第20話 初対面

「いらっしゃい。もう大学始まったの?」

 そして、変わったことがあるあの一緒に出かけた日以来桜夢が着替えていることがなくなった。点滴をぶら下げていることも増えた。

「まだ始まったばかりだけど。」

「そっか。夏は楽しかったね。満喫しすぎたぐらい。」

「そうだね。すぐに冬になって一年も早いな。」

「一年早く感じると年取ったってことだって。前になんかで言ってた。」

「誰がおじさんだ?」

「そこまで言ってないじゃん。」

 扉をガラガラと開くと入ってきたのは見知らぬ二人。

「桜夢。なし持って来たけど食べ―あっ。」

 立ち上がって軽く会釈をする。

「お母さん。こちら森下桜翔さん。桜翔くん、私のお母さんとお父さん。」

 間を取り繕って紹介してもらって背筋が伸びる。

「初めまして。桜夢さんの友達の森下です。」

「どうも。桜夢の母です。」

「父です。」

 にこやかに挨拶はしているものの目の奥は笑っていなくて、桜夢とは全く違う気の強さを感じる人だ。

「僕、この辺で失礼するよ。」

「来たばかりじゃん。」

「いや、でも家族との時間を邪魔するわけにいかないよ。」

 ただ、この気まずい空気から逃げたいだけだ。部屋から逃げるように出て行くと後ろから低めの声で呼び止められた。

「森下くん。ちょっと時間いいかな。」

 ベンチに腰掛けていると目の前に缶コーヒーを差し出された。

「コーヒーでよかったかな?」

「はい。ありがとうございます。」

 さっき会ったばかりの桜夢の父が少し間隔を空けて座る。

「いつから桜夢と会うようになったんだ?」

 低めのその声に身構える。

「四月に初めて会って、そのあとからぼちぼちと会うようになりました。」

「事情は聞いたのか?桜夢から。」

 その問いかけに僕は目覚めた。ここに入院している何一つとして事情は知らない。いや、気になっていたけれど見て見ぬふりをしてここまできた。ただただ、ここに来ることを楽しみとしていてそこにだけ目を向けていた。

「いえ、本人からは何も聞いていません。」

 僕の答えに悲しさと呆れたような顔をした。

「そうか。娘から君の存在は聞いていたよ。口酸っぱく事情は話すなと話すときになったら自分から話すと言っていたから僕の口から言うことはできないが、そうかまだ言ってないのか。」

 僕のなかでどんどん蓋をしていた疑問が湧き出てくる。初めは会ったばかりだからという理由で私情を聞くまでいかなかったが、会う回数がますごとに楽しさだけに目を向けて本人が話してくれるだろうとどこかで安心しきっていたのかもしれない。そうしているうちに僕は完全にタイミングを見失っていた。

 誰もいない廊下に桜夢の父が缶コーヒーを開ける音だけが響く。

「ここにいたの。」

 奥から歩いてきたのは桜夢の母で、それを見た瞬間立ち上がり軽くお辞儀をする。

「桜夢は?」

「もう寝たわ。あなたが森下さんだったのね。」

 はいと返事をすれば僕の前に立って言った。

「もう、会わないでいただけますか?」

 次の瞬間、僕の頭が真っ白になった。

「母さん、やめなさい。何も事情は聞かされていないみたいだから彼は何も悪くないだろ。」

「あなたから見ればあの子は我慢を強いられて、不自由な子に見えるかもしれない。でも、親としてはそれでいいの。安静にして、少しでも長く生きていてくれればいいの。だから、もう関わらないで。連れ出さないで。お願いだから。」

 頭を下げながら涙ぐむ姿を見て複雑な気持ちになる。何も事情を知らない僕が何かできるわけでも今すぐにここでその願いを承認することもできない。

「僕は本当に何も事情を知りません。もし、気に障ることをしてしまったなら本当に申し訳ないです。ただ、本人の気持ちを無視してお願いを受け入れることはできません。」

 出口に向かって歩く。少々気分が重いが僕のなかで薄々感じていたものが少しずつ濃くなった気がした瞬間だった。

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