12.思えば昔からお転婆だった

 放課後を待って殿下のご学友に会いに行くことにしたわたくしは、ひとり校舎内を歩いていました。


 話をするといっても、もちろん約束など取り付けていないので、まずは彼らのいる場所を探さなければなりません。


(確か普段殿下のいちばん近くに控えている方は、授業後にはよくお仲間と集まって乗馬に興じていらっしゃるようだとティータイムのお喋りで聞いたことがあります。

どうせ話すなら中心的な人物を捕まえた方が早いでしょうし、まずはそこへ向かいましょう。)


 さて、校舎から馬場へ行く道は単純ですが、回り道になっており、少しばかり距離があります。


(今日はこのあと図書館にも行かなくてはいけませんからね。わざわざエントランスまで回るのも面倒です。善は急げと言いますし、近道をしましょうか……えいっ。)


 辺りに人目がないことを確認したわたくしは、手近な窓の枠に手を添え、足を掛けると、そのままグッと力を入れて飛び越えました。

 校舎の外に危なげなく着地し、ぱたぱたと埃を払います。


 アクミナータ侯爵邸のように側に使用人が控えていれば怒られてしまうところですが、学園では侍女や従者の随行は禁止されているため、咎める者はありません。

 不便に感じることはあるものの、こういうときにはとても都合が良いのでした。


(着替えを手伝う使用人がいないせいですけれど、学園の制服はドレスよりよほど動きやすいカジュアルなデザインなのもありがたいですわね。)


 飛び越えた先、草がまばらに生えた地面を踏みしめれば、久々に探検でもするかのようにウキウキとした気持ちが湧いてきます。


 こういった行動は、普通の令嬢なら「はしたない、汚れが、虫が」と顔をしかめるでしょう。

 けれど前世は土から生まれ、土に還る植物であった身からすれば、多少土で汚れるくらい何ともありませんし、大抵の虫──かつての天敵、バナナゾウムシでも出てくれば話は別ですが──も気になりません。


 まあ、さすがにこの姿を人に見られては不味いので、校舎の窓を警戒しつつ足音を忍ばせ、ときに姿勢を低くしながら、最短ルートで馬場に直通の通路を目指しました。


(あとはこの隙間を抜けるだけですわね……あら?)


 校舎の西側、一番端。微かに声が漏れ聞こえるその部屋から、「ジェフリー」「コンチュ」という耳慣れた単語が聞こえた気がしました。


(この部屋は確か、王国史資料室。中にいるのは……。)


 書物の多い資料室の窓は小さく、少し高い場所にあるため、標準的な女生徒としての身長しかないわたくしは必死に背伸びをして覗くしかありません。


(うっ……ぐっ……、負けませんわよ……!)


 煉瓦の崩れた部分に足を掛け、ぷるぷると悲鳴を上げる筋肉に鞭打って、限界まで体を伸ばします。


 令嬢の体には厳しい体勢ですが、なぜかこれを聞き逃してはいけないような気がしたのです。

 胸騒ぎ、とでも言いましょうか。

 とにかくこの機会を逃すなと、わたくしの勘がそう言っていました。


(ふんっ……!バナナ由来の粘り強さと丈夫さを、甘く見ないでいただけますか……!中でもキャベンディッシュバナナは、国際的な輸送にも耐えられるくらいっ、に、たくましいんですのよ……!)


 そうして何とか覗いてみると、部屋の中には二人の男性がいるようでした。


 両人とも見知った顔でしたので、片方は王国史の教師、もう片方は殿下のご学友の一人だとすぐに分かります。


(あの男子生徒は、確か……フラン様?ショーン伯爵家のご令息で、幼少の頃から友人として殿下のお側にいる、有力な側近候補ですわ。物静かであまり目立たない方ですから、わたくしも会話らしい会話をしたことはありませんが……。

王国史の先生が資料室にいることは不思議でないけれど、彼はなぜここに?)


 彼らに見つからないよう窓から顔を引っ込めて、わたくしはじっと耳を澄ませました。


 この位置からなら姿は見えずとも、ボソボソと話す彼らの会話を辛うじて聞き取ることができます。


「ほほう、もうそこまで関係を深めたか。」

「ええ、あっという間でしたでしょう?」


(これは何のお話でしょうか?関係を深めた、ということはもしかして……。)


「ふむ……。邪魔の入りにくい学園内とはいえ、随分と手際が良いことだな。」

「お褒めに預かり光栄です。しかし、私めはコンチュ様に少々助言をしただけでございます。あの殿下は女性の好みも何もかもが分かりやすく、扱いやすいお方なのですよ。」


(やはりジェフリー殿下とコンチュ様のお話ですか。けれど……助言とは一体どういうことですの?)


