第52話 ご令嬢

   ◆◆◆



精霊武装・向日葵スピリット・オブ・ソレイユ》を発動したまま、既に数時間。美空は中層の魔物相手に、無傷のまま連戦連勝を重ねていた。

 美空の中にある強さの基準。向日葵の件でそれが跳ね上がったおかげか、この辺の魔物ではイマイチ物足りない。

 でも、焦ってはダメだ。焦るとろくな事にならないのは、ここ1年で学んでいる。

 じっくり、じっくり行こう。

 しばらくの間、中層を下に潜りつつ魔物を殲滅していく。



(もうそろそろ3時間。そろそろ引き上げて、ひまちゃんを休ませてあげないと)

【ひま、もーちょっとがんばれゆよ?】

(だーめ。ちゃんと休まないと)

【あーい】



 脳内で向日葵と会話をしつつ、ポイズンスネイクの群れを焼却する。

 と──その時。ダンジョンの奥から、妙な音が聞こえてきた。



「なんだろ……変な音がする」


『する?』

『わからん』

『どんな音?』


「えっと……肉と肉がぶつかるような……あと、何かが軋むような音……?」


『肉と肉がぶつかる……!?』

『やばい』

『行かない方がいい』

『BANされるぞ』

『とりま回れ右』

『みみみにはまだ早い』

『ダメだ』

『いや行け』

『行ってみな』

『ダメだろ』

『アウトー!』



 リスナーは何かを察したのか、コメント欄が大荒れだ。いったい何を察したというのだろう。

 けど、誰かが助けを求めてるなら、助けた方がいい。鬼さんなら絶対助けるだろう。

 美空は覚悟を決め、レーヴァテインを握り直す。

 ゆっくり近付いていくに連れて、音が大きくなる。あの曲がり角の向こうから聞こえてくるみたいだ。

 女性なのだろうか。荒い息遣いも聞こえてくる。

 コメント欄は未だに、行けと戻れが言い争っている。とりあえず今は無視だ。


 そっと息を吐き、覚悟を決め……角から飛び出してレーヴァテインを構える。



「おいッ、何して……は?」

「フーッ、フーッ……ん?」



 曲がり角の先にいたのは、女性だった。

 が、女性だけではない。足元に転がるのは……大量の魔物の死骸だった。

 それも、10匹や20匹じゃない。50……いや、100は超えているだろうか。

 女性の両手も、1匹ずつ息絶えた魔物が鷲掴みにされている。

 しかしそれも次の瞬間には灰となり、魔石が大量に散らばった。


 この光景に、真っ先に思いついたことは……有り得ない、だった。


 魔物は倒されて一定時間が過ぎると灰になり、魔石やアイテムを落とす。これは常識だ。

 そして、今の魔物たち……100匹がほぼ同時に、灰になった。

 魔法を使った気配はない。つまり、肉弾戦だけで100匹の魔物をほぼ同時に殲滅したということになる。

 周りを見ても、こ女性1人しかいない。

 中層にこんな芸当のできる攻略者がいるなんて、聞いたことがなかった。


 呆然と女性を見ていると、女性は柔和な笑みを浮かべ、ダンジョン攻略には似合わないロングスカートの裾を持ち上げた。



「ご機嫌よう」

「ご……ご機嫌よう……?」



 まさかの挨拶に、つい同じように返してしまった。

 改めて見ると、ものすごい美人だ。年齢は多分、自分よりも上……成人しているだろうか。大人の色気がすごい。

 先端のみが緩くウェーブがかった栗茶色の髪。

 優しげで、おっとりとした目元。

 とてもダンジョン攻略中とは思えない、ゆったりとした服。

 傍には武器らしい武器はない。ということは、さっきのは素手でやったのか。まさかそんなことができる人間が、鬼さん、モチャ、レビウス以外にいるなんて、驚きだった。



『なんだ』

『期待してたのに』

『男の純情を弄びやがって!』

『まあ知ってたけど』

『仕方ない』

『これだから男は……』



 残念がるコメントは無視。いったい何を考えているのやら。

 とりあえず、女性に声を掛けた。



「えっと……す、すみません。変な音が聞こえたから、助けが必要かと思って飛び出してきてしまって……」

「ふふ、お優しいのですね。でも大丈夫ですわ。わたくし、ちょっと強いので」



 あんな芸当を見せられたら、嫌でもわかる。

 それに……傍にいるだけで、変な圧を感じる。存在の厚みというか……魂の密度が、濃い。

 関わるのはよそう。なんとなく直感がそう告げていた。



「そ、そうですか。それじゃあ、ウチはここで……」

「あ、お待ちになって」



 止められた。しかも、手首を握られて。

 かなりの握力だ。このまま逃げるのはかなり厳しい。



「な……何か?」

「ここで出会ったのも、何かの縁ですわ。少しわたくしとご一緒してくださらない?」

「え、いやぁ……」



 関わりたくない、関わりたくない、関わりたくない。

 美空の第六感が緊急アラートを鳴らしていた。

 なんとなく、面倒な感じがする。

 でも逃げられないし……仕方ない。



「は、はい。いいですよ」

「本当ですか? ふふ、嬉しいですわ。わたくし、同性の方をダンジョンで見るのは初めてですの」



 確かにダンジョン攻略者は、比較的男が多い。死と隣り合わせの仕事で、単純に危険だ。能力に覚醒しても攻略者になる女性は少ない。

 でも上層では、まだ女性の攻略者は多いはずだ。中には、女性だけでパーティーを組む人たちもいる。

 そう言った人たちはかなり目立つのだが……見たことないとは、どういう事だろうか。

 何か訳ありな予感。事情を聞こうと女性に声を掛けようとすると……名前を聞いていなかったことに気づいた。



「えっと……すみません。自己紹介がまだでしたね。ウチは美空って言います。DTuberで……あ、今も配信中なんですけど、大丈夫ですか?」

「はあ、でーちゅーばーのミソラ様……ですか?」

「……もしかして、DTuberをご存知でない?」

「申し訳ありません。事情があって、俗世に疎いものでして」



 疎いなんてレベルではない。最近では有名DTuberはテレビにも出演しているし、メディア露出が多い。今どきDTuberを知らない人なんているなんて、思わなかった。



「はいしんというのは、こちらのカメラでやっているのですか?」

「そうですね。今は9万人がカメラの向こうから見ています」

「ほえぇ〜……? よくわかりませんが、皆様初めまして」


『はじめましてー!』

『可愛い』

『可愛い』

『いや美人』

『べっぴんさんキタァ!』

『偉い美女だな』



 リスナーも大絶賛だ。流れとは言え、素人を配信に載せていいか不安だったが……本人がよくわかっていないみたいだから、ここはこのままにしておこう。



「それで、あなたは……」

「はっ……! そうでしたね、わたくしの自己紹介がまだでしたわ」



 女性は再びロングスカートの裾を摘み、右脚を引いて膝を少し曲げる。こうして見ると、まるでどこかの国のご令嬢みたいだ。



「攻略者名、ムーランと申します。以後お見知りおきを、ミソラ様」

「よ、よろしくお願いします。えっと……ムーランさん」



 なんとなく、調子が狂う。

 そんなことを考えつつ、美空はそっとため息をついた。


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