第14話 夏の始まり

 梅雨明けも宣言され、あれだけ続いた重い空も青空が広がるようになり日差しも強い日が続いた。ついに今年も折り返しの地点となった。

 試験勉強に課題にバイトでなんだかんだ忙しい時間を過ごしていた。不思議なことに忙しいからこそ時間もあっという間に進んでいき気がつけば約束した花火大会も目前になっていた。

「はい。手を止めて。回収終わるまで席立たないでください。」

 前期最後の試験も終了。解答用紙は回収され、枚数の確認が終われば席を立ってもいいとい言う指示が出る。今日で試験期間最終日ということもあって周りは夏休みの旅行やレジャーなどの話で盛り上がっている。そんな周囲をよそに大学を出て最寄り駅に向かう。

 あんなに降り慣れていなかった駅も今となっては何の違和感もなくなり、見慣れた物になった。駅には花火を見に来たであろう人達でいつも以上に賑わっていた。

 ノックをすればいつもと同じ返事が返ってきて、扉を開ける。その先には浴衣姿の桜夢がいた。ここ一ヶ月近く何かと忙しくて訪れていなかったけれど以前に会ったときよりさらに痩せたというかやつれた気がする。浴衣の袖から見える手首も前より骨張っているように見える。でも、それ以上に普段は見ない姿が印象的だ。

「どう―かな?」

 白地に桜色の花があしらわれ、いつもは下ろされていた髪も今日はお団子ヘアでいつもより大人っぽく見える姿にちょっとだけ普段見ない姿にドキッとする。

「よく、似合ってると思うよ。」

「ドキドキした?人生で初めて男の子振り向かせちゃったかな。」

 いたずらっぽく笑うその姿を見て中身は自分と同じ歳の女の子なんだなと安心する。

「これ、名前聞いたときに五月生まれだって言ってたから。渡しそびれたので、ちょっと遅いけど誕生日プレゼント。」

 差し出された紙袋。中には丁寧にラッピングされリボンがかかった箱。中身は木目調の丸いアナログの置き時計。

「何が欲しいかわからなくて、使うかわからないけど。」

 初めて会った日。実は大学の健康診断に寝坊したからそれを自分の口から言ってしまってもう寝坊するなって意味合いで時計なのかとひやりとしたけれど、そんな意味ではなさそうでひとまず安心した。でも、あの日寝坊しなければこの出会いもなかったし、今目の前で生き生きしている桜夢の姿もこんな些細なことでも僕が誰かの力になれていると実感することもなかったのかと思うと寝坊したことも僕にとっては案外いいことだったのかもしれない。

「ありがとう。大切に使うよ。」

「そう。よかった。それより見て。白地にしたから普段と変わらないかな?」

「いや、そんなことないよ。和服ってだけで印象結構変わる。」

 イメージにぴったりの浴衣。あとにも先にも今日しか見られないかもしれないこの姿がいつも以上に儚く見えて、桜夢と言う名前がここまで似合う人はいない。そう感じた。そしてなにより少しドキッと胸が高鳴る自分がいた。

「浴衣着るの初めてだし、すごいテンション上がる。浴衣に花火。横には桜翔くん。これは夏のいい思い出だね。もう十分満喫したなぁ。」

「まだ夏は長いよ。」

「まあ、そうだけどさ。最初にこれだけ詰め込まれたらあとのハードル上がっちゃうでしょ。」

 花火に浴衣はもはや夏の定番。小学生なら確実に絵日記に困らない一日。

「これでこのリストもどんどん達成できてるね。」

 箇条書きされたやりたいことリストは最初に比べて赤線が増えていて、それと同時に新しい項目までもが増えていた。

 桜夢と初めて会った日から三ヶ月ほどが経った。長かった冬が明けてようやく暖かい春の風が訪れたのと同時に僕の前に現れた桜夢。不思議だった。僕とは違っていつもにこやかで自由で羨ましい。白に囲まれた世界がどんどん色づいていく瞬間を僕は目の当たりにしている。今日もその一日になる。

「行こう。」

 手を引いて行こうとするけれど、まだ解決してないことが山ほどある。

「行こうってどこへ。」

「せっかく着たから見せびらかしたくてうずうずしちゃうの。」

 行こうと手を引いて外のベンチまで行く。いきなり捕まれたその手に鼓動が早まっていくのが自分でもわかる。全身が心臓になったみたいだ。その道中でいろんな人に微笑ましく見られた。それは僕たちが恋人同士に見えたのか。桜夢の浴衣姿が綺麗だったからなのかわからないけれど、後者であってほしいなと願った。こんなにも輝いている姿を生き生きとしている姿を一人でも多くの人に見ていて欲しいけれど、独り占めしたくて、友達の僕にだけ見せるものであって欲しいとも思う。

