第15話 「音無杏奈」と書いて「過去」と読む①

 陽は沈み、店の明かりと喧騒に包まれた繁華街を歩いていく。


 誰一人として私を見ず、私自身も周りを見なかった。


 目に入るものすべてを風景としてでしか見ず、それら一つ一つの本質を見ようとしなかった。


 そんな私には、どれだけの自分自身が見れたのだろうか。


「どうしてこうなったんだろう......」


◆◆◆


 私は音楽が好きだった。


 それこそ、物心付いた時にはもうすでに音楽に興味があって、四六時中、音楽と一緒にいるような生活を送っていたくらいには好きだった。


 心躍らすギターの音。

 身体の奥底にまで響く太鼓の音。

 心身ともに魅了するピアノの音。


 その中でも私はバイオリンの音が一番好きだった。


 今となっては何がきっかけで好きになったのかは覚えていないし、本当に好きだったのかと聞かれたら首をしっかり縦に振れるかはわからない。


 ……強いて言うなら、母親が指揮者で父親も学生の時には吹奏楽部に所属していた音楽経験者という音楽好き一家の一員だったから、その環境か、遺伝かで好きになっていったんだと思う。


 まぁ、ここ最近まで続けてきていたのだから、少なくとも嫌いなものであったということはないと思う。


 小学生の時は学校に行って友達と話したり、休み時間になったら外で鬼ごっこやかくれんぼをしたりする程度には普通の小学生だったと思う。

 それでも、放課後は友達とほとんど遊ばず、すぐ家に帰って一人でバイオリンを弾いていたから、ちょっとは変だったのかもしれない。


 そんな日々に不満はなかったし、時々ではあるが、母親も練習を見てくれて、いっしょに演奏もできた。

 そんな私にとっての日常に満足はしていたからそれはそれで良かったんだと思う。


 そんな日々を過ごしていく内にバイオリンの技術は向上していき、コンクールでも次第に賞が取れるようになっていた。


 そして、中学へ上がる頃になると、全国大会レベルのコンクールにも出場していた。


 この頃からだろうか、自分のバイオリンに対する楽しいという純粋な気持ちがトップを目指したいという上昇志向に変わってきたのは......


 そんな私にとってはこの世のありとあらゆる分野のトップたちが集まる才栄学園という場所に心を奪われていたのは言うまでもない


 母親もそんな私の気持ちに気づいたのか、練習に熱がこもるようになった。

 そして、練習を見に来る回数は日に日に増え、最終的にはマンツーマンの指導が毎日行われるようになった。

 

 そのために、中学時代も小学校の時以上に友達と遊ぶことを減らし、母親との厳しい練習も乗り越えてきた。

 そんな自分に甘えなど許さず勉強や運動に関しても頑張っていた。


 ……しかし、そんな頑張りも一瞬の出来事で水の泡となった。


 その日は前日にバイオリンの発表会があり、夜遅くに家へ帰ってからも、あと2週間に迫った受験のために勉強をしていて眠い眼をこすりながら登校していた。


「今日は古典のテストと英語の発表か。帰ったら少し運動もして……結構やることあるな。」


 いつもみたく、やることの多さに負けないよう、気合を入れていた時だった。


「よし、頑張るか!! あとそれから……」


 ゴンッ!


 取り切れてない眠気のせいか、考え事に集中しすぎたせいか、横から来ていた自転車に気づくのが一瞬遅れ、ぶつかっていた。


「ッ、待て。」


 自転車の持ち主はすぐにその場から逃げていき、追いかけようと左手に力を入れ立とうとしたときに初めて気づいた。


「痛ッ」


 転んだ拍子についた左手の場所が悪かったのか指を痛めてしまったみたいであった。


 その後、学校には行ったけど、あまりの違和感に結局早退して病院へ向かうこととなった。

 そこで............


「指の骨折ですね。1か月間安静にしていれば、何も問題がないと思います。」


 医者からのその言葉はあの時の私にとっては死の宣告に近いものであった。


 ――結局、その日は何もできなかった。それこそ、息もしっかりと出来ていたのかもわからない程に。


 だからといって、才栄学園の入学を諦めるという選択肢はなかったし、受験する当日まではできるだけのことをやるようにしていた


 ――心の中に一握りの絶望感を抱きながら............。


◇◇◇


「不合格.........。」


 家に届いた才栄学園からの合否通知書。

 そこに書かれていたその3文字が頭から離れなかった。


 試験当日、心の準備は万全にできていた。

 でも、身体の方はまだ本調子じゃなかったのだ。


 一次試験ではこれまでの頑張りもあったから余裕とまではいかないものの通過することができた。

 そして、二次試験である才能試験ではバイオリンの演奏を行った。


 でも、万全でない私の指では思った通りに動かすこともままならず、何度もミスを繰り返した。

 演奏が終わった後には前を向くこともできず、教師陣の反応の悪さだけが鮮明に残ってる


 ……多分だけどこれが理由で不合格という結果になったんだと思う。


 あの時、周りをもっと気にしていれば......

 あの時、家をもっと早く出ていれば......

 あの時、ミスをカバーできるだけの技術があれば......

 あの時、才栄学園に興味を持たなければ............

 あの時、あの時、あの時............


 ……過去への後悔だけが頭の中を埋め尽くし、そんなことを考える自分が嫌になっていった。


 そして、その後も最悪だった。


 不合格を知った母親とは今まで一度もなかった口喧嘩が起こるようになった。


 ――もし受かっていたらな......

 ――何で落ちちゃったのかな......


 母親の口からこぼれ出たそんな言葉にやさぐれていた私は突っかかり、口論がまた始まる。


 そんな日々が毎日続き、次第に互いが互いを避けて生活をするようになっていった、


 そして、不合格による喪失感から、今まで頑張ってきたすべてのことが無意味に感じるようになっていた。

 それこそ、毎日続けてきたバイオリンの練習だけでなく、音楽に関わろうとすることすらなくなった。


 私の手のけがは完全に治っていたし、才栄学園に行けるチャンスはまだ何度もあることは知っていた。


 それでもバイオリンをすることができなったのだ。


 いや、できなかったというよりも、しようとする気力がなくなっていたという方ウが正しいのかもしれない。

 それほどまでに不合格という言葉は私にとって重く壊せない枷となっていた。


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