第37話 名前
◆◆◆
「いやぁ〜……センパイから聞いた時はまさかと思ったけど、マジで精霊じゃん……」
「かっ……可愛い……! 生で見ると余計可愛い……!」
連絡を貰ったモチャと八百音が揃って隠し通路に来たのは、それから1時間が経った頃だった。モチャは少女を見て目を丸くし、八百音も可愛さでメロメロみたいだ。
けど少女は、美空の腕から離れずにしがみついている。新しい人が怖いみたいだ。
「よしよし、大丈夫だよ。2人とも、お姉ちゃんのお友達だから」
「ぇぅ……? ぉとも……だち……?」
「そう。仲良しの人だよ。ご挨拶してみよっか」
少女は2人を見上げ、一瞬だけ指をもじもじさせてから、手を2人に伸ばした。
「……こん……ちゃ……?」
「〜〜〜〜!! こんにちはぁ〜……!」
「う、うん。こんにちは……ちょ、センパイ。あれなんすかっ」
八百音がメロメロの猫なで声で少女の手を取り、逆にモチャは少し引いた顔で、鬼さんに近づいた。
「なんで精霊がいんのさっ。しかもみみみお嬢ちゃんと一緒に……!」
「さあ、なぜでしょう」
「……ふざけてんすか?」
「ふざけていませんよ。私も、着いた時には驚いたんですから」
2人の視線が少女に向く。
さすがに怖いのか、少女は美空の胸に抱きついて顔を隠した。
「なんか怖がられてませんか、アタシら」
「精霊ですからね。私たちの内に秘めた力を察しているのでしょう」
「あの子たちには懐いてるみたいだけど」
「まだまだ、お2人とも子猫ちゃんですから」
この歳で子猫ちゃん扱いされるとは思わなかったが、2人と較べると龍と子猫並の戦力差があるのは否めない。
美空は少女を宥めるように頭を撫でると、涙目で見上げてきた。
「はぁ……で、どうすんのセンパイ。匿うの?」
「ええ、美空さんが決めたことですから」
「でもここも時間の問題でしょ。公安にバレたら、あの子らじゃ手に負えないよ」
モチャはぼやくが、鬼さんは特に何も言わない。それどころか、モチャを見てにこにこしている。
何かを察したモチャが、嫌そうな顔で少女と鬼さんを交互に見た。
「あ、アタシが面倒見るんですか!?」
「よろしく頼みましたよ」
「いやいや、アタシだって忙しいんですけど!?」
「女性の面倒は女性が1番でしょう」
「だからってアタシじゃなくても……!」
さすがの鬼さんの頼みでも、モチャは嫌そうな顔をする。
下層ボスと戦い、今やモチャは世界的な大スターだ。結果的には負けてしまったが、詠唱魔法や
テレビにも記事にも引っ張りだこ。今のモチャに余裕がないのは、美空でもわかっていた。
「あ、あの……っ」
やっぱり1人でやる、と言いかけたその時。鬼さんが美空に流し目を送り、口を閉じてしまった。ここは任せろ、と言うように。
「やってくれませんか?」
「言ったでしょ。アタシだって忙しいんですって。……ま、まあ、どうしてもって言うなら──」
「わかりました、無理を言ってすみません」
「……へ?」
急に引き下がった鬼さんに、モチャは目を丸くして呆然とした。
まさかの展開に、美空と八百音は顔を見合わせる。
「外まで送りましょう、レディ」
「いや、あの……」
「あ、くれぐれもここのことはご内密に。精霊のことも、カク秘でお願いしますね」
「だ、だから……あーもう! わかった! わかりました! やるよ、やりますよ!」
深くため息をついて、遂に折れた。
鬼さんはモチャに見えないように、2人にピースを見せる。どうやらモチャの性格を把握した上で、わざと引いたらしい。
「ありがとうございます、深雷さん」
「ったく……今度飯奢ってくださいよ。フレンチのフルコース。めっちゃ高いの」
「私よりあなたの方が持ってるでしょう」
「こういうのは持ってる持ってないじゃないの。お、れ、い、が、欲しいの。……もちろん、2人きりでね♡」
モチャのウインクに、鬼さんはやれやれと肩を竦める。
ずるい。という気持ちが湧いたが、今の美空に鬼さんをデートに誘う勇気も理由もない。
そっとため息をつき……すぐに自分の考えで顔が熱くなった。
(で……で、でででででででででででデートぉ!? なっ、何考えてんのウチはぁ!!)
