第33話 魅入られる想い
夜遅くになり、消灯時間もすぎた頃。寝息を立てるモチャと八百音を横目に、美空はベッドに三角座りをして薄暗い病室を見つめていた。
心にある妙な気持ちに答えが出ず、眠ることもできない。
(本心ですか、なんて……本心に決まってはずなのに、なんでこんなに揺らぐんだろう)
美空も、まだ花も恥じらう16歳。たくさん遊びたいし、オシャレもしたい。それができるだけのお金はある。これからも、ランニング的に入ってくる目処も経っている。
だからしばらく、死と隣り合わせの生活から離れて、ゆっくりしたい……と、思っているはずなのに……。
(こんなに魅力を感じないのは……なんで……?)
久々に友達に会える。いろんな話をしたい。オシャレなお店も行きたいし、今流行りのスイーツを思う存分に食べ尽くしたい。
それが普通。攻略者になる前は、似たような生活を送っていた……はず……なのに。
ベッドから立ち上がり、2人を起こさないよう病室を出る。
薄暗く、今にも幽霊が出そうな雰囲気だが……微塵も怖さを感じない。むしろ、俯瞰的に現状を見ている気がする。
自分は今、病院にいる。
そのはずなのに、ここにいることがおかしいと感じてしまう。
「おかしくなっちゃったのかな、ウチ……」
誰に言うでもなく独り言ちり、窓の外を見る。
遠く離れた場所に、天へ向かって伸びる青い光が見えた。
横浜ダンジョンと、ダンジョン街の明かりは、夜になっても消えない。こうして、今も煌々と夜を照らしている。
ダンジョンの明かりに、どこか安心感を覚えた。
そして……直ぐにでもあそこに戻りたいという感覚に陥った。
何度も、何度も、何度も死を身近で感じたのにも関わらず……ダンジョンに、心の底から魅了されていた。
「ぁ……そうか、ウチ──」
「気付きましたか?」
「ッ……!」
声にならない悲鳴を上げ、振り返る。
そこにいたのはロングコートを身にまとっている、鬼さんだった。
一瞬幻覚かと思ったが、幻覚にしてはさすがにリアルすぎる。
足音。衣擦れ。呼吸。間違いなく、本物の鬼さんだ。
薄暗い中、いつもの優しい笑みを浮かべ、美空に紙パックのリンゴジュースを差し出してくる。
「……いつからここに?」
「部屋を去ってから、ずっといましたよ」
「不法侵入ですね」
「強いて言うなら、不法滞在が妥当かと」
「自分で言わないでください」
苦笑いを浮かべてジュースを受け取り、並んで窓の外を見る。
なんだか不思議だ。こうして、夜に鬼さんと並んでいるなんて。
「よく、病院の人にバレませんでしたね」
「気配と存在感を殺すのは、基礎中の基礎ですから」
「それは公安の?」
「……深雷さん、話したのですね。まったく、秘匿事項をぺらぺらと……今度、お仕置しなければいけませんね」
鬼さんのことが大好きらしいモチャからしたら、むしろ悦ぶのでは……と思ったが、モチャの尊厳のために黙っておいた。
「公安については、内緒でお願いします」
「わかってます。でも、ひとつ聞いていいですか?」
「……仕方ありません。ひとつだけですよ」
答えてくれなきゃ秘密をばらすと解釈してくれたらしい。
そんな脅しているつもりはないのだが、美空としては好都合だ。
「どうして、公安を辞めちゃったんですか? 公安の方が、お給料面ではいいと思うんですけど……」
「その事ですか。ええ、確かに給料の額面で見たら、10分の1に減りましたね」
「じゃあなんで……」
「大人になればわかります。社会のしがらみ。上下関係のしがらみ。出世のしがらみ。規則、規律、ルールのしがらみ……いろんなものに縛られ、がんじがらめになり、動きたい時に動けず、助けたいのに助けられない……それが嫌で、飛び出しちゃいました」
当時のことを思い出しているのか、遠く空をたゆたう月を見つめる。
今の鬼さんの言葉……多分、辞めた理由の本質だろう。けど何があったのかまでは、教えてくれないみたいだ。
「すみません、無理に聞いちゃって」
「いえ、大丈夫です」
鬼さんは缶コーヒーを開けて、口をつける。
しばらく、2人は無言でダンジョンを見つめ続けた。沈黙にも関わらず、嫌な感じはしない。むしろ、ずっとこのままでもいいと思えた。
けど、美空の脳裏にさっきのことが思い出された。
「そうだ。鬼さんは気付いていたんですね。……ウチが、ダンジョンに魅入られてることに」
美空が横目で鬼さんを見上げると、確信を持った顔で、頷く。
「ええ、まあ。あなたはこちら側ですから」
「こちら側?」
「私や深雷さんのように、今より深く強さを求める……同種です」
同種。その言葉が、スッと体に入ってくる。
多分、自分自身もそれは理解してるからだろう。死と隣り合わせの空間でしか、生を実感できないということに。
今までそんなことなかったのに……だいぶ、ダンジョンに毒されてるみたいだ。
「難儀な本心ですね」
「ははは。まあ、この扉を開けば後は簡単です。ただ、強さの沼に落ちていくだけですから」
「生き急いで、死んだら?」
「死んだ時に考えましょう」
「……やっぱり難儀です」
そっと嘆息し、「じゃあ」と鬼さんに提案した。
「ウチが死なないように、鬼さんが鍛えてくださいよ」
「お断りします」
「けち」
「けちで結構。仕事上の繋がりがある方と、プライベートは分ける性分なので」
知ってた、もちろん。
「ねえ、鬼さん。ウチ、このままでいいのか不安なんです」
「不安?」
「……ウチがダンジョンに魅入られてるのは、わかりました。抗いがたい真実です。でも……生を実感するためだけにダンジョンに潜ると、取り返しのつかないことになるような気がして……」
背中まで来ている死神に睨まれている。そんな感じがした。
こんな生活を、死ぬまでやれるだろうか。精神的に参ったりしないだろうか。
漠然とした不安と恐怖。
美空は震えを止めるように、自分の体に腕を回すと──
「大丈夫です」
──世界で1番安心できる人が、力強く頷いた。
「あなたは大丈夫です」
「……どうして、そう言えるんですか……?」
「私がいますから。……ずっと、見守っていますよ」
(──あ、やばい。どうしよう)
溢れてくる感情の波が、年齢差という防波堤を破壊しそうになる。
今、この場には2人だけ。邪魔する人はいない。
ダンジョンや街の明かりがロマンチックに瞬く。
喉奥に絡みつく唾液を飲み込み、溢れる感情のままに言葉を──
「ダンジョン警備員ですからね。攻略者の皆様が、安心して攻略するのを手助けするのが、私の仕事ですから」
──紡がなくてよかった。本当によかった。
真っ赤な顔を隠すように前髪をいじる。思わせぶりがすぎる、この人は。
「どうかしました?」
「し、知りません」
「……若い子の考えることは、わかりませんね」
年齢差ということもあるんだろうが、鬼さんは自分を子供扱いしてる節がある気がする。
まあ、今はいい。これで。この関係が、丁度いいのだ。
「さて、私は行きます。美空さん、おやすみなさい」
「……はい。おやすみなさい、鬼さん」
コートを翻し、薄暗い廊下を歩いていく鬼さん。
今は、この感情は抑える。
でも……ここで黙ってるほど、美空は大人ではない。
「鬼さんっ」
「はい?」
呼び止められた鬼さんは、少しだけこっちを振り向く。
あーもう。本当に……。
「これからも、末永くよろしくお願いしますっ」
本当に、子供でよかった。
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