第2話 人生で初めての寝坊
スマホから流れるアラーム音が僕を夢の世界から現実に連れ出した。カーテンの隙間からは朝の光が漏れ、一日の始まったことが目からでもわかった。
重いまぶたを開けてスマホのアラーム音を止めればホーム画面に今日の予定である“病院”と示されていた。
遡ること数日前。その日は大学の健康診断。まさかの当日に寝坊して参加できず、わざわざ病院に行って健康診断を受ける羽目になった。寝坊したことは友達に散々いじられて、昨日の帰り際にもちゃんと行けよと茶化されて恥ずかしくなった。
自分が招いた失態なのに行くのが面倒で仕方がない。
寝起きの重い体を操って顔を洗って、干された洗濯物のなかから乾いたものを選んで寝巻きから着替えていく。そうしていくうちに自然に目は覚め、体の重さも消えていった。
鞄にとりあえず必要なものを詰めて家をあとにする。通勤時間に駄々かぶりでいつも以上に人で溢れていた。駅に着けばいつも使う電車とは反対に行く電車に乗り込みどこか新鮮な気持ちになりつつ目的地を目指す。郊外へ向かう電車からなのか通勤や通学で使う人も少なく満員電車とは言えないほどの混雑具合だ。
着いた駅は繁華街とはほど遠い長閑な場所。その近くにそびえ立つ大きな施設に向かって多くの人が歩いて行く。そして、その施設に飲み込まれるように入っていく。施設の入り口には立派な案内と開いた扉からほんのり香る消毒が病院だと言うことを知らせてきた。
順調に受け付けを行えば、必要な検査のために病院内をぐるぐると歩き回る。平日とは言えどそこそこに人は多く、どこから回っても順番待ちで足止めを食らう。気づけばここに着いてからかなりの時間が経っていた。
最後に行き着いたレントゲン室。その前に並べられたソファには既に待っている人が数人見受けられて、遠慮がちに一番端の席に腰をかけてスマホを開いて時間を潰そうとする。
「あの、これ落としましたよ。」
僕の視界に差し出されたのは僕の名前が書かれた診察券。見上げれば髪を方の下まで伸ばした同じぐらいの年頃の女性が真っ直ぐこちらを見ながらこちらの様子をうかがっていた。
「もしかして、違いましたか?」
「いえ、僕のです。ありがとうございます。」
スマホを見る手を止めて、診察券を受け取った。
「いえいえ、どういたしまして。」
微笑みながら言い残した彼女は僕の横に座った。白っぽいワンピースにブラウンの靴を履いてどこかの国の童謡に出てきたかのようなそんな雰囲気だった。
「森下桜翔(さくと)さん。こちらへどうぞ」
「朝(あさ)影(かげ)桜夢(さくら)さん。こちらへどうぞ。」
僕が呼ばれて立ち上がったと同時ぐらいに横に座った彼女も呼ばれたのかあとを追うように立ち上がってそれぞれ案内されたところへ向かった。
言われたとおりにされるがまま撮られてほんの数分で終わった。これで解放されると思うとなんだか足取りも軽くて午後から何をしようかと考えていた。
廊下に出れば先ほどまで待っていたソファには先ほどより多くの人が腰をかけて待っていた。
来たこともない広い病院。会計場所までの道のりもわからず案内板の前で立ちすくんでいた。
「どこへ行きたいですか?」
声をかけられた方を見れば先ほど診察券を拾ってくれた人だった。
「会計に行きたいんですけど。」
「私、案内しますよ。この病院慣れているんで。」
「すいません。ありがとうございます。」
お言葉に甘えて後ろについて行く。道中に特に会話はなく、ひたすら歩くだけの時間が流れた。
「ここです。」
そう案内されたところには上に「お会計」と掲げられていた。
「ありがとうございます。助かりました。」
「じゃあ、私はこれで。」
そう言って動かした体はふらついて今にも倒れそうで彼女が床に倒れ込まないように咄嗟に手を差しのばして支えようとしていた。
「大丈夫ですか。」
「すいません。大丈夫です。」
先ほどまであれだけ元気そうに見えたのにも関わらず随分と弱っているように見えた。よく見れば色白な肌であることも加えて血色のない色だ。
「ふう。もう大丈夫です。咄嗟に支えていただきありがとうございました。」
大きく息を吐き、今の出来事がなかったかのように仕切り直していた。
ツヤのある髪を揺らしながらこの場を去るように歩いて行く姿はおぼつかなく、先ほどの出来事の跡形が見受けられる。
「心配なので見送ります。」
「いや、でもこのあと予定とかあったら悪いので大丈夫ですよ。」
「このあと予定ないから大丈夫ですよ。それにそんなにふらついてたから一人で戻るの厳しいでしょ。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。ありがとうございます。あの、おこがましいかもしれないですがちょっと体重をかけていいですか。」
もちろん了承の態度を示せば、何もなかった右側にそっと重さが乗っかる。
ひたすら彼女が指示する方向に歩き、誰も乗ってこないエレベーターは止まることなく押された数字の階まで僕たちを運んだ。扉が並ぶ廊下。今まで来たことのない場所でそわそわしてしまう。
一番奥の部屋には〝朝景(あさかげ) 桜夢(さくら)〟の文字。扉を開ければどうやら個室のようで、白い壁と白い天井に白いベッドという白に囲まれた異空間には可愛らしいぬいぐるみや棚に並べられた本などは生活感を醸し出していた。
「ありがとうございます。」
ベッドに腰掛けさせると目に入ってくるのは生活感溢れた小物たち。机には広がったノートとペン。ベッドサイドには読みかけの本。まだ蓋をされた昼食。
「森下さん、お昼まだですか?早く行かないと混みますよ。今ならまだギリ空いてる時間ですから。」
「僕の名前いつの間に―。」
「あっ。さっき診察券拾ったとき見ちゃいました。そのあと名前呼ばれて反応してたんでそうかなと。いきなり慣れ慣れしいですかね?」
言われてみればさっき診察券を拾ってくれたあのときを消えかけていた奥底から見つけ出せた。
「いえ、よくあの一回で覚えられたなって思って。」
「記憶力はまあいい方ですかね。」
照れなのか目線を逸らして昼食を確認していた。
「今日も変わらずのご飯かぁ。ちょっと残念。」
隙間から見えた料理は丁寧に盛り付けられていてバランスがとれている食事だった。ただ、心なしか色合いが薄いような気がする。
「そういうあなたは食べないのですか?」
「いや、見知らぬ人が目の前にいるのに食べ始めるのも失礼でしょ?」
さっきの様子だと本当はあまり食べたくないと言い出すかと思ったがさすがに見知らぬ相手にそうは言えないなと自分のなかで理解した。
「このあと時間あります?」
いたずら気な笑顔で言ったその顔に不思議な感覚がした。
「それはどういう意味ですか?」
「そのままの意味です。ここまで送ってもらったお礼をと思って。そう言っても下にあるカフェで一杯おごる程度ですけど。」
「別にそこまでしなくていいですよ。僕だって診察券拾ってもらって、案内までしてもらったのでおあいこです。気持ちだけありがたく受け取ります。」
「そうですか。それもそうですね。でも、こういうのは返さないとなんだかうずうずするので嫌でも受け取ってくれませんか。」
ここはこっちから折れないと面倒な人かなとも思うとお言葉に甘えることとしよう。
「そこまで言うならお言葉に甘えて。お昼食べたらここ戻ってくるので。」
そう言い残してこの場を去った。
初対面なのに嫌な感じは全くしない。むしろ誰からだって好かれそうな素直でいい人だと言うのが第一印象だった。
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