「少々、か。王子殿下の好みを懇切丁寧に教え込んで演じさせ、目論見通り骨抜きにして見せたのは中々の手腕だと思うがね。」

「勿体なきお言葉。それもこれも、全ては目障りな革新派どもを排除して、我々のような古くからの高位貴族の手に権威を取り戻さんがためでございます。………ともかく、これで目処は立ちました。先生、約束通りご協力いただけますね?」


 フラン様の問いかけのあと、少しの間がありました。


「……いいだろう。私も君を全面的にサポートしていくことに決めるとしよう。」

「ありがとうございます。先生のご協力があれば、この計画は必ずや成功を収めることでしょう。」


(計画……?)


「ひとつ懸念があるとすれば、現婚約者のキャスリン・アクミナータだが……。」

「ああ、確かに殿下にあれこれ進言しようと試みているのは目障りですが、しょせん取るに足らない脇役でございます。気にする程の価値はありません。もはやが何を言っても、殿下に聞き入れられることはないでしょう。何せ、幼少の頃から私たちがそう仕向けたのですから。」


(……は?)


 わたくしの幻聴でなければ、今、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がしました。


「ふむ、殿下に考えを持っていただけるよう、君たち側近候補が幼い頃から誘導してきたのだったか。」

「ええ。そのかいあって早い段階からを信用せず遠ざけておられますし、コンチュ様の働きでさらに仲を拗れさせることにも成功しております。機が熟せば完全に排除することも叶いましょう。ご心配なく、万事順調にございます。」


(誘導?排除?まさか、そんな。)


「なるほど。優秀な君のことだ、抜かりは無いのだろう。あの忌々しい家にこれ以上力を持たれては面倒だからな。

未来の国王に見向きもされず、冷遇されているとなれば評判も下がり、徐々に力を失っていくに違いない。」

「仰るとおりでございます、先生。それに乗じて婚約者をコンチュ様にすげ替えられれば、我らの影響力も増しましょう。」



(……わたくしには何もかもが、初耳ですわ……。)



 衝撃で立ちすくむわたくしをよそに、その後も暫くおぞましい会話は続きました。



「……では今後のことはまた改めて話すとしよう。私は学園長に呼ばれている故、これで失礼するよ。君も適当に時間を空けて出ていくと良い。鍵は預けておくから、後ほど教員室に返しておきたまえ。」



 そうしてドアの閉まる音が響き、やがて足音が聞こえなくなった頃。



「……ふん、他人の勝ち馬に乗ることしか頭にない低能が偉そうに。まあ良い、このまま古参派と革新派の対立を利用してキャスリン・アクミナータを追い落とし、操りやすいコンチュ・エレファンスを新たな婚約者に据えれば、王子共々僕の言いなりだ。

それはつまり、いずれこの僕が国の全権を手にすることと等しいのだからな。

やっとここまで来たんだ……時が来たら貴様ら全員、この僕にひれ伏すがいい!」


 カッ、カッ。


 高揚したような声とともに、今度は彼の足音が窓際に近づいてくるのが分かります。


(!まずい……!?)


 わたくしは身を固くしましたが、その音はこちらを視認できる範囲に到達する、わずか手前で止まりました。



「この窓から見える景色、外の世界……全てが僕の物になるのだ!……ククッ、フッハハハ!」



 これは酷すぎる、とシンプルにそう思いました。


 前世でだって、こんなに醜悪な笑い声を聞いたことはありません。



 かと思うと、突然スンッと正気に戻ったかのようにその笑いをピタリと引っ込めるフラン様。


「……おっと、少しはしゃぎすぎてしまったな。僕の悪い癖だ。……ここからは特に油断は禁物、慎重に事を運ばねば。でなければせっかく目立たずに他人を唆して事を進めてきた苦労が水の泡だからな。」


(普段地味な生徒を装って抑え込んでいる分、気持ちが昂ったときとの制御が効きにくいのでしょうか?)


 すぐ側でわたくしに情緒を不気味がられているなどとは知らないフラン様は、ひとしきり本音をぶちまけたことで満足したのか、悠々とした足取りで部屋を出て行きました。



 わたくしはその足音が遠ざかるまで、ただ息を殺して壁に張り付いていたのです。


 心臓はずっと、早鐘のように鳴っていました。

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