頭から湯気が出るくらい熱い。自分の気持ちに素直になってから、いつもこうだ。
美空の気持ちを知っている八百音は、生暖かい目で見て頭を撫でる。そうされると余計恥ずかしいのだが。
少女も美空が心配なのか、頬をぺたぺたと触ってきた。
「……みそら……あかい……?」
「な、なんでもない、なんでもないからねっ。あ、そうだ。あなたの名前を決めないと……!」
「ぅ……?」
思えば、この子には名前がない。これから一緒に生活していく上で、名前がないといろいろ不便だろう。
だが、美空は誰かに名前をつけるなんて経験をしたことがない。強いて言えば、小さい頃に遊んでいた人形にステゴローという名前をつけたくらいだ。
「名前、名前、名前……いざつけるとなると、パッといいのが思い浮かばないね」
「ねえ美空。名前付けてあげるのはいいけど、後で後悔しない?」
「え?」
八百音の言葉に、美空は首を傾げる。何が言いたいのかわからない。
八百音が少女の頭を撫でると、気持ちよさそうな顔でニパッと笑った。
「この子、精霊って言われてるけど魔物なんでしょ? 名前付けちゃうと、いざ別れの時が来たら……」
「あ……そっか……」
まったく、その通りだだった。
ずっとここにいる訳にはいかないし、この子のお世話をし続ける訳にもいかない。名前を付けてしまったら、愛着が湧きすぎてしまう可能性もある。
けど……
「けど、せっかく生まれて、こうして生きているなら……ウチは、この子がここにいたって証を残したい」
「……わかった。美空がそう決めたなら、私は何も言わないよ。それに私もこの子のこと、気に入っちゃったし♡」
もちもちのほっぺをこねくり回して、楽しそうにする八百音。少女は「ぁぅぁぅぁぅ」とされるがままだが、どこか楽しそうだ。
「でも名前かぁ。私も名付けとかしたことないからなぁ」
「だよねぇ……ねえ鬼さん、モチャさん。名前ってどう付けたらいいんですか?」
傍で見守ってくれていた2人に話を振ると、鬼さんは困ったように笑った。
「申し訳ありません。いくら私でも、名付けの経験はなくて……深雷さんはありますか?」
「あるわけないですよ。生まれてこの方、男だってまだなのに」
悲しい事実を聞いてしまった。まあ美空も同じ穴のムジナの同類だが。
となると、やっぱりニュアンスとか直感で決めるしかないか。
改めて少女を観察する。
見た目年齢は9歳くらい。少し褐色の肌。真っ白なワンピースに向日葵のブローチ。緑がかった黒髪と、くりくりとした大きな金色の瞳。華奢な四肢。もちもちのほっぺ。
むむむ……。
「み、ミドリーナ……?」
「「だっっっっっっっっっ………………っさ」」
「あはは……」
「そ、そこまで言わなくてもいいじゃん……!」
鬼さんにまで苦笑いをさせてしまった。さすがに今のはない。自分でもわかる。
だからと言って、他に何が思いつくかと言われても、何も思い浮かばない。自分のセンスのなさに絶望する。
と、モチャがそっとため息をついて口を開いた。
「もっと簡単に考えなよ。ヒマワリのブローチを付けてるなら、向日葵ちゃんとか」
「……モチャさん、天才?」
「お嬢がアホなだけ」
「何をう!」
いくらなんでも言い過ぎだろう。
味方を得ようと八百音や鬼さんを見るが、あからさまに顔を逸らされた。悲しい。
美空は頭を降って、少女の目を見つめた。
「名前、決まったよ。あなたの名前は、向日葵。向日葵ちゃんだよ」
「ひま……?」
「そう、向日葵。よろしくね、向日葵ちゃん」
「……ひま……わり……ひまわ……り……ひまわり……」
嬉しいのか、頬を紅潮させて何度も呟く向日葵。どうやら気に入ってくれたみたいだ。
隠れ家もできた。手助けしてくれる人もいる。名前も決まった。
後は、これからどうするかだが……今は、少しだけ休ませてもらおう。
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