 自動ドアをくぐれば夏の暑い熱気が僕らと包み込む。日も傾き昼間よりも日差しは優しくなったものの暑いことには変わらずで、じっとしているだけでも汗が噴き出る。

「暑いからやっぱり中で見ようよ。」

「浴衣ってこんなに暑いのか。夏に着るのだから涼しいのかと思ったけど、現実そう甘くないね。ねぇ。会場の近くって屋台あるかな。これでりんご飴買ってきてくれる?一番美味しそうなのがいいな。」

 手のひらに置かれた五〇〇円玉一枚。一瞬感じた金属の冷たい感覚も夏の暑さと僕の体温で消え去った。

「行かないの?」

「外出の許可もらってないし、それにこんな花火大会の日にさすがにもらえない。だから一緒には行けないけど、これで好きな物買ってきていいよ。」

 さらにもう一枚、五〇〇円玉を渡される。

「いらないよ。自分のお金で買ってくるから。」

「一緒には行けないから申し訳ないってことだから、これは私が桜翔くんにデリバリーしてもらうという列記とした労働!だから、受け取って。」

 半ば強引に受け取って、背中をとんと押される。

「いつものところで待ってるから。」

「わかった。いってきます。」

 別に家出もないのにいってきますとか変だなって思うけれど、それでもよかった。だって、ここに来れば待ってくれている人がいるのだから。

 影も伸び始めて、ジリジリと照りつける嫌な太陽もいなくなったのに暑いという意地悪。

 会場が近くなるに連れて人も増え、賑やかな音も近づいてくる。通りに並んだ屋台はいかにも祭りっぽくて、浴衣や甚平姿で歩く人も大勢いて僕のセットアップが逆に甚平っぽく見える。

 りんご飴の屋台に行けば夏の夕方近くの日差しに照らされてキラキラと輝いている。並んでいるなかで一番輝いて見えたりんご飴を選び、もらった五〇〇円できっちりと支払い済ませて頼み事は完了。まだ、横にズラッと立ち並ぶ屋台は明かりをつけ始めるところも出てきて、影もあっという間に伸びきってしまっていた。

 自分にはラムネを買って、一つのりんご飴と一緒に持ち来た道を辿る。会場とは真逆の方向へどんどん進んでいく。

「はい。これりんご飴。ちょっと溶けちゃったけど。」

「ありがとう。思ってたより大きいね。」

 暑さのせいか被せてあったビニールの袋に溶けた飴がくっついて夏のすごさを思い知る。

 袋から取り出されたりんご飴はお店で見たときよりちょっといびつになってしまったけど、それでも丸いフォルムに纏われた真っ赤な飴はガラス細工のよう。

 僕が買ってきたサイダーもあっという間に汗をかき、水滴が瓶の周りを覆っていた。

「甘くていい匂い。りんご飴に浴衣に花火かぁ。いいね。定番って感じがする。桜翔くんはラムネ?」

「うん。でも、失敗したなって思って。明けてこぼしたら大変だし。」

「あそこに洗面台あるからそこで開けなよ。」

 室内に設置された洗面台。ここで開けるのもどうかと思うけどこぼしてベタベタにするよりずっといい。

 瓶のキャップに巻かれたビニールを剥がし、栓を開けるために構える。ぐっと力を込めてビー玉を押し込めば炭酸がシュワシュワと出てくる。

「なんだ。思ったより大人しかった。飲む人に似たのかな?」

 窓辺に並べられた椅子に座って窓から微かな熱気をラムネ片手に感じる。横には浴衣でりんご飴を食べる姿。そして今から花火を見ようとしている。絵に描いたような夏。

「本当は勝手にこんなの食べるなんてダメなんだけどね。でも、食べたい気分なの。今は少しだけ反抗したい気分。」

「ダメだったの。それ僕怒られたりしないよね。」

「その驚いた顔が見たかったの。初めて会ったときより変わったね。表情が出るようになったと言うか、よく笑うようになった。もっと無愛想だったのに。」

「無愛想で悪かったな。」

「でも、それがよかった。私に興味なさそうな感じがよかったの。私と言うか誰にも興味がなさそうところ。」

「それって褒め言葉?」

 薄ら笑いを浮かべて問いただす。

「褒め言葉ではないかも。でも、興味なさそうだからいいなと思ったのは本当。だって、私の周りって事情知ってる人しかいないの。知ってしまったらみんな私を哀れだなって目で見る。それが嫌だった。特別扱いなんてして欲しくないし、腫れ物に触るみたいなそんなの嫌だった。だから、私のことを全く知らなくて、他人に興味がなさそうな人だったら私を一人の人間として見てくれると思った。そこに現れたのが桜翔くん。君だったの。無理に聞いたりしなさそうで、だから勇気を揺り絞って言った。今は正解だと思っているよ。」

