鳥だから、二人きりのときに会話が無くても違和感はないのだろう。
まひろも陽菜詩もそれ以上聞いてくることはなかった。
教室に戻った莉佳は、すぐに飛鳥に声をかけた。
「飛鳥さん、さっきは本当にありがとう。ご迷惑をおかけしました……」
「もう大丈夫なの?」
「うん。飛鳥さんには本当に助けられたよ」
「別に私は何も」
「ううん。飛鳥さんの話聞いて、すごく楽になれたから」
「そう」
「あ、もちろん誰にも言わないから! 私の胸の中にしまっておく!」
「……ふふ。それは助かる」
いつもと変わらない無機質な返答が続いていたが、最後はほんの少しだけ表情が揺れた。
飛鳥の僅かなほほ笑みはしばらく莉佳の頭から離れなかった。
はるか先を行く遠い存在だと思っていた飛鳥と、もしかしたら仲良くなれるかもしれない。
今日を機に彼女との距離が縮まるかもしれない。
そう思うと莉佳の心は弾んだ。
しかし現実はそう単純なものではない。
それからというもの、飛鳥は相変わらず孤高の賢女だった。
以前と同様、声をかけられれば応えるが飛鳥の方から莉佳に話しかけることはない。
少しパーソナルな部分が見られたからといって、急に関係性に変化が出るわけではないのだ。
妹を好きな進路に進ませるため稼げるようになりたい。
確固たる目的がある彼女は今日も姿勢を崩さない。
そんな飛鳥の背中を毎日見つめる莉佳は、勉強の邪魔になってはいけないと今まで以上に気軽に声をかけられなくなっていった。
◇
常日頃、勉学に勤しむ彼女たちではあるが女子高生のトレンドの移り変わりは恐ろしく速い。
同年代に比べるとスマホのチェック時間は圧倒的に少ないだろうが、この年代の情報収集力とセンスは彼らの親世代のそれとは比べ物にならない。
いつもの三人の中で一番情報に敏感なのはまひろだ。
どうやらまひろはスイーツとファッションに関心が強いようで、その手の情報に詳しい。
昼休みになると莉佳と陽菜詩に、新作のスイーツやおすすめの化粧品、可愛いモデルなどの情報を提供している。
どれもが健全でまひろらしく、安心感のある話題ばかりだった。
しかしある昼休み、まひろは「妹の担任の先生がね、不倫が原因で処分受けて異動になったんだって~」と突然らしくない話題を口にした。
母親が絶えず男を作り、そのほとんどが妻子持ちであると察している莉佳としてはなんとも気まずい話題だった。
積極的に参加したい話ではない。
しかしそんな心情は露知らず、陽菜詩とまひろは会話を続ける。
「妹ちゃん、中学生だっけ?」
「うん、中二。先生は今年赴任してきたばかりの男の人で、爽やかで顔も良いって結構人気だったのにびっくりだよ~。しかも教員同士じゃなくて、生徒の保護者が相手だったみたいでさ~」
「赴任したばかりの学校で⁉」
「それがね~、不倫してたのは前の学校にいた時なんだって。教育委員会に匿名で証拠が送られたのがキッカケで聞き取り調査したら認めたって。しかも教育委員会に届いたものと同じものが奥さんにも送られてきたらしくて大変って話だよ~」
「最悪じゃん。てかなんでそんな詳しいの?」
「うちの妹ゴシップ好きだからね~。そりゃあもう真剣に話すから、私も思わず真剣に聞いちゃったよ~! 保護者説明会も開かれてたからかなり広まってるんじゃないかなぁ」
「そういう話って尾鰭が付いて広がりそうだから大変だね」
「そうなんだよ~。教職に復帰するとしても、この辺りじゃ厳しそうだよね」
「保護者と不倫って信用失墜には充分過ぎる理由だしね。妹ちゃんはその辺大丈夫?」
「うん、全然影響受けてないみたい。でも私は、不倫とかしちゃう人にはやっぱり良い印象って持てないから担任は変わってよかったって思ってるよ~」
「確かに。まぁ、教師も相手の保護者もモラルがないとしか言えないね」
今日も自分で作って来た弁当を食べながら黙って二人の会話を聞く莉佳も、彼女たちと同意見だった。
しかし“良い印象を持てないモラルの掛けた人間”が身内にいる莉佳からするとこの場に腰を据えているのは、相方の不祥事報道を見せられる芸人コメンテーターくらい場違いである。
彼らなら笑いに変えるという
ここはマジョリティのまひろと陽菜詩の意見に同意し、無難にやり過ごすのが一番だろう。
そう思い適当に相槌を打つ。
そのうちにこの話題に飽きたのか、まひろがいつものジャンルに話を移す。
なんでも、マカロンを使った進化系バターサンドなるものが人気を集めているらしく、近々コンビニでも展開されるという。
画像を見せてくれたが、可愛らしい見た目で女子ウケはバッチリだろう。
買いに行くのが楽しみだと今から幸せそうな表情を浮かべるまひろと、その緩みきった笑顔を優しく揶揄う陽菜詩からは平和な空気が溢れ出ていた。
一方で莉佳はさっきの話題からまだ抜け出せずにいた。
母親とその男がいる自宅が浮かび、内心穏やかではいられない。
目の前でキラキラと笑う彼女たちには無縁な悩みなのだろうと思うと、わずかに苛立ちすら覚えるがそれはお門違いだ。
八つ当たりでしかない。
分かっている。
分かっているからこそ、また私は……、と自分に嫌気がさす。
その日の昼休みは体と心が別の所にある感覚で、莉佳の頭の中にはネガティブな霧がかかったようだった。
しかし翌日、そんな感情が一瞬で消え去るような衝撃的なニュースが舞い込む。
ある中学校のグラウンドで、屋上から転落したとみられる女性二名が発見された。
現場の状況からして自殺の可能性が高いらしい。
一人は死亡、一人は意識不明の重体。
第一報の時点では実名報道はされなかったが、彼女たちの関係者ならばすぐに分かることだった。
そしてそれらの情報はSNSで瞬く間に広がる。
死亡したのは
重体で運ばれたのは同校一年の
「女子高生がなんで中学校で自殺?」と疑問視するコメントもあったが、その答えは簡単。
高城柚鶴と千国杏奈は母校で飛び降り自殺を図ったのだ。
そしてその事故現場となったのが、緑山中学だった。
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