第17話 「音無杏奈」と書いて「最悪の日」と読む

 最悪だ。こんな時にこんな場所でこいつらに合うなんて...


「この前は途中で終わっちまったから、その続きでもしようぜ。」

「触んないで!!」


 とっさに伸ばしてきた手を避けて、男たちがいる方とは逆向きに勢いよく走り出す。


「ちっ! 待ちやがれ。」


 静かな空間に4人の足音と男たちの怒号が響く。


「誰か……助けて……」


 ……反応がない。

 長い間、考え事に夢中となってしまったため、想像以上に繁華街から離れてしまい、周りに人の姿は見られない。


 こんなんじゃ助けを呼ぶこともできない......


  ……けれども、幸いなことに私には才栄学園のために鍛えていた走力がある。


 相手の男たちがそれほど早くないこともあって、距離を離すことはできずとも、詰められることもなさそうだ。


 ………でも、


「………ハァ……ハァ…ハァ」


 体力が持ちそうにない


 ……このままだと追いつかれるし、どっかに早く隠れなきゃ!!


 体感にして数分ほどではあるが、私の体は限界に近かった。

 声を出しても助けがすぐに来るわけでもなく、待とうとすれば男たちにつかまってしまう。


 ――こうなったら一か八か

 

 4人の足音だけが響きわたる住宅街を走り抜け、周りを見渡す。


 ……あそこなら。


~~~


「はぁ、はぁ、はぁ......」


 急いで目の前にあった公園に逃げ込み、近くの茂みをかき分けて身をひそめる。


 これで少しは時間を稼げそうだけど、肩で息をするくらいに体力が無くなっていて、もう走れないし、早く助けを呼ばないと。


「お~い。どこに居るのかな。さっさと出てき、。」


 遠くはないところから聞こえる男の声に恐怖しながらも震える指を動かし、ボタンを打つ。


 早く......誰かに......


 震える指ではまともにボタンを押すこともできず、挙句の果てにはスマホを落としてしまう。

 

 やばい、早く取らないと!!


 人間とは急いでいる時にこそ大切なものを見逃しやすく、運命とは時に残酷なのだと思ってしまう。


 ……そう思わなきゃ、今のこの状況を受け止められなかった。


「見~つけた。」

「…あっ!」


 私の落としたスマホは最悪なことに追いかけてきた男たちの内1人の足に当たってしまった。


 嘘!? 何でこんな時に限ってこんなにうまくいかないんだ!! 長くは時間を稼げないとは思ってたけど.......まじで、こんなことで.......


「こんなところに居やがったのか、手間取らせやがって。」

「じゃ、その分しっかりお礼もしてもらわねぇとな!!」


 ……本当に、最悪だ。


 もう逃げられる体力もないし......結局、何もできなかったな ......


「じゃ、いただきま...」


 ――いや、まだだ!!


「…ッ!!」

「おいッ、待て!!」


 まだだ!!  まだだ!!  まだ!!


「……誰か……助けて!!」


 心の底からの叫びとともに鉛のように重くなった体を動かす。


 ハァ...ハァ...やっぱりきついな......でも、


 諦めたくない!!


 これまでしたことがない初めての挫折を知り、自分らしさを捨てて


 そして、出来上がった私には何もなく。けれども、楽しい日々があった。

 充実感はないけど、幸せな日々があった。


 それでも、私にはやっぱりこっちは似合わないと思ってしまった。


 諦める恐怖。

 失敗する恐怖。

 負ける恐怖。


 そんな恐怖を知ってしまったからこそ。

 もう2度とそんな思いをしないように......


「あっ......」


 必死の逃走も虚しく、行き着いた先は周りを木々に囲まれた袋小路であった…

 周りの木々を見渡しても、光一つ見つけられないほどに生い茂っていて夜の樹海や森を思わせるような光景がそこには広がっていた。


「ハァ......追いついたぞ、女。」

「本当に手こずずらせやがって...」

「…ハァ、…ハァ……本当に、最悪......」


 …………………やっぱり。

 今のこの状況はあの時と同じだ。


 頑張って積み上げた努力が、頑張って磨き上げた技術が、昔から求め憧れてきた夢が......

 たった1つの『運の悪さ』で消え去ったあの日

 

 普通の日常に憧れて、自分の好きなこと、自分のやりたいこと、自分自身を必死に否定しようとしても......

 2度起きた『運の悪さ』によって夢を諦めて手に入れた平穏が崩れ去ってしまおうとしている今も


 「自分から人気のないところに行ってくれるなんて手間が省けたな。もうここからは逃げられないぜ。」


 ……結局、どれだけ努力をしても、運の良し悪しで簡単に結果など変わってしまう。


 「ここからの助けを期待するなんて無駄なんだからもう手間かけさせんなよ。」


 ……努力は運に勝つことなどできないのだとわかってしまった。


 「それじゃ、今度こそ......」


 …………それでも、


「待て!!」


 ……えっ。


「‥‥おい、テメェ!!」

「いいところだってんのに、しゃしゃり出てんじゃねーよ!!」

「てめぇ何でここに居る!!」