 僕が人生で初めて寝坊した日のことだ。これで僕のなかであれだけ考え込んでいた問題が解決した。

「じゃあ、僕が寝坊して正解だったね。実はあの日、大学で受けるはずだった健康診断の日に寝坊したからここに来た。人生初の寝坊がこんなことになるなんてあのときは思わなかったけど。」

「時計あげたの丁度よかった。もうこれで寝坊することはないね。」

 すっかり日も暮れて少しずつ夜が始まる。適度な温度に保たれた室内はどんどん暗くなっていく。明かりを点けたいぐらいだ。

「勝手にりんご飴なんて食べて反抗的だなぁ。私も。ねぇ、それひと口飲んでみたい。」

 指さされた先にはぬるくなってしまったラムネ。もう底から一センチほどしか入っていない。水滴で水浸しになっている。

「いいけど、いいの?」

「なにが?」

「その、飲みさしもう冷たくないから。」

「いいよ。ちょうだい。」

 全部あげるよと瓶を渡せばありがとうと受け取り、残り少ないラムネを飲み干して顔をしかめる。

「口の中がすごいことになってる。」

 口の中で弾ける泡の感触に驚く様子がおもしろい。

「もうなんで笑ってるの。」

「だって、炭酸飲んでその反応ってなんかおもしろいなって。」

「仕方ないでしょ。初めて炭酸飲んだんだから。」

 初々しくて楽しそうな姿にこっちまで釣られて楽しくなる。

「もうすぐだね。あと五分ぐらいかな。まだかな。」

 窓辺に頬杖で待ちくたびれている様子。あと五分で始まる花火もあと少しがとてつもなく長い。

「これでこれも完了。」

 ノートを覗き込めばりんご飴を食べることと浴衣を着ることが赤で消され、まだ始まってもいない花火を見るまで消されていた。

 明るかった病室の証明が消され、窓から差し込む月明かりと街灯の光、廊下からの明かりで部屋は照らされる。もうすぐ始まるからか周りの建物も消灯していくのが見てわかる。

 少し遠くで光りが空へ上っていく。そのあと空に大きな花を咲かせる。

「夏だね。」

 飲み干したラムネの瓶。浴衣。僕の夏の始まりとしては今までにないぐらい最高のもの。

「綺麗だね。こうやって誰かと花火見たの初めてかも。浴衣着て、花火見て、りんご飴食べて。贅沢だな。ずっと続いてくれればいいのに。」

 わずかな光に照らされたその横顔はいつにもなく切ない顔つきで、どこか寂しそうででも何かを恐れているようなそんな複雑なものだった。

 夏の夜空に咲く満開の花。カラフルな花が何度も咲く。咲いては散って、散っては咲くの繰り返し。この一瞬にしか咲かないからこそ美しいと思うのかもしれない。

 気づけばもう面談時間もギリギリ。花火大会も中盤でこれから盛り上がりそうと言うところで欲を言えばもっと見ていたい。

「そろそろ行かないと。途中だけどこの辺で僕は行くね。」

「下まで送る。行こう。」

 一歩、廊下を出れば花火を楽しむ人の賑やかな声が鳴り響く。花火に夢中で誰も僕たちを見向きもしない。

 人気(ひとけ)のない廊下に二人の足音がよく鳴り響くのにすぐに花火の音でかき消される。ドアが開けば涼しかった空気も一瞬で暑い空気で包まれる。

「ここからだと木の陰であんまり見えなかったね。あの部屋で見て正解だ。」

 さっきまで目線の高さでみていた花火は木や建物の影になって隠れていて、あの部屋が絶好のスポットだったと思い知らされる。

「もう、大学も夏休みだから近いうちにまた来るよ。」

「うん。待ってる。」

 そう言って手を振って見送る桜夢を僕は背にして帰路に着いた。

 まだ、花火大会も途中で駅の周辺はかなり空いていた。電車の窓から見える花火を見えなくなるギリギリまで楽しんだ。

 誰もいない家は籠もった熱でサウナのよう。正直、外より暑いのではないかと疑いたくなる。いつもだったら真っ先に立ち上げるゲーム機より先にエアコンを立ち上げる。

 もらった置き時計もこの部屋で一番目立つ場所に置く。電池も時間も既にきちんとセッティングされていて規則正しく時間を刻む。

 テストに花火。夏休みの一日目にして充実過ぎるぐらいの日を過ごして僕の夏は始まった。

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