 恐怖に目をつぶっていてわからないが、一瞬にして男たちの様子が変わった。


 無いとはわかっていても考えてしまう。

 前もこんな絶望的な状況に、心のどこかで諦めていたとき、そんなときにあいつは...,,,,,,


 恐怖と一抹の希望を抱きながら目を開けると、そこには先ほどまで一緒にいたあいつの姿があった。


「何であんたがここにいんの!!」


◇◇◇


 さっきのことを謝ろうと思ってすぐ追いかけてきたが、しばらくしても見つからず。今日は帰ることにした。


「……一体どうしたんだろうな、音無さん?」


 日課のランニングをやりながらも放課後の出来事が忘れられず、集中できずにいた。そんな時だった。


「……誰か……助けて......」


 今のは音無さんの声!?


 ……とりあえず、早く行かないと。


 声の聞こえた方へと駆けていき、音無さんを見つけ、今に至るわけだが......


「何であんたがここにいんの!!」

「逆に、何でまた絡まれているんですか!!」


 なんて言える雰囲気でもなく、彼女の前に立ち、ただ一言。


「たまたまですよ。」

「しゃしゃり出てくんな、ガキが!!」

「テメェ、女の前だからって調子こいてんじゃねぇぞ!!」

「頭沸いてんのか!!」


 お~、今は気にしている場合ではないけれど……ひどすぎでしょ!!


 邪魔なタイミングで現れた僕にイライラしているのであろう。額からは血管が浮き出て、先ほどよりも威圧感を増してこちらへ近づいてくる。


「この前は人が来ちまって邪魔されたが。今回もそううまく行くと思うなよ。」

「この女のついでにお前にもしっかりとお返ししてやらないとな。」


 彼らの言葉を聞き、落ち着くために深呼吸をして再度、覚悟を決める。


「ここから去ってください!! 」

「なんでお前に指図されなきゃ行けねぇんだよ!!」

「ッ..,..このままここにいるのでしたら、警察を呼びますよ!!」

「呼びたきゃ呼べよ!! 呼んだ瞬間お前はとりあえずフルボッコだけどな。」


 まじか、こいつら。漫画では警察を呼ぶと脅しておけば逃げてってくれてたんだけど......


「とりあえず死ねや!!」

「うおっ!!」


 業を煮やしたのか、彼らのうちの一人が僕の腹目がけて蹴りを入れようとしたが、寸分のところでかわすことができた。


 ッ危ねぇー!! 避けなかったら、モロで入ってたじゃないか。でも、このくらいなら.....


「チッ、避けやがったか。マジ、うぜぇなぁ。さっさとやられとけや!」

「面倒だし、さっさと片付けようぜ」。」

「メインディッシュも早く食いたいしな。」

「避けてんじゃねぞ、ガキ!!」


 攻撃を避けたことで残りの2人も加わり、1対3と圧倒的に不利な状況で一瞬にして防戦一方となった。が、......


「くそッ!! どうなってやがる!!」

「全然当たんねえじゃねぇか!!」

「ちょこまかと動きやがって!!」


 あらゆる方向からの攻撃をいなして、かわして、一種の舞のようなその動きに自分でもびっくりした。

 

 さっきまで走っていて体が温まってるのもあるが..........『彼』のおかげか。


 ……けれども、こっちの体力も限界に近いし、やるなら、今しかない!!


 段々と彼らの動きにキレがなくなり、疲労が溜まって動きが止まった瞬間。


「キェェェェェ!!」


 恥じらいを捨て去り、奇声をあげ、そのままの勢いで前傾になる。そして、腕を後ろに持っていき、鳥が羽ばたく際の大きな翼のように腕を広げ、もう一度叫ぶ。


「キェェェェェ!!」


 この瞬間だけは、今までの騒がしさがどこへ消えてしまったのかと思うほどに夜の公園本来の静寂さを取り戻していた。

 そして、その刹那、僕以外の誰もがポカンとしている中。僕は後ろで呆然としている音無さんを背負い、この場から走り去った。


「………」

「………」

「………」

「……おい、あいつら逃げてないか?」

「…….あーそうだな。」

「…って!!早く行くぞ、お前ら!!」


 不思議な光景に思考を止めていた男たちも十数秒後には現実の状況を理解し、逃げた僕らを追いかてきた。

 けれども、反応するまでに時間を要したようで僕らとの間は大きく開いていた。それに....


「うおっ!!」

「おい、どうしっ、たぁぁぁー!?」

「お前らこっちにくるんじゃねー!!」


 後ろの方で聞こえた叫び声と共に先ほどまで近づいてきていた足音はさらに遠くなっていき、公園を抜けた頃には完全に消えていた、

 そのまましばらく走っていたが、大通りに出ようとしたところで背中kら引っ張られ、音無さんを背に乗せたままだったことに気づいた。


 急いで彼女を背中から下ろしたが、反応はなく、すっと俯いたままでいる

 彼女の様子も気になりはするが、今は何よりも......


  ……に、逃げられた!! 足と体力には多少自信はあったが、人を背負って走ることなんて無かったから逃げ切れて本当に良かった。


「ねぇ...」


 逃れられた安堵から一呼吸を入れようとしたところで震える声を押し殺して彼女が声を出す。


「何で、あんたは私を助けてくれるの?」




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